10、デートではありません
私がこの国に召喚されてから1ヶ月あまりが経過した。身体に違和感を覚えることはなく、健康そのもの。むしろ規則正しい生活が送れているので、前より調子が良い可能性すらある。
ジークフリードさんが一日に一回以上、必ずうちの食堂にご飯を食べに来てくれるので、心の栄養もバッチリだ。私好みのイケメンに毎日出会えて、なおかつ美味しそうにご飯を食べる様を観察ーーおっと、失礼。トレイで隠して覗けるのは最高のご褒美だと思う。
最近は、というより初日からだが、私は主にハロルドさんの手伝いと新メニュー作りに没頭している。
表向きは体力が回復する料理で、食堂のメニューもそれらばかりが並んでいるが、店を閉めた後は違う。体力回復以外の効力を持つ料理を、いかに美味しく最大限の効果を発揮させるかの研究を行っていた。ハロルドさん曰く、ジークフリードさんにバレてはいけないそうなので、秘密裏の研究だ。仮説を立て、材料を揃え、調理をし、実食の後、効果を確かめるため実験を行う。
実験だけはどうにも慣れず、分かっていても毎回心配してしまうので、こればかりは心労が絶えなかったが、なかなかどうして充実した毎日を送れていると思う。
ただ、問題が一つあった。
「お客さんが全く来ない……」
そうなのだ。私の後ろでは閑古鳥が鳴いていた。
特に今日はハロルドさんが所用で出掛けているので、物音1つしない。お昼の食事処にあるまじき静けさだわ。
いくら味を劇的に改新させても、人が来ないのでは意味がない。ジークフリードさんも気にして部下の騎士団員さん達にそれとなくオススメしてくれているらしいのだが、「最初の印象が尾を引いているらしくてな。俺もハロルドの回し者かもと警戒されていてどうも……」と落胆した表情で伝えられた。
話を聞いている限りジークフリードさんの信用がないのではなく、彼がハロルドさんの料理を文句も言わず食べられて、更に無茶苦茶な実験にも怒ったりしないから、ハロルドさん関連だけは疑り深くなっているみたいだ。
もっとも根本的な原因は、最初に開店パーティーと称して、凄まじい料理を無理矢理食べさせたせいで、その恐怖が頭から離れないというトラウマを騎士団員さん達に植え付けたハロルドさんなんですが。
全部店長のせいじゃないの。
「リン、今日も来てしまった」
チリン、と扉に取り付けてある鈴が軽やかに鳴り、ジークフリードさんが顔を覗かせる。
「お待ちしていました、ジークフリードさん」
「ははは、毎日すまない。もうここの料理でしか満足できない身体にされてしまったようだ」
「ン゛、ありがとう、ございます……!」
照れたように頬をかきながら、平然と殺し文句を投げつけてくるものだからジークフリードさんは凄い。私の中の尊いメーターが振り切れそうになる。
必死で平然を装い、オーダーをとって調理に取り掛かる。手早く美味く。早めに訓練所に戻らなくてはいけないらしく、そうオーダーされた。
ならばちょうど良い。本日の料理番の気まぐれ、ミートソーススパゲッティにしておこう。ソースは作っておいたので、後はパスタを茹でて和えるだけだ。
トマトには火傷防止効果があるが、実は慎重に分量を調節しなければ効果が現れないらしく、このソースには何の効果もない。強いて言えば体力が回復するくらいだ。
茹であがったパスタにミートソースを絡め、ちょこっと味を調整するために調味料を加える。完成だ。くるりと巻いてお皿に盛り付け、フォーク・スプーンと一緒にテーブルへ運ぶ。
「はい、どうぞ」
「おお、本当に早い。とても助かる」
どうやらジークフリードさんは濃い目の味付けの方が好みらしく、彼の料理を作るときは効果が阻害されない程度に濃くするようにしている。
「はぁ、やはり美味しいな。適度な酸味とうま味がパスタに絡まって止まらなくなる。この肉の触感も良い。本当、部下たちにも食べてもらいたいのだが……客足はどうだ?」
「全然ですね。もう、何しでかしたんだか、うちの店長サマは」
「苦労をかける」
ジークフリードさんは真面目だ。彼が悪いわけではないのに。
でも、実際問題このまま手をこまねいているわけにはいかない。何か打開策を考えなくては。研究の毎日も楽しいけれど、食べてもらえなくては食堂を開いている意味がない。
「うーん、敵情視察でもしてみようかしら」
「敵情視察? 他の飲食店を見てみるのか?」
「はい。どんな感じで客寄せしているのか、どんな味なのか。やっぱり知っておくべきかなと思いまして。ハロルドさんは気にするなって言ってましたけど、気になりますよ」
「なるほど……」
ジークフリードさんは少し考えるようにパスタを見つめた後、「ならば俺が案内しよう」と爽やかに笑って見せた。
「そろそろ休暇を取らねばと思っていたところだ。ちょうど良い」
「い、いえ! そんな大事な休暇を頂くなんてできません。ゆっくり休んでください。一人で大丈夫ですから!」
「初日の失態の詫び、まだだっただろう? 一緒に出掛けてくれると俺も嬉しい」
まだ覚えていらしたんですか。すっかり忘れてしました。
むしろ思い出してしまえば、同時にジークフリードさんのあの姿と体温が脳裏に浮かんでしまうので、意図的に封印していた節がある。駄目だ駄目だ。思い出してはいけない。ぶっ倒れてしまう。
薄々気づいていたが、ジークフリードさんは無自覚天然ドンファンだ。女性が喜ぶ台詞を他意なくさらっと言ってのける。二人きりで外出なんて、平常心でいられる自信がない。嬉しいけど無理。
ここで誘惑に負けて頷いてしまえば、敵情視察どころではなくなってしまう。料理を食べに行くのに緊張で味がしない、なんて意味がない。
「それに家にいるよりリンの傍にいる方が落ち着く」
「そういうとこですよジークフリードさん!!」
「ん?」
やっぱり自覚なしか。知っていたけれど!
「じゃあ、ハロルドさんも一緒なら……」
「む。ハロルドは店番だろう?」
最後の砦もあえなく崩された。ハロルドさんに言ったら「この僕を壁扱い? あはは面白い冗談だ」と笑顔で鼻を摘ままれそうだが。
ジークフリードさんの瞳を見る。決意は固いみたいだ。私が頷くまで何日でも粘ってやる、という気概が感じられる。止めていただきたい。どうやら私に拒否権はないらしい。
「俺と二人は嫌か?」
「……わかりました。わかりましたから、そんな目で見ないでください! よろしくお願いします!」
上目使いに見つめられ、私は自然と頷いてしまった。
考えてみてほしい。推しメンからお誘い、そして可愛らしい上目使い。断るって方が無理な話よ。無自覚って恐ろしい。
「よし。では、家まで迎えにいこう。ルールみたいなものだから拒否権は無いぞ。君はこの話題になるとすぐはぐらかすからな。流石に今回は教えてくれると信じている。まさかと思うが、まだハロルドに厄介になっているわけではないだろう? ん?」
「まさかこれが狙いですか……!?」
まずい展開になった。
ジークフリードさんの屈託のない笑顔が恐ろしい。いつまでも誤魔化すのは不可能だと自覚はしていたけれど、ついにこの日が来てしまった。
「実は――」
私は細々と話し始めた。
ハロルドさんの家に泊まった次の日。宿屋に泊るか、いっそ部屋を借りるか悩んでいたら、ハロルドさんがタンスを買ってきたのだ。「すぐには決まらないでしょ、だから必要だと思ってね」と笑顔で言われたら断れるはずもなく、とりあえずもう一日泊まる事にした。
そしてその次の日には「女性には必要だと思って」と姿見を。それらが重なって、ずるずると居座る事になってしまったのだ。
気付けば空き室は私の私物で溢れかえっていた。
「……リン。それは外堀を埋められているのでは?」
「え?」
「くそ、ハロルドに限って何もないとは思うが。やはり奴には後で……」
「はぁい、僕が何だって?」
ふわりと一陣の風が吹き、床の模様に擬態していた魔法陣が光り輝く。立ち昇る光の柱。光が収まると、まるで最初からその場にいたように、ハロルドさんが立っていた。
「ほいっと。転移魔法陣はやっぱり便利だねぇ。仕込んでおいてよかったよ」
「高等魔術をこうもポンポン使って。少しは歩け馬鹿者。――って今問題にすべきはこれじゃないな。リンは住み込みで働いていると聞いたが、どういうことだ?」
「ああ、その事」
ハロルドさんは私をちらりと見たが、不敵に笑って、人差し指でジークフリードさんの胸をつん、と突いた。
「だって店じまいの後にメニューを作っているわけだから、当然夜遅くなるよね? そんな遅い時間に彼女一人を放り出せって言うのかい? ジークがそんな男だと思わなかったなぁ、僕」
「いや、そういうわけでは……というか、あなたが送れば良いだけの話だろう?」
「それにリンは勉強熱心でねぇ、この店のカギを渡しているんだけど、夜に思いついちゃったメニューがあったら、夜中でもやってきそうなんだよね。ほら、ここにしかない機材とかいっぱいあるしさぁ。実際夜中に起きたらリンが調理場に立っていた事も一度や二度じゃないし? 危ないと思うんだよねぇ。いやぁ僕に似てきたのかなぁ、研究熱心なのは良い事だようんうん」
「……く」
弾丸のように、息つく暇もなくリロード・着弾されるハロルドさんの言葉。あのジークフリードさんが後手に回るなんて。驚いた。私なんかが口を挿めるはずもなく、一言も発せないままにただ呆然と見つめているしか出来ない。
しかし、そもそも私の話なのに、何故二人で決めようとしているのか。訳が分からないわ。一度くらい私を間に入れてほしい。
「大体君だって、家に住み込みのお手伝いさんくらい沢山いるだろう? 僕とリンは雇主と雇われ人。それ以上でもそれ以下でもないよ。ね、ジーク?」
「……それは……そうなのだが……」
「ね?」
ジークフリードさんは盛大な溜息と共に、「……分かった」と喉の奥から絞り出した。凄い。まさか彼から許可を取れるとは思わなかった。
一か月ほど一緒に暮らしてわかったが、ハロルドさんは私を女とは見ていない。むしろ部下や弟子といった位置が一番近いと思う。私が無理にでも部屋を探しにいかないのは、これも一つの理由だった。
心配がないなら、近くて便利に越したことはない。
「はい。保護者からの許可いただきました―」
「俺は保護者になった覚えは……」
「ん? まぁ、僕の方が保護者に近いか。あ、そうそう。ここでお知らせです。お時間大丈夫? 騎士団長さま」
「……あ」
早めに訓練所に戻らなくてはいけない、と言っていたのを思い出す。ここに立ち寄ってから随分と時間が経過していた。
「覚えていろよハロルド! 後、代金は付けておいてくれ、すぐに払いに行くから! リン、その時に日取りを決めよう!」
「あ、はい。よろしくお願いします」
慌てて出て行くジークフリードさんの後姿を、私は手を振って見送った。嵐の様な時間だったわ。
心を落ち着かせるために、近くにあったコップに水を汲む。さて、服の調達もしなければ。ジークフリードさんの隣を歩くのに、下手な格好出来ないもの。
「ねぇ、リン」
「何です? ハロルドさん」
「日取りって何? 結婚式でもするの?」
ハロルドさんの一言に、私は盛大に噴き出した。