22、VSオーナー
「おい、誰に許可を取ってここで商売を――あんたは、昨日の……!」
オーナーさんの顔が驚愕に染まる。そりゃそうよね。昨日の今日で喧嘩を売りに来るなんて、普通考えないもの。対策をされる前に電光石火で攻める。慌ただしかったけれど、効果は覿面のようだ。
「許可証ならありますよ。持ってきましょうか?」
「ふん、その様子だと本当に許可を取っているようですね。いいでしょう。しかし、このドリンクの効果は何です? 二時間なんて……ハッ、嘘で客を呼び込むのはどうなのでしょうね?」
「言葉を重ねるより、試していただいた方がよろしいかと。良ければ一杯いかがです?」
「いらん。騎士団の団長を二人も連れて、弱みでも握っているのですか? まぁ、どちらにせよ、こんな得体の知れぬ飲み物を売る店に加担しているのだ。王宮へ直々に文句を入れさせてもらいますがね」
「お二人は個人的に協力していただいているだけです。店とは関係ありません」
「嘘をつけ。それで通じると思っているのか?」
やはり、か。
人目を引くため、この作戦における肝心要の二人だったから、外すことは出来なかったけれど、迷惑がかかるのは本意じゃない。公爵家の影響力からしたら虫に刺された程度かもしれないが、それでも、私は彼らに小さな瑕疵一つだって付けさせたくなかった。我が儘だって自覚はしている。――だから、私がやるしかない。
とにかく、嘘だという認識を改めてもらわなければいけない。無理やりにでも飲ませてやる。
「ともかく一度飲んでみてください」
こういう事もあろうかと、二つほどグラスを残しておいた。
私は一つを手に取ると、オーナーさんに差し出す。
「ふん、こんなもの!」
「わっ」
しかし、私の腕ごと弾かれてしまった。落ちたグラスは地面で粉々に割れ、ドリンクがじわじわと地面を侵食していく。後でちゃんと拾って綺麗にしないと。
腫れた手をさすりながら地面を見つめていると、背後からパリンパリンパリン、と次々にグラスの割れる音が聞こえてきた。あまりに息の合った割れ方に「ハンドベルか!」と突っ込みたくなった。この一瞬でいくつのグラスが犠牲になったのかしら。ついでに「はぁああ??」とドスを効かせた梓さんの声も聞こえる。ああもう。
後ろを振り向きたくないわ。私だってやる時はやるんですから、見ていてください。
とにかく、腕を上げて大丈夫だとアピールする。
くそう。飲ませて分かってもらう作戦は失敗だわ。
さて、どうしようか。
頭を悩ませていると、オーナーの後ろから腕がにゅっと伸びてきた。一瞬、腕が増えたのかと思って後ろに飛び退いたが、よくよく見ればオーナーと一緒に出てきた男性の手だった。
鴉の濡れ羽のように艶のある黒髪。意志の強そうな太めの眉。どこかオリエンタルな雰囲気漂うその人は、美形というよりは男前といった造形をしていた。何より瞳の色。燃えさかる炎よりもなお赤い瞳が、じ、と私を見つめていた。
「金を出せばいいのか?」
「え……あ、いえ、あの店の方ですか?」
「いちおう、な」
ボタンの沢山ついた真っ白な服を着ている事から、あの店のシェフか、それに近い人だと分かる。わざわざ店の外に出てきたって事は、美白ジュースの開発者なのかしら。
真意は不明だけれど、飲んでくれるのなら有難い。私は急いでドリンクを準備した。味の評価などどうだって良い。せめて効果だけでも実感してくれれば――祈る気持ちを込めて、彼にグラスを手渡す。
「おい、マルコシアス!」
「指図は受けん。俺は雇われているが、従属しているわけではない。クビにしたければするといい」
ドリンクの匂いを嗅いでから口を付ける。彼は味を確認するや否や、目を見開いて、ふ、と嬉しそうに笑った。弧を描く唇の間から、犬歯が顔を出している。
「ああ、美味い」
「う、ぐぅ……お前はどっちの味方なのだ!」
「強いて言うのなら、美味いものの味方だ。俺はそのためにここへ来た」
美味しいものの味方。
従業員だが完全にオーナーの味方というわけではなさそうだ。一体、どういう立ち位置の人なのだろう。
少しだけオーナーが哀れに思えた。援護射撃どころか、背後から狙い打たれたのだから。
「くそっ! 役に立たん奴だ。ええい、味はどうあれ、二時間など嘘にきまっている! 料理程度にそのような長時間の効果を出せるはずがない。市民の皆様も、このような嘘っぱちの飲み物などより、我が店を是非ご贔屓にしてくださいね!」
真っ赤な顔で訴えかけるオーナーだったが、周囲の人々の反応は冷ややかだった。
最初にドリンクを購入した人たちの中にも、残ってくれている人たちがいる。彼女たちがまだ効果を実感しているのなら、それは何物にも代えがたい証拠になる。
「うーん、少なくとも今は嘘だって思えないけど……ねぇ?」
最初のお客さん――つばの広い帽子を被った少女は、その帽子を取って空を見上げた。
「うん。もう結構立っているけど、ぜんぜんジリジリ来ないわ。普段ならもっとこう、熱いなぁって感じるのに。不思議。暑さも和らいでる気がする。汗が出てこないんだもん。すっごく快適!」
「なっ! で、でたらめ言うな! どうせこの女が雇ったサクラだろうが!」
「違いますっ! 今日はたまたま友達と買い物に来ただけです! ライフォード様がずっとここにいらっしゃるから、どうしても離れられないだけだもん!」
彼女の発言に、周囲の女性陣が頷く。
なるほど。用事があるから繁華街に来ただろうに、なぜ離れないのかと思っていたら、そう言う事か。分かるわ。すごく分かる乙女心――もといファン心理だ。
「大体、そんな効果がある食材など――って何だこれは! 材料? ナチュラルビーの蜜って、お前どうしてこれの事を! どこから盗みやがった!」
「何の事です? それとも、あなたの店もこれを使っておられるのですか?」
なりふり構っていられないのか、オーナーの口調が荒れ始める。
残念ながら、うちは全て手の内を開示して、納得して飲んでもらっている。でもだまし討ちのように美白ジュースに手荒れ薬を入れているそちらとしては、これが使われているとバレてしまっても良いのかしら。
オーナーは私の真意に気付き、悔しそうに押し黙った。
「ともあれ、何か誤解があるようですので、しっかりと材料は開示いたしましょう。ハロルドさん、お願いします」
「はいはい。……あまり無茶はしないように。グラスの片づけ大変なんだから」
「聖女様は臨戦態勢だし、ライフォードは料理人の要である手に怪我をさせたらただじゃおきません、とかって言ってるし、ジークはとにかく怖い」蜜を受け取る際に耳打ちされる。そう言うハロルドさんの背後には魔法陣が大量に展開されていた。ツッコミ待ちなのかしら。
「この程度、怪我に入りません。もう少しだけ一人で頑張ります。でも、旗色が悪くなったら知恵を貸してください。あの二人に迷惑は掛けたくありません。絶対に」
「分かってるよ。でも、僕への配慮がないのは、信頼と取っていいのかな?」
「もちろんです。信頼してますよ、マスター!」私は蜜を抱えて、オーナーに向き直った。後ろから「リンはずるい」という恨み節が聞こえた気がしたけれど、聞こえなかった事にする。
「こちらがドリンクに使用しているものです」
「何だこの色は。これがあのナチュラルビーの蜜だと言うのか?」
ラメのような輝きを内包する、赤味を帯びた飴色の蜜。見た事もない食材に、オーナーが驚嘆の声をあげる。
「手を加えてあります。そのおかげで二時間という破格の効果延長を成し遂げられました。ただ――申し訳ありませんが、製造法は絶対にお教えできません。私が使用するから、この効果が引き出せるのです。薬と一緒です。使い方を間違えれば、毒もなりますので」
「ふん、嘘だな。こちらの手の内を盗んでおきながら、いけしゃあしゃあと」
この人は嘘が口癖なのか。何でもかんでも最初に「嘘だ」を付けてくるので、さすがの私もちょっと腹が立ってきた。
今までの料理の効果を考えれば、信じられないのも仕方がないけれど、嘘だと決めつけるには早計でしょうに。自分が出来ない事は全て嘘、とでも思っているのかしら。
「ちょっと待ってろ。実験してやる」
「は?」
オーナーは走って店に戻ると、美白ジュースを持って戻ってきた。
「ちょ、何する気ですか!?」
「いいからその蜜を貸しなさい! 実験してやると言っているんだ!」
一瞬の隙を突かれ、瓶ごと持っていかれる。
勢いよく分捕られてしまったせいで、私はバランスを崩し、肩から地面に突っ込んだ。痛い。ズキリといたむ肩を押さえ、歯を食いしばる。けれど、分量も量らずにあれを使用させるわけにはいかない。
私は上半身を起こしたが、あまりの痛みに動きが止まる。ハロルドさんたちが駆け寄ってくるが、それよりも早く赤目の従業員さんに助け起こされた。
「これを入れれば、うちのジュースだって、もっともっと儲かるように……」
「駄目です! 入れ過ぎです! 毒になるって――」
「なぁにが毒だ! そうやって騙そうって魂胆だろう!」
この蜜は分量を考えないと大変な事になる。私は私を支えてくれている従業員さんに、止めてくださいとお願いした。私たちが言っても無駄だ。信用されていないから。でも、彼なら。店の従業員なら、少しは話を聞いてくれるかもしれない。
しかし彼は、全てを見透かしたように煌々と輝く紅の瞳を細め、「自業自得だ。仕方あるまい」と首を振った。
「少し調子に乗りすぎた。人の手に余るものは凡夫には扱いきれん。身を以て知るといい」
「な、何を言っているんですか……?」
「そのままだ。凡夫は凡夫らしく、人の食べ物を加工すればいい。魔物に手を出して良いのは、使い方をわきまえた者だけだ。欲を出しすぎたな」
突き放すにしては変な言葉だ。人間の世界を遥か遠くから俯瞰しているような――そんな、世界とは一線を画したものに聞こえる。浮世離れした雰囲気とも相まって、人の形をした何かに見えた。
「とにかくあの人を止めて――」
「っぷは。ほら見ろ! なんともな――ア、ガッ、アアアアア、痛い痛い痛い! 腹が痛い!」
オーナーはあまりの痛みに腹を抱えて地面を転がり、ゴボリと血を吐きだした。
しまった。考えうる限り、最悪な分量を投入して飲んでしまったみたいだ。胃に穴が開いている可能性もある。だから毒だと言ったのに。
こうなってしまった以上、ドリンク販売は続けられない。
「ハロルドさん! お願いします! 無理なら医者を――」
ハロルドさんの回復魔法なら何とかなるかもしれない。彼は「死人が出ても寝覚めが悪いしね。大丈夫、多分直せるよ」と嫌々オーナーさんに近づいた。