29、意外な訪問者
この世界の魔法は詠唱と魔法陣とが連結している。
つまり詠唱によって魔法陣が描かれ、そこに魔力を流すことによって魔法として顕現するらしい。魔法陣は魔力をどういった風に使うかの命令コマンドみたいなもの。
上級者は魔力制御が格段に上手く、汎用魔法陣に命令コマンドを仕込んだ魔力を流すことが出来るので、詠唱短縮などが出来るそうだ。
ハロルドさんの無詠唱については、ライフォードさん曰く「あれを真似てはいけません。あれは特殊です。無詠唱とか人を馬鹿にしています」らしいので、真似ない方が無難だろう。
私が持っている魔力は電気――もとい雷属性である。
「かみなり」とは「神鳴り」。昔の日本では神が鳴らすものとして信じられてきたため、そう名付けられた。この世界でも雷は特別視されているらしく、雷属性を持つ者は過去を遡っても数名から十数名程度だ。
「とりあえず、研究対象としてウズウズしているこの気持ちを押さえて、出来る限り理性的に話すよう努めるね。とりあえず、家に帰るまでは」
「帰ってからも理性的にお願いします……!」
私たちはマーナガルムの森の出口に向かっていた。
昼食が終わった後、いつまでも長居するわけにはいかないので、今、歩きながら説明を受けている。
「五大属性の利点って何だと思う? 答えはね、研究が成されている事なんだ」
「わぁ、質問って何だろう」
研究が成されているという事は、どのような魔法陣か、またその描き方――詠唱が、過去から現在へ脈々と受け継がれている事になる。つまり、初心者でも詠唱を覚えればある程度使いこなせるのだ。
「対して雷はね、資料そのものが少ないんだよ。公式的な資料ならゼロだよ、ゼロ。僕ですら、唯一見た事のあるものは数百年前の手記……というかメモだね」
「そんなものがあったのですか?」
先頭を歩くライフォードさんが、視線だけ後ろに寄越す。
「ああ、うん。古物市で偶然見つけたものだよ。ただ、こんなことが出来るんだぜイエーイみたいなノリで書かれていたから信憑性は微妙かなぁ。あと、制約が多過ぎて使うまでに一苦労な上、そもそも何に使うんだって魔法なんだけどね」
「え。意味あるんですか、それ」
「一応覚えておいたら何かに使えるんじゃない? たぶん」
「雑すぎませんか……」
稀有な属性ゆえ情報が何もない。詠唱も魔法陣もすべて一から考えなくてはならない、という事なのか。ハロルドさんがいなければ諦めるしかない状況だ。
「とりあえず、簡単なものなら一つくらい今日中に使いこなせるよう、考えてみるよ」
「ありがとうございます! お任せしますね!」
「うん。任せて。しかし雷……雷かぁ……うーん、もしかするとリンの食材のステータスが見える能力もそれが起因していたのかな。食材の効力は口に入れることにより体内でどういった働きをするか分析され、名前は脳から引っ張ってきて紐付けされるとか。映像となって表示されるのは幻術っぽいけど、リンだけにしか見えないし、雷は光だし、そういった事ができるのかも――」
ああ駄目だ。独り言モードに移行してしまった。こうなったハロルドさんは周囲の音は聞こえないし、目にも入らない。森の中でこれは危険だ。
私はぐいと袖を引っ張って進行方向をズラしてあげる。このままだったら、きっと目の前の大岩にでもぶつかっていたわ。全く、手のかかる人だ。
「それではリン。私たちは王宮へ戻りますので、この辺りで」
「ありがとうございました、ライフォードさん。こちらの我が儘に付き合ってもらって」
「いえ、この程度ならお安いご用ですよ」
マーナガルムの森入り口付近で、梓さんと第一騎士団の皆さんとは別れる事にした。ハロルドさんが私の魔法を試すと言って聞かなかったからだ。さすがに城下で試すわけにはいかないものね。
ただし別れ際、ライフォードさんと梓さんから「何か魔法について進展がありましたら、ぜひご連絡を」「使いこなせるようになったら一緒にぶん殴りに――いえ、魔物退治に行きましょう!」と強引に約束させられてしまった。
部下の手前なんとか平静を装っていたものの、気にはなっていたみたい。二人とも普段より幾分か興奮気味だった。
「さて、と。詠唱と魔法陣の構想はできた。という事でリン、素早さが命の魔法だから詠唱を簡略化できるまで訓練だよ」
「待ってください! それって上級者がする事なんじゃないですか!?」
「大丈夫。全ての詠唱を簡略化するなら大変だけど、一つの魔法だけならそう難しくないよ。一回出来たら後は感覚を覚えるだけだしね。いけるいける! なんたって僕が教えるんだからね!」
「……マジですか」
そして結局、夕方近くまでハロルドさんのスパルタ訓練にお世話になる羽目になった。
「大丈夫! 才能あるよ!」の言葉に騙されて何度か木々を丸焦げにしてしまってた事、大変申し訳なく思う。おかげで、実用レベルで使える魔法が一つ身に付いたのだけれどね。
* * * * * * *
夜が迫ってきていた。
遠くの方では、蜂蜜を燃やしたようなオレンジ色が空を染めている。しかし今は夕暮れ時。私の頭上に広がるのは、濃紺色の空だった。星はまだ見えない。途切れ途切れに浮かぶ雲は、沈み行く太陽に焼かれ、端の方がうっすらと赤みがかっている。
レストランテ・ハロルドの扉には定休日の看板がぶら下がっていた。戸締まりはきっちりしていったので、私は服のポケットから鍵を取り出す。
「リン。鍵を貸して」
「へ?」
淡々とした声で告げられる。普段のハロルドさんからはほど遠い雰囲気に動揺していると、彼は私の手から鍵を取り上げた後、襟首を捕まえて下がらせた。
猫じゃないんですけど。
鍵を回し、扉を開ける。ちゃんと鍵は掛かっていたみたい。私はほっと胸を撫で下ろす。ではハロルドさんが警戒している理由は何だろう。
暗闇に閉ざされた店内に、赤色が差し込む。
「何者……と聞くのは無粋かな?」
誰もいないはずの空間に問いかける。答えなど帰ってくるはずもない。――なのに、まるで影がそのまま人の形を作るように、ずるりと暗闇から這い出てきた人物は、唇を弧に歪めて笑った。
「良い魔術師がいるな、ここは。誉めてやろう。店の主がいなくなってようやく滑り込めたぞ」
「あなたは……」
あの赤い目。知っている。美白ドリンクの店のオーナー、ダンさんのところで一時期働いていた青年だ。
名前は確か――。
「ま、まる……まる? まる……? えーっと、何だっけ……ダンさんが言っていたような……」
「僕は人の名前覚えるの苦手だからなぁ……」
二人でうんうん唸っていると、さすがに痺れを切らしたのか、ご丁寧に「マルコシアスだ」と答えてくれた。案外優しい。しかし、その名前を聞いてハロルドさんは眉をしかめた。
「え、長すぎでしょ。マルで良いよね? はい、マル君で決定」
「ハロルドさん……」
シリアスな空気が一瞬にしてぶち壊しになった瞬間だった。