9、朝が弱いジークフリードさん
※痛々しい描写があります。
ジークフリードさんを意識しすぎて眠れないかもしれない、という私の心配は結局杞憂に終わった。色々ありすぎて疲れが溜まっていたらしい。でも布団に入って十秒程度で寝入ってしまったのは、さすがに早すぎると思うわ自分。なかなか現金な身体ね。
目覚めて最初に目にしたのは木目の天井だった。
簡易なベッドと窓に掛けられたカーテンの他には何もない簡素な部屋。辺りを見回し、改めて自宅ではないと実感する。
一晩寝て脳内が整理されたためか、不思議な点も見えてきた。
まず、なぜ私が召喚されたのか。聖女候補たちの顔を見たが、見覚えは無かった。知り合いだから巻き込まれたわけではない。召喚された時は周囲に人影も無かったので、近くにいたからでもない。私が巻き込まれてしまった理由はなんだろう。
次に、なぜ意思疎通ができるのか。
昨日はそれどころではなかったので疑問にも思わなかったが、よくよく考えると不思議である。恥ずかしながら母国語以外は話せないし、そもそも異世界の言葉なんてわかるはずもない。言葉が通じなかったら天井のある場所で眠る事すら出来なかっただろう。随分幸運な召喚だったと思う。
「まぁ、考えても答えなんて出るはずもないわよね」
私は昨晩急いで買いに走った服に袖を通し、一階に下りて行った。ピーコートのような茶色のトップスに、スキニーに近い履き心地の黒色ズボンである。
服を着替えるだけで、心構えが変わるのだから可笑しなものだ。元の世界への未練はあるが、これ以上の幸運を望むのは我が儘と言うもの。
食堂には既にハロルドさんがおり、彼は台所に立って何か料理を作っていた。
「おはようございます。ハロルドさん」
「ああ、おはようリン。その服、似合っているじゃないか」
「ありがとうございます。御代は後できっちりと返しますから」
「気にしなくても良いのに、真面目だねぇ。よし、できたっと」
ハロルドさんは完成した料理を皿に盛り、一言もなく食べ始める。どうやら朝食にするつもりはないらしい。
そもそも今彼が食べているのは、昨日作ったばかりの煮込みハンバーグだ。
「昨日食べましたよね? またですか?」
「ああ気にしないで、僕の分しかないから。ちょっと仮説を検証したくてね」
「仮説?」
「そうだよ。同じ食材、同じ配分量。同じタイミング、同じ機材。まったく同じものが作れるのかなって。味は同じだよ。とてもおいしい!」
ハロルドさんは柔らかく微笑んだ後――あろうことか自らの腕を燃やし始めた。立ち昇る火柱。ちりちりと肉の焼ける臭いが嗅覚を刺激し、息を飲む。
ああもう、この人の実験はどうしてこう無茶ばかりなのか。私は叫ぶよりも早く手近にあったボールに水を汲み、ハロルドさんにぶっかけた。
「なッ、何ッ、何をしてるんですかッ!?」
「あはは、水も滴るいい男ってね。嬉しいよ、僕でもちゃんと心配してくれるんだ」
「当たり前です! 心臓がいくつあっても足りませんよ!」
「わぁ、すごく新鮮な気分だよ」
からからと笑うハロルドさんに対し、彼の腕は赤黒く腫れていた。ところどころ表皮がめくれて血が流れている。痛々しい様子だ。同じ料理だと言ったのに全然違う。ジークフリードさんの時よりも火力を上げて燃やしてしまったのだろうか。
「なるほどなるほど。興味深いなぁ」
「そんなこと言っている場合ではないでしょう! とりあえず冷やした方が……でもこれ、水くらいじゃ……」
「大丈夫だよ。すぐ治るさ」
燃えた腕とは逆の手のひらをかざす。すると、淡い緑色の光が溢れ、時間が巻き戻るかのように修正されていく。昨日、跡も残らないと言っていたが、その通りだった。
「すごい……」
ハロルドさんの腕に腕を持ち上げて、まじまじと見つめる。傷一つ見当たらない腕に、感嘆の声が漏れた。
これなら心配する必要はなさそうだ。
「わかったかな?」
「はい。魔法って凄いですね……」
「むぅ、魔法がすごいんじゃなくて僕がすごいんだよ。まぁいいか。リン、ジークを起こしてきてくれよ。あいつ朝弱くてさ」
「え、ええ!? いや、ハロルドさんが行く方が良いんじゃないですか!?」
私にとってジークフリードさんは、この異世界において一番信を置いている人。それに加えて顔がとても好みすぎるので、傍にいるとドキドキしてしまう。ただ恋ではない。どちらかと言えばアイドルに近い感情だ。誰だって推しメンが側にいたらそうなるでしょう。
だから、ジークフリードさんに恋人がいるとなっても、「お幸せに!」と笑顔で祝福できる。そんな立ち位置。推しメンの幸せを願う系ファン心理だ。うちわに「こっち向いて」と書いて振り回すくらいの距離感が丁度いい。
「私が起こしにいくのは些かどころかかなり問題があると思います!」
「誰が見ているわけでもなし、宿屋気分で起こしてきなよ」
「どんな気分ですか……」
気を回してくれているのだろうか。私の反応が怪しかったせいで要らぬ誤解を生んでいる気がする。でも、アイドルみたいな人だと思っている、と言っても通じない可能性が高い。
宿屋なら扉の外から起こせばいいだけだし。仕方がない。私は頷いて二階へと上がっていった。
「ジークフリードさん、朝ですよー。起きていらっしゃいますか?」
部屋から返事は無い。私はもう二、三度、先程よりも大きい声で彼を呼ぶ。しかし結果は一緒。
どうしよう。朝が弱いとは聞いていたけれど、想像以上だったわ。宿屋の気分で起こしにいけ、なんて冗談もいいとこよ。
私がどうしたものかと思案していると、不意に部屋の扉が開いた。
「あ、ジークフリードさん起きて……」
「ん。……リン、か」
文字通り固まる。
思考も、身体も、何もかも凍結させられるような破壊力の塊が、目の前にあった。
眠いのだろう薄らと開いた瞳は潤んでおり妙な色気が漂っている。平時は緩やかながらに固められた髪も、今では無造作に散らばっていた。
そして何より上半身。服の上からでも引き締まった肉体だと分かるほどの造形美が、何の隔たりもなくいきなり眼前に現れたのだ。
どうして服を着ていないのか。いや、服を着ない方が楽だからって人たちがいる事くらい分かる。分かるけどどうして服を着ていないのか!
駄目だ。混乱してきた。失態を晒す前に逃げなければ。
私は無言で頭を下げ、もつれる足で転ばぬよう方向転換をする。けれど、あろうことかジークフリードさんは私めがけて倒れ込んできた。
慌てて抱きしめ、しかし支えきれず床に座り込む。
「じじじじじーくふりーどさん!? なにが――」
耳元で聞こえてくるのは、すやすやとした可愛らしい寝息。服の上からでも彼のぬくもりが伝わってきて、私の思考は漂白されてしまう。ああ、心臓の音がうるさい。脳まで直接響くような音。鼓膜のすぐ傍で太鼓を叩かれている気分だ。
「ん……」
寝心地の良い場所を探すように、身じろぎされる。
駄目だ、これ以上は死ぬ。間違いなく死んでしまう。
私は最後の理性を振り絞って叫んだ。
「ハロルドさん! ハロルドさん! ヘルプですへーループ―! 助けてくださーい!」
* * * * * * *
私の叫びを聞き、慌てて飛んできたハロルドさんに助けてもらえるまで生きた心地がしなかった。せっかく生き延びたのに、二日目にして心臓麻痺で死ぬところだったわ。
終始爆笑していたハロルドさんには、いつか絶対仕返ししてやるんだから。
そして、完全に頭が覚醒したジークフリードさんには謝り倒された。後日何かしらお詫びをとあまりに強く言われたので、私は断り切れずに頷いてしまった。
私にも悪い所はあったと思うから、気にしなくても良いのに。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。