幕間「それは祝福ではなく」
言の葉が力を持つと言うのならば――。
幼い頃の話だ。
ライフォード・オーギュストは人を呪った事がある。
呪いはとある少年の意思を捻じ曲げ、心と身体を縛り付けた。それでも彼は後悔していない。それが最良だったと、今でも信じている。
ジークヴァルト・ランバルト。
ランバルト王国、第一王子だった少年。記録から抹消された王子。彼はライフォードの言葉に「お前の言葉は、まるで呪いだな」と虚ろな瞳を歪ませて言った。
* * * * * * *
ガルラ火山遠征妨害事件は、一定の解決を得た。
白の聖女が関わっている事から、詳細は一部の人間にしか知らされていない。大事にならなかったのは、彼女が真摯に反省している事と、記憶の改ざんを行われている可能性が高かった事が、理由として挙げられる。
聖女の証言以外、証拠はない。
しかし、その証言すらも足跡を追えないよう、肝心要の情報は消されてしまっている。
これ以上の捜査は事実上不可能。
「はぁ、自分の未熟さに嫌気がさす。お前を害しようとした主犯を取り押さえられないのだからな。たとえ王族だろうが容赦はしないつもりだぞ、私は」
「いや、なぜさも当たり前のように俺の部屋にいるんだお前は」
実行犯であるノーマンの処遇、白の聖女の今後についての協議、報告書のまとめ。城に戻ってからのライフォードは、まさしく目の回るような忙しさだった。
明日は騎士団長と副団長を集めて、魔物討伐におけるスケジュールの見直しをしなければいけない。白の聖女が能力を失った今、大幅な遅れが見込まれるだろう。
まさかガルラ火山の事件が、こんな面倒事に発展するとは思ってもいなかった。ただでさえ仕事は山積みなのに。
余計な事をしてくれたものだ。
とはいえ、聖女の身体に呪詛が移らなくて良かったと考えるべきか。呪詛を解除するために黒の聖女までダウンしてしまっては、それこそお手上げである。
――ああ、疲れた。とにかく疲れた。
ライフォードは家に戻るなりさくっと騎士服を脱いで、一目散にジークフリードの私室へと突撃した。
とにもかくにも、疲れた時には癒しが必要だったのだ。
「別に良いだろう? こうやってお土産も用意してきたのだから」
「はいはい、とても良いワインをありがとう」
ジークフリードの私室は実に質素である。
ベッドにクローゼット、鏡台。そして丸型のハイテーブルに、スタンド椅子が二つ。たったこれだけだ。
ライフォードはテーブルの上に置いてあるワイン一本とグラス二つを指差して、にっこりと微笑んで見せた。
「まったく。お前は飲むと色々と面倒なんだ。ほどほどにしておけよ。あと、過激な発言は慎め。皆の模範となる第一騎士団長様、だろう?」
「……皆の模範となる第一騎士団長様、か」
ライフォードはグラスを手に持って、くるくると回した。
光を反射し、鏡のように映る自分の姿。
それは、果たして理想に近づけているのだろうか。彼を守るに値する人間になれているだろうか。
「私が騎士として忠誠を誓うのは今も昔もただ一人だけ。お前も、知っているだろう?」
「それは……もういい。忘れろと言っているだろう。お前のせいじゃない。だからもう気にする必要は――」
「そうでもないさ。私はお前を弟として、ジークフリード・オーギュストとして縛り付けてしまった。お前の命を、お前の幸せを、見届ける義務がある」
さらりと揺れる金髪の奥。
真っ直ぐなコバルトブルーの瞳が、ジークフリードを捕らえる。凪いだ海を思わせるその瞳には、迷いの色など一つも浮かんではいなかった。
決意も覚悟も、とうの昔に決まっている。
ジークフリードはぱちぱちと瞳を瞬かせた後、柔らかく微笑んだ。
「お前も本当に変わったな。子供の頃は泣き虫で、よく俺の後ろに隠れていたのに」
「そっ、そんな昔の事は思い出さなくて良い! さっさと忘れてくれ」
忘れたはずの記憶を掘り起こされそうになり、ライフォードは動揺のあまりグラスに入っていたワインを一気に飲み干した。
くらり、と視界が揺れる。顔が熱い。
酒か羞恥か。分からない。どちらにせよ、彼の白い肌は淡い朱色に染まった。
「完璧な第一騎士団長様も可愛らしい弱みがあったものだ」
「茶化すなよ」
む、と唇を尖らせれば、ジークフリードは堪えきれないとばかりにくつくつと喉を震わせて笑った。
失礼な男である。
子供の頃の恥ずかしい記憶くらい、誰だって持ち合わせているはずだ。
――いや。ジークの場合、むしろ子供の頃の方が完璧を求められていた、か。
最近、ようやく普通に笑顔を見せるようになった。
昔の話だ。
第三騎士団長は真面目で冷徹な第一騎士団長と違って常に笑っている優男だ、なんて声を聞いた事がある。馬鹿め。本心から言っているのならば、観察不足としか言いようがない。
あれは笑顔と呼べる代物ではなく、ただ口角を釣り上げているだけだ。それが一番波風と立てないと知っているから。
この男は、ずっと死に場所を求めていた。
表面上は取り繕っていても、自らを痛めつけるまでに無茶を続けていた。騎士団長に任命されてからは、部下を守るため控えめにはなっていたものの、それでも危険な場所では部下を下がらせ率先して前に出ていた。
今回の件だってそうだ。
リンがいなければ、部下に手持ちの薬を全て渡して下山させ、一人ガルラ火山へ挑んでいた可能性すらある。
ジークフリードを生に縛り付けていたのは、たった一つの幼い呪いだけ。それがなければ、彼はもうこの世にいなかったかもしれない。
でも、今は。
今はリンがいる。
「なぁ、ジーク。私が掛けた呪いは、まだ巣食っているか?」
ポツリ、と。
誰に問いかけるでもなく呟いた一言は、一種の願望でもあった。
「ん? 何か言ったか?」
「いいや。何でもない。酒が回ってきたようだ。残念だが、今日はもう部屋に戻る」
「分かった。送ろうか?」
「お前は私がかよわいレディにでも見えるのか?」
「まさか。屈強な第一騎士団長様だよ」
「よろしい」
ライフォードは満足げに頷いて、ジークフリードの部屋を出た。
まだ少し頭がくらくらする。やはり一気に酒を煽るべきではなかったか。
ふぅ、と息を吐き、近くの壁にもたれかかる。
「たとえ世界の全てが君を拒んだとしても、生きていてほしい。――この言葉が呪いだとしても構わない。君を害するものすべて、容赦はしない。それが愚かな私の、せめてもの罪滅ぼしなのだから」
いつかあの呪いが、生への祝福にならんことを。
ライフォードは願ってやまなかった。





