幕間「ある魔族の話」
ただ暗く、広大で、世界という名のキャンパスに黒墨をぶちまけたような――そんな闇。
奈落の底をも思わせる足元に手をやると、ひんやりと冷たい空気が全身に流れ込んできて、身体の芯までも凍えさせる。
この世界は歪だ。
魔物などという、知能の低い低俗な存在が蔓延っているのがその証拠。
光があれば闇がある。光と闇は表裏一体。
光は聖女。闇は魔王。どちらも人から生まれ、存在する事で均衡が保たれていた。しかし、この世界は闇を徹底的に排除し、数千年が経過してしまった。
光ばかりが強すぎる世界。魔物はその弊害だ。
魔王に帰属する魔族は、人の手が届かない世界の裏側へ引っ込んだ。
一部は自らの縄張りを維持するために表に残っているらしいが、自由に移動する事も出来ぬ有様だ。可笑しな事に、奴らは人から星獣と呼ばれ信仰を集めていると言う。
魔族が星獣とは笑わせる。だが微力ながら世界の均衡に一役買っているので、あながち間違いではないのかもしれない。奴らがいなければ、世界はたちまち機能不全に陥っているはずだ。
煮詰まったジャムのように、甘く蕩けそうな赤い瞳を瞼で隠し、男は笑う。
最近、裏の世界に穴が開いた。表に繋がる穴だ。大方、魔王が生まれたのだろう。生まれたての王は赤子も同然。人の手でも殺せる。どうせ、すぐ排除されてしまうはずだ。いつもの事。――そう、高を括っていた。
しかし、穴はだんだんと広がり、ついには男の身体すら通れる大きさになった。
世界が守ったのか、人が守ったのか、はたまた、運が良かっただけなのか。まぁ、そんな事どうだって良い。重要なのは、表に出られるようになった事だ。
魔族など、今やお伽噺ですら語れぬ存在と成り果てた。今更、表に出たところで居場所など無い。
しかし、男には目的があった。
美味いモノが食いたい。
焼き切れそうなほどに遠い過去――異世界からやってきたらしい聖女が作った、あの美味い飯が食いたい。
聖女の作った飯は、どれほどの年月が経とうと忘れられぬ幸せの記憶。残骸でも良い。彼女の作ったものの記録が、残っていますように。
男は目を開き、表の世界に干渉を始めた。





