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18、理想と現実の王子様


 兵は神速(しんそく)(たっと)ぶ。

 明日決行するとなった以上、販売に用いる準備も急ぎ終わらせなければならない。ドリンクの材料やそれを入れるグラス。売り歩くための台車。


 ハロルドさんは「明日に間に合うよう、交渉してモノをキープしてくるよ。ついでに路上販売の許可も取って来よう。リンはとりあえず昼食の準備を。腹が減ってはなんとやら、だしね」と、何でもない風に言ってキッチンを離れる。


 彼の無茶は今に始まった事ではないが、これはさすがに無謀が過ぎる。中途半端な完成度ではお客の前に出せない。そう渋る私に、ハロルドさんは笑顔を一つ残して店を出て行った。

 分かっていたけどね。あの人はやると言ったらやる。


 更に面白そうと言って梓さん、付き添いのライフォードさん、人手がいるかもとジークフリードさんらも次々と出て行く。なので、店は私一人になってしまった――と思いきや、なぜか優雅な仕草でお茶を飲むライフォードさんが目の前に座っていた。


「良かったのですか? 護衛は」

「ええ。どうやら騎士服は目立つらしく、追い返されてしまいました。準備は水面下で進めるもの。大人しく従っておきますよ」


 目立つのは騎士服だけが原因じゃないと思う。わざわざツッコんだりはしないけれど。

 ジークフリードさんは私服なのでセーフ判定を貰ったらしい。第三騎士団長が一緒にいるなら、梓さんも安心だろう。


 では、私は私の仕事をしますか。

 今日の昼食は『分厚い卵のサンドウィッチ』だ。卵は体力回復に良い。パンは効果を増幅させるので、昼以降の仕事量を考えると丁度良いだろう。


 まずパンの耳を切って二口大にする。パンの表面にはマヨネーズを塗っておこう。

 実はハロルドさんに頼んで疑似冷蔵庫を作ってもらったのだ。魔法陣が組み込まれている棚を開けると、ヒンヤリとした空気が壁を伝って床に流れる。

 本当、ハロルドさんって何者なのかしら。無理難題も大抵魔法で何とかしてくれる。


 卵黄、酢、塩、油を混ぜて作った特製マヨネーズを疑似冷蔵庫から取出し、スプーンで塗り込んでいく。体力回復程度なら注意して分量を量る事もないので楽である。卵だけは別だけれど。


「リン殿が作る料理は不思議ですね。普通はもっと色々入れるのですが」

「らしいですね。でもあんまりゴチャゴチャ入れると計算が面倒で……」

「計算?」


 お次はメインの卵だ。

 塩、マヨネーズ、卵を溶いたものを、熱した四角いフライパンに流し込んでいく。本当は出汁でも入れてうま味を足したいところだが、この世界に魚を食べる文化がないらしく、鰹節も昆布も手に入らないのだ。今後の課題である。


 卵が固まりはじめたら、ゆっくりと混ぜてスクランブルエッグを作る。後はそれを二つ折りにして適度な大きさに切り、さっきマヨネーズを塗ったパンに挟む。完成だ。

 ぷるぷると震える分厚い卵焼きが食欲をそそる。


「良ければ味見どうですか?」


 一つお皿に盛ってライフォードさんに手渡す。

 レストランテ・ハロルドで受けた心の傷――もとい、舌の傷が癒えていないのだろう。一瞬躊躇したが、何も言わずに受け取ってくれた。彼は二、三度私の顔色を窺ってからタマゴサンドに口を付ける。


 一噛み、また一噛みと咀嚼するたびに瞳が見開かれていく。陽の光を反射してキラキラと光る水面のように、コバルトブルーの瞳に輝きが灯った。


「はは。ジークが通うわけだな……」


 最後の一口を飲み込んで、ライフォードさんはへにゃりと笑った。取り巻きの女性たちに見せた第一騎士団長としての笑みではなく、ただ一人の人間として心の底から湧いて出た表情。

 職務に縛られぬ素の顔は意外と子供っぽいみたいだ。


「普段はジークと呼んでいらっしゃるんですね」

「ああ、つい昔の癖が……。実は私たちは血が繋がっていないのです。元々は幼馴染。昔のあいつは、あなたに少し似ていたかもしれません。真っ直ぐで、無鉄砲で」

「う。むてっぽう……」

「すみません。でも褒めているんですよ? 子供の頃のジークは、私にとってヒーローでしたから。今はどこか、本気を出すのを恐れているような、諦めているような……」


 どこか遠くを見つめるブルーの瞳は、ガラス玉のように透き通っていた。似ていないとは思っていたけど、血が繋がっていないのなら納得だ。


 大人で落ち着いていて、思慮深い上に懐も深い。私に似ていたなんて、今のジークフリードさんからは想像も出来ないわ。真っ直ぐで無鉄砲とは真逆だもの。

 何かと私に気を使ってくれるのは、それが原因なのかしら。


 ライフォードさんの中にいるジークフリードさんを知りたくて、じっと彼を見つめてしまう。ライフォードさんは私の視線を優しく受け止め、少し話してくれた。


「あいつが私の弟になった日、その日からどうも距離が遠くなってしまって。だから実際、ジークの私服を見るなんて久しぶりですし、兄としては喜ばしいのですよ。大体私がいると彼は無表情か少し怒った顔しかしないのですが、あなたがいると私が一緒にいても色々な表情をしてくれる。感謝しています、リン」


 リン、と涼やかな声で呼ばれ、手が止まる。


「あ、失礼しました。つい自然と」

「良いですよ、リンで。その方が呼びやすいでしょうし」

「ありがとうございます。では改めて、リン。……あの、あなたに一つお願いがあります」


 ジークフリードさんに関する事だろうか。私は神妙な趣で頷く。


 しかしライフォードさんは「皆が戻ってくる前にもう少し、いただけませんか?」と悪戯を内緒にしてほしい子供のように人差し指で唇を押さえ、片目を閉じた。

 これはこれは。もしや常連客をゲットしたのではないだろうか。


 私はもちろん、笑顔でサンドウィッチを差し出した。


「そういえば、リンは納得されているのですか? ハロルドの作戦について。いただきます」

「メニューとして出す以上、半端なものは出したくないとは思います」


 数を作らなければいけないので、卵を焼きながら会話をする。凄く食堂っぽくて良い。

 レストランテなんて大層な名前がついているけれど、名付け親は格好いいから付けただけで中身は大衆食堂だから食堂だよ、と言っている。紛らわしいわ、本当に。


 もっともレストランも食堂も、意味は大して変りないんだけれど。


「まぁ、やり方はいくらでもあります。ハロルドさんの無茶振りはいつもの事ですから、慣れました。あっちが曲げないのなら、本筋を離れない程度に迂回策を提供すればいいだけの事です」

「意外と手綱を握ってらっしゃるのですね。ああ、パンに塗っているこのクリーム。とても好みだ」


 ハロルドさんは意外と冷めている人だ。出来ない人間には無茶を言ったりはしない。彼の無茶は期待の裏返し。出来ると信じられているのだ。ならば、応えなければ女が廃るってものよ。


「具体的には決まっているのですか? むむ、やはりこの卵が癖になる」

「ええ、まぁ。期間限定の試飲にでもしようかなって」


 店で本格的に売り出す前の試飲期間と名をうって、儲け度外視の安価で提供するのだ。もちろん赤字にならない程度に、だが。スーパーなどで行われている試食に近い。

 ただし試食程度の量では効果が薄いので、材料費分を貰って販売。後々の本販売に繋げていこうという魂胆だ。


 スーパーなどと違って小回りが利くので、感想を元に味を弄れると言うのもポイントが高い。後は効果時間のアンケートでも取って、うちに持ってきてもらうのも良いかもしれない。効果時間の参考になるし、うまくいけば固定客にも繋がる。

 問題は値段だが、ハロルドさんはそれについて文句を言ってきた例がないので、了解してくれるはずだ。


「なるほど。確かにそれは良いアイデア……んむ、美味い」

「あれ? サンドウィッチの減り激しくないです!?」


 たくさん作っているはずなのに、全然増えないなと思っていたら。作れば作るほどライフォードさんの胃の中に吸い込まれていたらしい。

 腹ペコさんですか、あなたは。


「味見の限度を超えています! ステイ、ステイ! これ以上は駄目です!」

「……あと一つ」

「上目づかいを駆使しても駄目です! 引っかかりませんからね!」


 ともかく、材料をかき集めてササッとサンドウィッチを量産し、私は一息ついた。ライフォードさんの摘み食いが無いと、ちゃんと山盛りになるのね。ビックリよ。どんだけ作ったと思っているのかしら。


「ライフォードさん、あとは昼食用です」

「さすがに少し反省していますので、大丈夫です。手を伸ばしたりはしませんよ。昼食もありますしね」


 あれだけ食べてまだ食べる気なのかしら、この人。人って見かけによらないのね。


「では、私はそろそろメニュー作りに取り掛かります。ライフォードさんはゆっくりしていてください」

「いいえ、私も手伝いましょう。さすがにずっと座っているだけというのも罪悪感がある」

「そう、ですね……」


 今回の材料で問題なのはニンジンだ。

 茹でてすり潰すか、食感を入れるために細かく砕くか。優先度的には低い食材だが、こういう細かな違いも味に関係してくる。


 ただ、ミキサーがないのでいかに細かく砕くかが問題だ。美白ジュースは頑張って潰しているのだろう、だから果肉があれほどどっさり入っていたのだ。


 とりあえずニンジンを試しに潰してもらおうとライフォードさんに渡す。

 潰すと言っても文字通り潰すのではなく、茹でてから摩り下ろしてくれという意味だ。ニンジンは固いので男性の力を頼りにさせてもらおう。


 しかし私は失念していた。ライフォードさんは公爵様。

 料理なんてした事が無かったのだ。


「潰す、とは。料理とはなかなかパワーが必要なのですね」

「あはは、さすがに潰すって言葉通りではありませんよ。硬いですし。まずは――」

「いえいえ、問題ありませんよ。ふんッ!」


 掛け声とともに粉砕されるニンジン。飛び散るオレンジの欠片。勢いよく潰されたニンジンは、至るところに打ち付けられ、重力にのっとって地面に落ちた。


 私が渡したのって生のニンジンよね。ええ、あの固い生のニンジン。それをライフォードさんは事もなげに片手で粉砕したのだ。


 ――ゴリラなの? 王子様なのにゴリラなの?


 冷静な私が、トマトを渡さなくて良かったと頭の隅で言っている。これがトマトなら軽く殺人現場だったわ。私は自分のエプロンに付いたニンジンだったものを拾って見つめた。


「これでよろしいのでしょうか?」

「……あ、いえ……違うと……思います」


 大人しく座っていてもらおうと、私は固く心に誓った。



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