12、黒の聖女
「表記詐欺にもほどがあるわよ! 良いから店長出しなさい店長! 効果が持続しないなんて一言も書いてないじゃないの! 気付かないで鍛錬を続けようものなら真っ黒になっていたわよ。美白なめんなっつーの!」
修道女のような長い黒のワンピースに黒い頭巾を被っている女性が、カウンターで烈火のごとく怒りをあらわにしていた。
ただ髪をまとめてはおらず、ワンピースも動きやすいようスリットが入っている事から修道女ではないと分かる。そもそも聖職者が飲食店で怒鳴り散らすわけがない。
彼女はスリットを限界まで活用し、近くにあった椅子の上に足の裏を叩きつけた。
「ぼさっとしない! ほら、そこの子、メニューを持ってきなさいよ、めにゅ……」
入り口近くにいたウェイターに指示を飛ばそうとして振り向く。当然、入店したばかりの私とジークフリードさんは、彼女の顔をバッチリ見てしまった。
ええ、似た声だとは思っていたけれど、ご本人だなんて思わないじゃない。
彼女の方も私たち――特に私だと思う――に気付いて目を丸くした。まるで時が止まったかのように静寂を取り戻す店内。彼女は数秒固まった後、コホンと咳払いをして足を床に付ける。そして何もなかったと言わんばかりにワンピースの皺を叩いて元通りにし、慈愛を湛えた表情でこちらに向き直った。
「ごきげんよう。まさかこんな所で出会えるとは思っておりませんでした。一カ月近く経ちますが、息災のようで安心しました」
「……さすがに無理があります。聖女様」
「チィ、やっぱりそうよね! 分かってたけどね! というかお願いだから聖女って呼ばないで。聖女バレしちゃったら怒鳴れないじゃない」
なびく黒髪を片手で払い上げ、フンス、と鼻を鳴らす。
確かに顔は私と一緒にこの世界に召喚された黒髪の聖女様である。しかし「私よりあなたの方が大変だから。ごめんなさい」と俯きかげんに謝った、あのクールビューティの面影は綺麗さっぱり消え失せていた。
隣ではジークフリードさんが額を押さえている。一般食堂で聖女様が怒鳴り散らす場面に遭遇したのだ、騎士団長的に胃が痛いのだろう。お疲れ様です。
「そもそも聖女が怒鳴り散らすのは……いや、今更だな。一体君は何をそんなに怒っているんだ?」
「そうね。見てもらった方が早いと思うわ」
聖女様は周囲を見回したのち、空いている壁際の席を指差した。
「ウェイターさん、あそこのテーブルに座るから例のあれ持って来てちょうだい。四つでいいわ。もちろん、誇大表示のメニューもね。大丈夫、お金は払うわ。第一騎士団長サマがね」
「第一騎士団長って事は、あいつも来るのか……」
「ええ、撒いてきましたけど。もうそろそろ追いつく頃かしら。っと噂をすれば」
聖女様が扉へ目を向けるのと同時に、男性が店内へと飛び込んできた。綿菓子のようにふんわりとした金髪に、海の底を思わせるコバルトブルーの瞳。童話に出てくる王子さながらの美青年だ。
二人の会話から、彼が第一騎士団団長だと分かる。
普段ジークフリードさんが着ているものと同じ型の騎士服を着用していたが、彼の方は着崩しもせず、第一ボタンまできっちりと留まっている。
更にジークフリードさんが赤を基調としているのに対し、彼の服は純白。動きに合わせて揺れるマントは、濃い青をしていた。それが王子様らしさを加速させている。
「聖女様、勝手に動かれては困ります。さぁ、城へ戻りましょう」
「できません。こんな詐欺広告を堂々と掲げているこの店を、許しておけるものですか。ええ、二人にも食べてもらって、どっちの言い分が正しいか決めてもらうつもりでいますので、邪魔しないでくださいね?」
「二人? ……ジークフリードじゃないか」
ブルーの瞳に見つめられ、ジークフリードさんはバツが悪そうに目を逸らした。
「お前が来ると知っていたら、別の店にしていた」
「つれないな。兄に向ってその態度。だが今は職務中だ。こういう会話をすべきではないか……」
兄ですと?
私はジークフリードさんの後ろに隠れながら、二人を観察してみた。兄弟共に、世の女性が放っておかない程の美形である。しかし雰囲気がまるで違う。片方が父親似で、もう片方が母親似って事なのかしら。
ともかくだ。いつまでも入り口に留まっていてはいけない。ウェイターさんが困ったようにこちらを見ているのに気が付き、私は目立つ美形ズに声をかけた。
「あの、とりあえず席に座りませんか?」
* * * * * * *
「そういえば、まだ名乗っていなかったわよね? いい機会だし、お互いの情報を交換いたしましょう」
そう切り出したのは聖女様だ。
彼女の名前は篠村梓。年齢も近い事から、梓と名前で呼んでくれと言われた。
どうやら彼女、パワハラ上司に堪忍袋の緒が切れ、辞表を提出したその日に召喚されたらしく、「家族に会えないのはちょっと寂しいけど、ここの暮らしは好きよ」との事。気の強さは最初からだったと言うわけだ。異世界に来て自暴自棄になった、とかではなくて良かったと思う。ビックリはしたけれどね。
「まぁ、それとこれとは別として、召喚魔法ってやつ? を蘇らせた奴はぶっとばすわ。絶対に。それくらいしても良いでしょう」
「聖女らしからぬ発言は慎んでいただけませんか、士気にかかわる」
お兄さんは疲れ切った表情で梓さんを一瞥すると、私に向き直った。胸元に手を置き、小さく頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私はライフォード。ライフォード・オーギュスト。ランバートン公爵家の長男であり、第一騎士団団長を務めております。一応、ジークフリードの兄という事になっておりますが、この件は少々ややこしいので今回は割愛させていただきますね。リン殿、貴方のお話は常々聞き及んでおりました。こちらの不手際で城下に下ったとのこと、大変申し訳なく思っております」
「い、いいえ! 気になさらないでください。城下に住みたいと申し出たのは私ですし、今の生活に満足していますので」
「お気づかいありがとうございます。お優しいのですね。何かありましたら、ジークフリードにお申し付けください。暗黙の了解で、彼が貴方の担当という事になっておりますので」
「担当?」ジークフリードさんを見上げると、彼は頷いて説明してくれた。
聖女召喚の儀で呼ばれるはずだったのは一人。しかし二人と私が召喚されたせいで、誰が護衛につくか少し揉めたみたい。歴代護衛を担当していたのは第一騎士団団長。当然彼が聖女の護衛を担当する事になったのだが、もう一人は第一王子が頑なに離さなかったそうだ。
この話題が出た瞬間、梓さんの表情がものの見事に歪んだ。そりゃもう般若のように。気持ちは分かる。私も話を聞いただけで情景が思い浮かんでしまうくらい、第一王子の贔屓っぷりは凄かったもの。
「コホン、えー、話を戻そう。それでリンの立場なんだが、君が聖女であることは無いとされているので自由は保障されている。けれど、向こうに帰す方法は今のところ見つかっていないので、陰ながら支えろというのが王のお考えだ。王子は噛んでいないから、安心してほしい」
「陰ながらどころか堂々と毎日通っているらしいじゃないか、ジークフリード。今日なんて、ああでもないこうでもないと朝が苦手なお前が早起きして服を選んでいるから何事かと――むぐぅ」
「余計な事しか言えないのかお前は!」
ライフォードさんの口を押さえにかかるジークフリードさん。普段は落ち着いた大人の男性といった風だけれど、こういう子供っぽい一面もあるのかと、自然に頬が綻んだ。