16、発見
トマトと塗り薬の代金を払って店を後にする。まだまだ買うべき食材はあるのに重たい瓶詰の薬を買ってどうするのだ、私は。
人ごみを避け、路地裏の入り口辺りで腰を落ち着ける。
基本、口にするものは全部自分で作っているから、塗り薬を口にする機会は無いはずだ。考えられる原因は一つ――あの店で飲んだ『トマト真っ赤な美白ジュース』である。ハロルドさんの悪戯という可能性も捨てきれないが、限りなくゼロに近いだろう。
効果欄を確認すれば分かると思って見てみるも、食べた量が少なすぎるため、あと何グラムか口にしなければ正確な数値が出ないようだ。確証を得るためには確実に食べなければならない。
私は肺に目一杯空気を取り込んで、盛大に吐き出した。
ええい、覚悟を決めなさい私。便宜上薬と呼んでいるだけで、ただの蜜じゃない。
「魔物のだけどね! 良いわよ。もう、腹くくったわよ!」
これがオーナーさんの言っていた最後の素材ならば、戦況は大きくこちらへ傾く。きゅぽん、という可愛らしい音と共に瓶の蓋が取れた。
「は、腹は括ったもの……」
とりあえず一口。指ですくって舌へと運ぶ。ねっとりとした舌触りに対し、甘さは控えめ。ハチミツのような独特のクセもない。
何らかの処理をして飲み物に混ぜていた可能性も考えていたけれど、違うみたい。トマトの奥から微かに感じていた甘味。魔物の蜜とは思えないくらい控えめで、上品な甘さだったと記憶している。間違いないわ。
「意外とおいしい……」
素材そのままの味は、思っていたよりも美味しかった。
私はもう一口、指に付けて舐めとる。ハマってしまいそうだわ。うまうま。
「すまない……君がそこまで疲れていたなんて、知らなかった……」
「はい?」
影が差したので、曇ってきたのかな、なんて気楽に空を見上げるとジークフリードさんが驚愕と悔しさをにじませた顔で私を見下ろしていた。
彼はものすごい速さで膝を折ると、私の両肩を掴んだ。
「リン、何か辛い事があったのなら言って欲しかった。俺に出来る事なら努力する。ハロルドの事か? 店の事か? なぜ、何も言ってくれなかったんだ……」
「いえ! あの、私は大丈夫ですから!」
「嘘をつかないでくれ。俺はそんなに頼りないだろうか? いや、自分で情報収集するくらいだもんな。頼りないのか……」
私の肩に額を置き、ぎゅうと腕を握る手に力を込める。
聖女について市場で情報収集していた件、想像以上に気にしていらっしゃったのね。申し訳ない気持ちになる。同時に、あと少し近づいてしまえば抱きしめられているのと同じ距離になってしまうので、身じろぎしながら距離を取った。――残念ながら、引き戻されてしまったけれど。
「あの、本当に大丈夫なんですって! 嘘じゃありません。とりあえず普通に話しましょう。顔を上げてください。ね?」
「……きっと情けない顔をしているから、できない」
ああもう、可愛いこと言わないでください。心臓が爆発しそうよ。
全方位に魅了を振りまくライフォードさんに対し、一人に対してクリティカルヒットを仕掛けてくるジークフリードさん。実は似たもの同士なんじゃ、と私は少しだけ思った。
全体攻撃か、単体攻撃かの違いだけだわ。
私は正面を向いていられなくなり視線を下に向けた。そこでやっと気付いた。私は今、例の塗り薬を手に持っていたのだ。
こいつのせいか――! 私馬鹿じゃないの!?
そりゃそうよね。姿が見えなくなって探していた人間が、路地裏で塗り薬を美味しそうに食べていたら、ビックリするわよね。疲れていると思うし、むしろ頭大丈夫かって話になるわ。
自分の迂闊さに乾いた笑いしか漏れない。
ヤバイ奴だと見なかったフリをしないジークリードさんは、本当に優しい人だ。尊敬する。
「あの、順を追って説明しますので、ちょっと話を聞いてくださいね?」
「ぅん?」
顔を上げたジークフリードさんの瞳に映った私は、自分でも心配になるほど耳まで真っ赤になっていた。
* * * * * * *
「……なるほど、つまり俺たちはこれを口にしていた、と」
お腹を押さえながら、ジークフリードさんは言った。自分と同じ反応に安心する。
蜜だと言い聞かせても、薬として使っているものを口にしていたとなると、気分は良くないだろう。
「すまない。本当に君には格好悪い所ばかりを見せている気がする……。挽回しようと今回の事を企画したのに、全く挽回できていないな……」
「いいえ、私めちゃくちゃ紛らわしかったですし!」
「それで……。効果の方は間違っていないのか?」
勘違いをしていたのが恥ずかしいのか、口元を押えてわざとらしく話題を変えるジークフリードさん。これは乗るしかない。
「はい。見てみたところ、やっぱり破格の効果を有していました。オーナーさんの言っていた通り、十分間の時間延長。しかも分量のパーセンテージは、まさかの『なし』です。これを入れれば、問答無用で十分間効果が延長します」
よくこんなもの料理に使おうと思ったわね。何かのきっかけで偶然混入したとしても、飲んでみようと思ったのは純粋に凄いと思う。チャレンジャーな料理番がいるのかしら。
自信ありげなオーナーさんの顔が脳裏に浮かぶ。食材のステータスを見る力がなければ、一生かかっても辿り着けなかったはずだ。
ただ、想定外の事もある。パーセンテージがない事だ。分量を調整したら更に長時間効果を延長させることが出来ると思っていたのに、当てが外れてしまった。
「うーん、使えると思ったんですけど……ん?」
効果欄の最後尾に、ビックリマークのような模様が赤く点滅している事に気付いた。
初めての経験だ。物は試しとばかりに指で突いてみる。どうせすり抜けるだけ。そう思っていたが、意外にも変化が起こった。ビックリマークから吹き出しが出現したのだ。
「え? これって……」
書かれていたのは注釈みたいなもの。ただし――。
「魔力を通すことで、更に効果時間が伸びる?」
それは一筋の光明だった。