幕間「白の聖女『伏見有栖』」
白の聖女――本名、伏見有栖。
彼女は同時期に召喚された他二名と違い、元の世界に何の不満も抱いていなかった。鏑木凛は自動車事故寸前での召喚。篠村梓は会社に辞表を叩きつけた後に召喚。
しかし、有栖は、順風満帆な女子高生ライフを満喫していた。
イギリスで生まれた母親譲りの透き通った白い肌に、青みがかったブラウンの瞳。甘栗色の髪は絹のように柔らかで、風が通り抜けるたびにふわりと揺れる。
可愛いなんて言葉は浴びるように降ってくるし、当たり前すぎて褒め言葉とも認識されない。
有栖が頼めば誰もが言う通りに動いてくれた。
有体に言えば言いなりだ。なまじ両親が地位のある人物だった事も加わり、年上も年下も男性も女性も全て思うがままだった。稀に有栖に苦言を呈する人間もいたが、周囲の者が自然と守ってくれる。両親は一人娘を目に入れても痛くない程に溺愛し、諌めるものは誰もいなかった。
おかげで有栖は現実の恋愛にまるで興味が持てず、もっぱら空想の世界でそれを補っていた。
特に騎士と恋仲になる作品が好みだ。主人公は身を挺して守られ愛され甘やかされるが、ヒーローは思考の全てを主人公に委ねたりはしない。彼らは彼らなりの矜持を持って生きている。その上で、主人公を愛するのだ。理想だった。
なので聖女として召喚された時、騎士の居る世界だと知って喜んだ。まさか第一王子に囲われるとは思っていなかったが、彼は彼で使い勝手が良いので問題は無い。騎士様は自分で落とせば良いのだから。自分が本気を出せば容易いはず――そう思っていた。
「王よ。ご報告があり、参上いたしました」
謁見室の扉が開き、低くて甘い声が響く。
有栖はダリウスの後ろから彼を見た。優しげながら意志のある瞳。燃えるように赤い髪はゆるやかに撫でつけられ、彼の動きに合わせて小さく揺れる。均等に筋肉のついた体。
一目惚れだったのかもしれない。有栖にとって理想の騎士様がそこにはいた。
聖女として王宮で暮らし始めてから、有栖は彼や騎士についての情報を探った。主にダリウスから聞き出すだけだったが、第一王子だけあって騎士団の話題にも明るかった。便利な王子だ。
王宮に常駐している騎士は、王直属の近衛兵以外に第一から第三の騎士団に所属している。赤髪の騎士様はジークフリード・オーギュストと言い、第三騎士団の団長だと知った。
いきなりアプローチを掛けてみるのも良いけれど、第一騎士団や第二騎士団も気になる。
有栖は聖女としての勉強もそこそこに、騎士団に近づく事を考えていた。
まず会えたのは第一騎士団長ライフォード・オーギュスト。黒の聖女の護衛についている騎士だ。
彼は綿毛のようなふわふわの髪に、透き通るようなブルーの瞳が印象的な美形だった。王子様系は好みではないけれど、粉くらいは掛けておこう。もう一人の聖女に騎士がついている、というのが少し腹立たしかったのが理由だ。
けれど、一度会話してみてわかった。この人は駄目だ。恋愛に現を抜かす前に仕事と家を取る。自分を一番に考えない男など必要ない――有栖はそう考えたが、そもそもライフォードも有栖も自らの顔が良い事を理解して、それを最大限活用し自分の思い通りに人を動かす人種だ。
つまるところ似た者同士。同族嫌悪。気が合うはずもなかった。
次が第二騎士団長、アデル・マグドネル。
魔導騎士という特殊な立ち位置からか、騎士らしさは感じられない。青みがかった黒髪に、大きな瞳。二十歳を超えていると言われなければ分からないほど幼い容姿をしている。正直、全く好みではなかった。
やはり自分にはジークフリード様しかいない。
「ジークフリード様! こんにちは!」
第三騎士団長は頻繁に会える存在ではなかった。だから姿を見つけると、有栖は必ず名前を呼んでいた。自分の存在を印象づけるためだ。彼は有栖に呼ばれるたび軽く会釈をしてくれた。手ごたえは悪くない。きっとそのうち、私だけの騎士様になってくれるはず。物語のヒーローが彼で聖女である自分がヒロインなのだ。
有栖はそう思っていた。
* * * * * * *
目の前を歩くジークフリードが、ひどく遠い存在に感じられる。
――なぜ彼が怒ったのか分からない。なぜ私よりあんな地味なおばさんを贔屓にするのか分からない。私の方が若くて可愛いし、何よりこの国にとって大切な聖女だ。私を守り、私を大切に思うべきなのに。
「ダリウス。何とかして」
「さすがに無茶が過ぎるぞ、聖女。僕にも出来る事と出来ない事がある」
「それでも何とかしてよ」
ダリウスはため息を吐いて「善処する」と言った。
悔しい。悔しい。悔しい。こんな屈辱は初めてだ。今まで何もかも上手く行っていた。皆、自分の思い通りに動いていた。だからこんな結末、あり得るはずがない。ジークフリードは自分のものになるはずだったのに。
じ、とジークフリードの背中を見つめていると、ふいに彼が振り向いた。
ああ、きっと謝ってくれるのだ。自分が悪かった。君が全て正かった。これからは君を守ろう――と。しかし、彼は有栖の方を見向きもせず、ダリウスに対して冷ややかな視線を送った。
「王子。聖女を甘やかすのも良いですが、時には諌める事も必要ですよ。我が儘が過ぎる」
「馬鹿を言うな。はじめから手遅れだ。そもそも聖女の願いを聞く事だけが僕の仕事だ」
――我が儘、手遅れ、ですって?
有栖の中で何かの糸がプチッと音を立てて切れた。
ああそう。良いわ。別にもう何だって良い。ジークフリードも、ダリウスも、あの巻き込まれ女も、黒の聖女も。私を好きにならないのなら必要ないわ。
生憎と、この世界は元の世界と美醜の感覚が違うわけでもない。自分の容姿を気に入って、聖女だと崇拝してくれる者は沢山いる。全て使いましょう。自分の持てる物全てを使って、貶めてあげましょう。しぶとく生き残るのなら生き残ってみるが良い。
「踏み潰してあげるわ」
有栖は深海に落ちたブラックパールのようにほの暗い瞳を伏せ、小さく呟いた。