26、ジークフリードさんの地雷
「ね、いいでしょう? ジークフリード様」
熱っぽい瞳で見上げる白の聖女様。
無邪気さと艶のある美しさを兼ね揃えた表情に、一瞬、目を奪われてしまう。十人いたら九人は振り向く美少女。女の私でもそうなのだ。異性だったら、ビー玉を手のひらで転がすように、ころころと意のままに操られてしまうだろう。
可愛いは正義。きっと今まで何不自由のない生活を送ってきたに違いない。あれだけ自信に満ちたアピールできるなんて。少しだけ羨ましいと思ってしまう。
後ろに控えているから私にはジークフリードさんの表情が分からない。彼は、どんな顔をしているのだろう。
「ちょっと、いい加減にしなさいよあんた」
「それは黒の聖女様でしょ? 強いのにライフォード様……は別に良いけど、ジークフリード様を独占するなんてずるい。ほら、騎士様ってやっぱり乙女の憧れでしょう? こんな怖い森に連れて来られたんです。好みの騎士様に守ってもらっても罰は当たらないと思うの」
「何言ってるの、この子……」
どうやら白の聖女様は王子様系ではなく、ジークフリードさんのようなタイプが好みみたいだ。そこだけは手放しで褒めよう。分かる。分かるわ。同志よ。格好いいものね、ジークフリードさんは。
私は事の顛末が気になって、そっと背後から顔を出す。
ジークフリードさんは自らの服を掴む聖女様の手を、両手で包み込むように掴んだ後、そのままぱっと手放した。指が服から離れる。
何あの技。優しげに見せて突き放しているわ。
「白の聖女様。私は本日、黒の聖女様の護衛としてこちらへ参ったのではありません。ご容赦願います。それに、その発言は王子率いる近衛兵では力不足だと言っているようなもの、お控えになられた方がよろしいかと」
「……ジークフリードッ」
ダリウス王子の目が吊り上がる。感情をあらわにする王子とは対照的に、白の聖女の瞳は氷のように冷ややかだった。
「ダリウス。わたし、ジークフリード様が来ないと動きたくありません。どうせ黒の聖女に誑かされているに決まってるわ。可哀想でしょう」
「だれが誑かしてるんだっつーの!」
拳を手の平に打ち付ける梓さん。気持ちが理解できるからか、ライフォードさんの「落ち着いてください」と止める手もおざなりだった。仕方がない。梓さんは誑かすとは真逆だものね。
「ふん。黒の聖女関連でなければ、一体何をしに――」
紫の瞳が探るように動く。そして、ジークフリードさんの後ろにいる私に気付いて「ああ」と頷いた。
「いや、そうか。そうだったな。――聖女よ、あれは仕事で来ている。僕が君を、ライフォードが黒の聖女を護衛しているのと一緒だ」
「え? だって護衛対象なんて聖女以外に誰が……?」
「ジークフリードの後ろにいるだろう。あれは聖女たちと一緒に召喚されたと言う、異界の者だ。僕の水晶を壊した……君も、覚えていると思うが」
「いや、知らないのならいい」と諦めたように瞳を伏せる。
驚いた。白の聖女様すら記憶していなかったと言うのに、ダリウス王子は私を覚えていたのか。すぐに忘れ去られ、記憶の肥やしにすらなっていないと思っていた。意外としか言いようがない。
やはり水晶の恨みはそう簡単に薄れないのか。ごめんなさい。
「そっかぁ、ジークフリード様は責任感もあるのね。うん、そういうの好き。でも、ここは魔物が住む森。聖女である私を守るのが大事か、間違えて連れてこられたその人を守るのが大事か、考えるまでもないと思うんですけど。そもそも護衛なんて必要ですか?」
「聖女様。それ以上は」
「だって、あの人は別にこの国にとって必要ない――」
瞬間――ピリ、と痺れるような怒気が漂い始める。何が、と思う暇もなくジークフリードさんから地を這うような低い声が発せられた。
「口を閉じていただけませんか聖女様。必要ないという言葉は、大嫌いだ」
握りしめた拳は固く、爪が肉を抉って血が滴り落ちた。
背中越しでも分かる。彼女は地雷を踏みぬいた。人には言ってはいけない言葉がある。ジークフリードさんにとってそれは「必要ない」という言葉だったのだ。
「余計な一言を」柄にもなくライフォードさんが舌打ちをする。
「あ、あの……ジークフリード様……」
「黙ってくれと言ったはずだ」
「――あ」
白の聖女は彼の唸るような声に気圧されて、後ずさった。
漂うのは、研ぎ澄まされた静寂。
まるで不安定な刀だ。何物も斬り伏せる強靭さの裏に、優しく撫でられただけで容易く砕け散ってしまいそうな危うさも併せ持つ。ほんの些細な刺激で、どちらに転ぶか分からない。
いつも冷静沈着で、ハロルドさんの度が過ぎたイタズラすらも笑って許すあのジークフリードさんが、これほど怒りを露にするだなんて。
「不味いわね。騎士団として薬師を牛耳っている第一王子ともめると、色々面倒かもしれないわ。あいつ、白の聖女の願いなら何でも聞くみたいだし」
梓さんが隣に来て耳打ちする。
悔しいけれど、私はジークフリードさんの事を何も知らない。何故彼がこれほど怒っているのか分からない。私のためだけじゃないと思う。だって、私が「大丈夫」と言っても彼は納得しそうになかったから。
今、私が出来る事は何だろう。考えろ。「必要ない」が彼のトラウマを抉る行為だとするのなら、私は――。
彼の背に手をつく。
「今日はありがとうございます。あなたがいてくださって、本当に心強かったですし、楽しかった。傍にいてくださって、嬉しかった」
「リン……」
私の名前を呼ぶ声は、少しだけ震えていた。
「私はこのまま梓さんたちにくっついて帰ります。それにハロルドさんもいるんですよ。問題はありません。私のせいで、無理はしてほしくありません」
ジークフリードさんの手を握り、固く閉じられた拳を開いていく。私に回復魔法が使えたのなら、こんな怪我直してしまうのに。
正直に言うと、もっと傍に居たいし、話もしたい。また長い間会えなくなってしまうのだもの。でも、そんな我が儘言えるはずもない。だから大丈夫だ。
「それに、白の聖女様?」
ジークフリードさんの隣に立ち、白の聖女を見据える。
「私は別にあなたに必要ないと言われたところで、何とも思いません。だって、私は貴方のために生きているんじゃありませんから。私は私のために生きています。誰かに指図されるなんて二流よ二流! いらないと言われても、しぶとく生き残ってやりますから!」
腰に手を当てて、ビシッと指を指す。失礼にあたるかもしれないけれど、知った事ですか。白の聖女様は目をぱちくりと瞬かせて、「はぁ?」と気の抜けた返事をした。
「さ、行ってください、ジークフリードさん」
「――自分のために生きる、か。はは、君は強いな。本当に」
いつもの優しげな瞳を細めて、ジークフリードさんは笑った。良かった。
彼に纏わりついていた怒気は霧散した。白の聖女とダリウス王子の所へ送り出すなんて少し心配だったけれど、これなら大丈夫だろう。
「では、また」と頭を下げる。しかしジークフリードさんは片手でマントをふわりとはためかせながら、私の足元に跪いた。
「え?」
「ではひとつ。リン、これ以後、危険なものは口にしない事。俺の行動が無理だと言うのなら、君の無理も改めてもらわないとな」
「む、その言い方、私が何でも口にする子供みたいじゃないですか」
「ははは、違うと言うのか。あれで?」
「こ、心当たりはありますが……」
「誓ってくれるな?」優しい赤褐色の瞳に見つめられては、断れるはずもない。
「……はい。今日はもう、無理はしません。絶対に」
「分かった。ならば、今日はここでお別れだ」
さっと私の右手を取り、手の甲に唇を落とす。温かくて柔らかな感触。一瞬、何が起こったのか分からなかった。私の思考は一瞬にして沸騰し、全てがジークフリードさんで染まってしまう。
「ではまた」
「お、おおお気をつけて!」
「君も」
胸辺りで右手を握りしめる。ジークフリードさんはずるい。右手が洗えなくなったらどうするの。いや、キッチンを主戦場とする以上それはできない事だけれど、それくらいの衝撃だった。
「二人の世界すぎて入っていけないわこれ、ざまぁないわね」と笑う梓の声も、「二人はどこまで進んでいるのですか?」と真剣に頭を悩ますライフォードさんの声も、「あーもう、相変わらずだなぁ」と呆れるハロルドさんの声も、今の私には届かなかった。
王子たちと共に去っていくジークフリードさんの背中を見送る。聖女らしからぬ表情でこちらを睨んでくる白の聖女にすら、私は気付かなかった。





