幕間「これが報い」
まだ日が昇り切っていない時間帯。
城下町と言えど、行き交う人々もまばらだ。
有栖は出来る限り人通りの少ない道を選んで歩き、薄暗い路地裏へと足を踏み入れる。じめじめと湿気がまとわりついて気持ちが悪い。でも、今の自分にはお似合いだと彼女は思った。
聖女様だと持てはやされて、まるで物語の主人公になった気分だった。
でも、自分は物語の主人公になんてなれなかった。
当たり前だ。他人に優しくなんて出来なかったし、自分が一番じゃなくては気が済まなかった。そんな物語の主人公なんて、バッドエンドが関の山だ。
ある意味、これがお似合いの結末なのかもしれない。
有栖は自嘲じみた笑みを浮かべた。
梓も凛も、どうしてこんな自分に優しくしてくれるのだろう。梓はまだ分かる。同じ聖女同士、いがみ合いながらも、相手がいなくなっては困ると本能的に理解していた。
でも、彼女はどうして?
――わたしとダリウスがした行為は、最低だった。
それなのに。聖女ではないと追い出され、マーナガルムの森ではさんざん貶され、必要ないとまで言われた相手にすら、困ったように手を差し伸べてくれる。
よく頑張ったね。
そう言ってくれた彼女の声が脳裏に再生され、また涙が溢れそうになった。突き放されて、自業自得だと笑われても仕方がないのに。
――わたしがもし同じ立場だったら。目の前にダリウスが現れた瞬間、持ちうる語彙全てを用いて罵倒するし、最低でも股間に一発蹴りを入れているわ。死なば諸共よ。もちろん、わたしを助けたりなんてしない。
「あーあ、最初っから勝てるわけなかったのに。何で自分が選ばれると思ってたんだろ」
ジークフリードが彼女を大切にする理由、痛いほどよく分かった。
有栖は首から下げていた紐を引っ張り、先についている漆黒色の石を手に乗せた。
「覚悟は、出来ているわ」
呪詛の解除方法を調べている過程で分かった事。何らかの要因で呪詛が解除された時、その力は呪った本人へと返る。
今回の場合、返る先はもちろん――有栖だ。
有栖は邪魔者が不幸になれと石に願った。石はその願いを個人で叶える事はせず、この石本来の持ち主と結託し、少女を呪った。そして少女の父から第三騎士団の妨害へと繋がったのだ。
有栖は方法を指定しなかった。ただ漠然と不幸になれと願ってしまった。
それが全ての元凶。
中継役とはよく言ったものだ。
確かに願いは叶った。その願いを口にしたのも有栖である。だから、これは当然の報いなのだ。
石から真っ黒い腕が伸び、有栖の頭を鷲掴みにする。
『怖いか? 聖女様』
怖い。怖いわ。怖いに決まっている。でも――。
有栖は目を逸らさず毅然と前を向いた。
「あの子が助かったなら、それでいい」
震える唇が、もつれて転んでしまわないように。
精一杯の強がりだってかまわない。一文字一文字、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
『ハッ、さすが腐っても聖女様だな』
「うるさい。焦らされるのは嫌いなの。さっさとしてくれる?」
『へいへい。それじゃあ、遠慮なく』
有栖の身体から淡い光が溢れ出す。しかしその光はすぐさま石から伸びた腕に捕らえられ、黒い靄へと姿を変える。
まるで聖女の力を食い、自らの力へと変換しているようだった。
どういうことなの。
身体が黒く蝕まれる呪い。それと同じような事が起きると思っていたのに。
薄暗い裏道よりもなお暗く、息苦しささえ感じる霧が辺り一面に広がっていく。そして、その靄は次第に集まり、黒髪の男に姿を変えた。
狐のように細くつり上がった目と、作り物のように美しい赤い瞳以外は、取り立てて特徴のない平凡な男。彼の腕は有栖の頭を掴んでいる。
という事は――。
「聖女の魔力は俺たちにとって毒だが、契約を介して正式に吸い取ったものなら話は別だ。低級魔族の俺でもこの通り。人に化けられるほどのエネルギー。さいっこうだなぁ」
男の腕から力が抜けると同時に、有栖はぺたりと地面に座り込んだ。
酷い脱力感。
極限まで聖女の力を酷使した時と同じ、あるいはそれ以上の疲労が一気に襲ってきた。
「すべて、もっていったの……?」
「いんや、さすがにそれは無理。上級魔族様なら出来なくもないだろうが。まぁ、貯蔵量の問題だな。俺が低級魔族で良かったなぁ、聖女様。せいぜい数カ月から一年程度、あんたはただの人間に成り下がるだけだ」
民衆がそれをどう思うかは知らないが、と男は心底愉快そうに笑った。
彼が何を言いたいのかくらい嫌でも分かる。
聖女の力が無くなった有栖など、ただの生意気な小娘。国や人々に「力はいつか元に戻る」と訴えても信用してくれるだろうか。力がないなら必要ない、梓がいれば問題ない、と切り捨てられてしまう可能性だって大いにある。
――本当、自業自得だわ。
「んじゃあ、俺はそろそろ行くぜ。ありがとよ、聖女サマ」
「アリス!」
男の姿が黒い靄となって空中に離散したと同時に、ダリウスの叫び声が耳に滑り込んできた。
やっぱり来てくれた――有栖は「遅いよ」と眉を八の字に寄せる。
今までのダリウスなら、きっと追いかけ来てはくれなかった。
ダリウスが変わった原因。最初はさっぱり分からなかったけれど、今は違う。彼の態度を見ていたら、手に取るようにわかった。原因は彼女だ。
「君、ちょこまかと動き過ぎだぞ! どれだけ探したと思って……アリス?」
「ごめんなさい、ダリウス。わたし聖女じゃなくなっちゃった」
へらりと力なく笑う有栖。
驚きに目を瞬かせるダリウスに、今あった出来事を話す。
呆れられるだろうか。失望されるだろうか。必要ないと、切り捨てられるだろうか。
有栖は唇をきゅっと真一文字に結んで、ダリウスの表情を伺う。
しかし予想に反して、ダリウスは静かに「分かった」と事もなげに頷いた。
「じゃあ、その間は僕が守ればいいだけだな」
「へ?」
「へ? じゃない。当面の間は黒の聖女の負担が増えるからな。君のできる範囲でちゃんとサポートするんだ。いいな? 自堕落に過ごすことは許さないぞ。……はぁ、また彼女らに頭を下げる必要があるな。まぁでも、君が無事で良かったよ」
恋は人を変えるというけれど。
――変わり過ぎでしょ。別人じゃない。
最初からこれくらい度量があって優しければ、まだ土俵に上がれたかもしれないのに。正式な召喚者として城に招待し、すれ違うたびに親睦を深め、いつか協力して問題を解決する。そうしていつか――なんて、所詮は絵空事だ。
結局のところ、自分もダリウスも土俵に上がる事すら出来なかった。
「わたし、あなたの事応援してあげたいけど、勝ち目はないと思うなぁ」
「ん? 何の話だ?」
「ジークフリード様は手強いって話よ」
なんで今そいつの名前が出てくるんだ、と言わんばかりに顔をしかめるダリウス。それが可笑しくて有栖はクスクスと笑いながら右手を差し出した。
「今まで我が儘ばかりでごめんなさい。改めて、これからもよろしく」
「ふん、君が素直なんて気味が悪いが……うん。こちらこそ。よろしく」
友人として、相棒として、また一から関係を築きたいという思いが込められた有栖の手を、ダリウスはしっかりと握りしめてくれた。
過干渉でも無関心でもない。梓とライフォードのような関係になれたらいいな。
有栖は目を閉じ、そっと願った。





