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32、ご主人様



 両手を重ね、真っ直ぐ前に突き出す。


「我が指は契約の一刺し。汝の名は契約の証。故に我が声は汝を戒める鎖となる。……えっと次は。――あ! 証明す。契約者の名はマルコシアス。……あの、名前、合ってますよね?」


 私の中途半端な詠唱に彼はクスクスと笑って「合っている」と答えてくれた。

 仕方ないでしょう。呪文の詠唱なんて中学生でも通ってこなかった道だ。スラスラとなんて出来るわけがない。まさか大人になって、この道に足を踏み入れるとは思いもしなかった。


 やってみた感想は、思っていた以上に恥ずかしい、だ。真面目にやっても恥ずかしいし、真面目にやらなくても恥ずかしいという二重苦。もう顔から火が噴きだしそうです。


「恥ずかしがらずにファイトー」

「黙ってくださいハロルドさん! ええい、今更恥ずかしがっても仕方ない! サクッと最後まで終わらせますよ! サクッと! 顕現せよ雷鳴の輪!」


 マル君の頸部を起点に魔法陣が起動する。


「ほう、発動はするんだな。言っておくが、先ほどのように不意を突くならまだしも、真正面から魔法で俺に攻撃できると思うなよ?」

「ええ、分かっています。だから攻撃はしません。――契約名セット“マル君”。コマンドセット“待て”。解除コマンド“よし”!」

「おい、何だその呪文」

「手綱はこちらで握らせてもらいます! 『善悪全てに制約の環テウルギア・ゴエティア』!」


 詠唱終了と共に魔法陣は収縮していき、マル君の首に金色の首輪としてぴたりと嵌った。良かった。何とか成功したみたいだ。

 詠唱を覚えるだけでもひと苦労だったのに、この魔法、発動するまでの条件が非常に厳しい。


 一つ、相手が生き物である事。まぁ、これは普通だ。

 二つ、個人を特定する名前があり、それを知っている事。このため森にいる魔物などは対象外になる。

 三つ、一番の問題。相手の首に触れる事。それも正面オンリー。


 マル君のように油断している相手でもないと使えない魔法である。しかし制約が多い分、効果は絶大のはずだ。多分。

 金の首輪はしばらくの後、光の珠となって空気に溶けて消えた。


「何だ。失敗か? それならばこちらの番だぞ。精々捕まらぬよう逃げるんだな」


 ゆるりとした足取りでこちらに向かってくるマル君。

 大丈夫だ。失敗はしていないはず。私は大きく息を吸い込んで、コマンドを口にした。


「『マル君、待て』」

「――ッ!? な、ん……」


 首輪が浮かび上がる。瞬間、マル君の動きが止まった。

 パリパリと全身から微弱な電気が放出されている。発生源はもちろん首輪だ。


 電気信号を操り、身体の自由を奪う魔法。それが『善悪全てに制約の環テウルギア・ゴエティア』の正体。ただし、複雑な動きは中途半端にしか実行されない上に、セットできるコマンドは1つだけ。


 もっとも、マル君が無茶をしそうな時に止める術が欲しかっただけだから、ある意味最適解である。ハロルドさんの好奇心から覚えさせられたものだけれど、意外なところで役に立ったわ。


「な……く……! この、てい……ど……! ん、ぐぐ……」


 指先がほんの少し動く。まずい。引きちぎられるか。――しかし、それ以上身体が動くことはなく、マル君は諦めたようにため息をついた。


「『よし』」


 解除の呪文を唱える。マル君の身体が動き出した。

 犬の躾みたいな呪文にしてしまったのは、正直反省している。でも、私の語彙力ではこれが限界だったのだ。


「……なるほどな。俺がどういう行動に出るか分からんから、首輪をつけて管理したい、と」

「はい。本当はしたくありませんが。あなたの行動を見て、雇うのならこうでもしないと、と思いまして。お客さんに被害が出ては困りますから」

魔族()から契約を持ちかけるのではなく、人から契約を持ちかけられるとはな。ふん、なかなか新鮮な気分だ。俺を雇う気になったのは良いが――そうだな」

「え――……」


 一瞬にして間合いを詰められる。反応できなかった。彼は唇を弧に歪めて笑う。いざとなれば口を塞げばいい。そんな余裕を感じさせる笑みだ。


「俺に首輪を付けた責任、しっかりと取ってもらうぞ。ご主人様」

「ご、ごごご主人様ぁ!?」

「俺の首に手綱をつけて管理したいのだろう? なんだったらワンと鳴いてやろうか、ご主人様?」

「ちょ、変なプレイみたいな呼び方止めてください! めちゃくちゃ恥ずかしいです!!」

「お前の反応が愉快なので断る。この俺をそう易々と制御できると思わぬ事だな」


 目と鼻の先。燃えるように赤い瞳が、この上なく楽しげに揺れる。私はその瞬間、悟った。タイプは違うけれど、ハロルドさんと同じ人種なのかもしれない、と。

 私は助けを求めるようにハロルドさんを見る。彼は呆れ顔で「引き分けだね。観念しようか」と言った。


 ――レストランテ・ハロルドに新しい従業員が加わった瞬間だった。



* * * * * * *



 リンは面倒な人種に好かれやすい気がする。もちろん自分も含めて。――ハロルドは自室の窓を開け放ち、中へ月光を引き入れる。周囲一面を影に浸食された状態で、彼を呼びたくなかったのだ。


 一悶着あったが、マルコシアスを雇う事に決まった。不安は残るものの、リンさえ傷つけなければそれで良い。自分の事は自分で対処できる。


「マル君。聞こえているんだろう? ちょっと聞きたい事があるんだけど」


 闇が敷き詰められた地面から、ずるりと頭が浮き出てくる。彼はその紅い目で周囲の状況を確認した後、やれやれと言わんばかりに全身を現した。

 息苦しいほどに濃い陰の気が、漂い始める。


 魔族。もはや古代の文献にしか確認できない存在。お伽噺の悪役は魔物に取って代わられた。表側から忘れ去られた生き物。彼らが確認されたという報告など、受けた事がない。まさか、こうして対峙する羽目になろうとは。


「俺に用とはな。何だ?」

「君が元々働いていた店についてだよ。君は、あのオーナーについて何か気付いていたかい?」

「イエスかノーかで言うと、イエスだな」


 興味なさげに答える。


「じゃあ、君は呪詛を知っていながら、放置していたんだね?」

「呪詛? ああ、お前たちはそう呼ぶのか」

「へぇ、君たちの間では違うんだ?」


 ハロルドの中で好奇心が顔を出す。彼の話は面白い。自然と笑みが浮かんだ。

 いくら蔵書を調べたところで、しょせん人間側の事情しか書かれていない。種族の違う者の見方を取り入れる事で、多角的に考察する事が出来る。そして、時にそれは真実に届きうるのだ。


 運が良い事に彼――マルコシアスは、こちらの質問に対して真面目に答えを返してくれる。言動はあれだが、案外面倒見の良い性格をしているのかもしれない。


「あれは契約だ。魔族とのな。同族の中には人の感情を好む者もいる。ダンに良い感情を抱いていなかった人間が、魔族と契約し、ダンの心を蝕んだのだろう」

「じゃあ、あれは魔族によって植え付けられた感情?」


「いいや。無から有は生まれぬ。あれは、あの男の心の奥底に極小ながらくすぶり続けていた感情だ。それに火種を足して足して燃え上がらせてしまったのが、お前らの言う呪詛なのだろうな。実に陰湿だ。俺の趣味じゃない」


 彼は吐き捨てるように言った。魔族と言えど一枚岩ではないらしい。

 今の憑き物が落ちたようなダンからは想像できないが、彼の言動全てが呪詛による幻だったわけではなかった。いつかああなる可能性を秘めていた。魔族はそれを利用しただけにすぎない。

 呪詛を受けた後の言葉も本心。だからマルコシアスはダンを完全な被害者とは見ていなかったのだろう。


「その割には、助けたりはしなかったんだね」

「獲物は奪えぬ。例え、相手が下位の下位であってもな。それが魔族のルールだ。ただ――」


 「邪魔はしてやったがな」犬歯を覗かせて笑う。


「ダンがあれほど持ちこたえていたのは、何故だと思ったんだ? 俺がいなければ今頃、破綻していたぞ?」

「見かけによらず優しいんだね。君」

「気分が良くなかっただけだ。――ああ、安心しろ。呪詛を掛けた人物は、ダンが解呪されると同時に自分に呪詛が跳ね返って家が燃えたらしいぞ。魔族との契約は、円満に解消されない限り危険が伴うからな」


 そう言えば、リンとオーナーの会話を思い出す。彼は確か、友人の家が燃えたと言っていた。友情とは時に複雑で、親しき故に嫉妬に駆られる事もあるのだろう。

 残念ながらハロルドには縁遠い話であり、感情の機微などは専門外だ。天才は嫉妬されるものであるが、嫉妬するものではない。まぁ、そういう事だ。


 マルコシアスはつまらなそうに欠伸を一つ零した。彼にとっても興味は薄い話題らしい。それなのに、わざわざ面倒な会話までして伝えてくれたのか。


「もう良いか?」

「そうだね、大体は」


 ハロルドが確かめたかった事。それは彼の在り方だ。いくら制約の輪が首に嵌っていようが、彼のすべてを制御したりは出来ない。

 いざという時、悪の側面が強く出るのなら――何を持って悪とするかはまた難しいのだが――どんな手を使ってでも排除しておこうと考えていた。しかし、それは杞憂に終わった。

 どうやら彼は、相当捻くれもののお人好しらしい。


「君が僕の店を心配してるって言うのは、どうやら本当みたいだしね」

「嘘は嫌いだ」


 紅い目の奥底に灯った光は、真っ直ぐにハロルドを見ていた。

 月光が照らす彼の瞳は、吸い込まれそうなほど美しい。

 幻術を解いてその瞳を見せてくれたこと、少しだけ光栄に思う。きっと、普通に生きていたら一生お目にかかれない代物だ。至高とされる宝石よりも、何倍も価値がある。


「あ、最後にだけどさ」

「まだあるのか」


 「あと一つだけだよ」と笑ってベッドの上に身体を横たえる。彼に対する警戒心はもはやゼロに近かった。


「君、プライド高そうなのに、首輪をされて怒らないんだね」

「ああ。そうだな。だが、意外と悪い気はしないぞ。繋がっているという事は俺と離れない、という事だからな。熱烈じゃないか」

「え、何そのポジティブさ」

「ではな」

「あ、ちょっと……!」


 がばりと起き上り、周囲を見回す。しかし、マルコシアスの姿を確認することは出来なかった。

 ハロルドはもう一度ベッドの上に倒れ込み、ぼんやりと天井を見上げた。


「やっぱりリンは、変なのに好かれやすいって」


 自分の事は棚にあげ、そう呟くハロルドだった。



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