厳しい現実だからこそ
眼鏡を掛けている女の子が眼鏡を外すと、実は可愛いなんて風潮を信用して、昔、クラスの眼鏡女子の眼鏡を片っ端から外して回ったことがあるが、結果は芳しくなかった。
別にサングラスをかけているわけでもなし、外したところで印象が様変わりすることはない。
可愛い女の子は眼鏡を外していても可愛いし、そのまた逆も然りだ。
というよりも、むしろ眼鏡によって救われているケースも決して少なくはない筈だ。
ほら、ゲレンデ・マジックという言葉もあるだろう?
スキーウェアと帽子とゴーグルによって三割可愛く見えるという、あれだ。
しかしながら弊害も存在していて、本当に可愛い女の子の素顔すらも隠してしまう。
なんかダサいウェアを着ているなと思ったら、あら不思議。
実はその下に絶世の美貌が隠されている、なんてこともあり得るかも知れない。
もっとも、美しい女は自分を着飾る術を身に付けていることが多いので、大抵はウェアもお洒落だ。
それに加えて、そうした自覚的な女はそれっぽいオーラを纏っているので、なんとなくわかる。
そもそも、そうした女共の大半はスキーではなくスノーボードを選択するだろう。
その理由としては、滑れれば格好良いし、滑れなければ可愛く映るからであると、邪推する。
颯爽と雪煙を上げながら滑走して、ついでにジャンプでも決めれば歓声があがること間違いなし。
それほどの技量がなく、コケたら起き上がれず、そして雪面に立つこともままならない状態でも、それはそれで大変可愛らしい。雪塗れになりながら助けを求める仕草など、もう堪らない。
というわけで、自らを可愛く見せたいのならば、雪山に行くのが最善だと思われる。
しかしながら、自分の容姿に自信のない者には覚悟が必要だ。
イメージしてみてくれ。
逆エッジを食らい、むち打ちになるほど盛大に雪面に叩きつけられたのを見て、男性客が助けに来る。
転んだ衝撃で、肺の酸素が失われ、ゲッホゲッホとむせている自分に、彼は心配そうに声を掛ける。
「大丈夫かい?」
「げっふぉっ! ぶっふぉっ! おぇっ……ら、らいじょぶれす」
ちょっと吐きそうになりつつも、なんとか無事を告げて、雪まみれのゴーグルを外し、お礼を述べる。
「あの、ありがとうございました……もし良かったら、何かお礼でも……」
「ちっ……ハズレか」
「えっ?」
「なんでもねーよ。じゃあ、俺は急ぐから、あばよ」
私の素顔を見た彼は舌打ちをして、滑り去って行く。
あの、私、立てないんですけど……なんて甘えた台詞を言う暇もなかった。
悲しい哉、現実とは残酷なものである。
置き去りにされて、しばらく呆然とした後、いそいそとボードを足から外し、泣きながら歩いて下山。
と、言った具合に、一見効果的なゲレンデ・マジックには相応のリスクが伴う。
トンボじゃないんだから、ずっとゴーグルを付けているわけにはいかないのだ。
外して失望されるくらいなら、最初からゴーグルなど付けずに、いっそ全裸で滑ったほうが遙かにマシだ。
詰まるところ、容姿に自信がない場合、雪山はハードルが高い。
もっと別な手段を考える必要がある。
そこで私は遅れてやってきたむち打ちの痛みに悶絶しながら、名案を閃いた。
「そうだ、バイクに乗ろう」
かなり突拍子もない名案ならぬ迷案に思われるかも知れないが、実はそうでもない。
バイクにもウェアがあり、一見野暮ったいデザインに見えても女が着ているだけで可愛く見える。
それから何よりヘルメットの存在が大きい。あれは優秀な防具だ。
フルフェイスのものならば顔全体を覆ってくれて、身体の凹凸でしか性別の判断がつかない。
それにバイザーを上げる程度なら、ブスかどうかの判別も難しいだろうと思われる。
上手に運転出来れば、格好良い。
コーナリングで膝をスリスリして、立ち上がりでウィリーなんぞかましてやれば、男などイチコロだ。
すぐに後を追っかけて来て、壮絶なバトルを繰り広げ、そして熱い友情と愛情の狭間でとろけ合う。
「か、完璧だ……天才すぐる」
思い立ったら吉日ということで、免許を取りに教習所へ。
「それじゃあ、まずはコースを見せるから後ろに乗って」
「あ、はい。よろしくおねがいしましゅ」
「しっかり捉まっててね」
「こ、こうでしゅか?」
「あんまりくっつきすぎると運転しづらいから、もうちょっと離れて」
「あ、はい。しゅんましぇん……」
こうした教習所においてありきたりな教官の迫害にも耐え、なんとか普通自動二輪の免許を所得。
事前にウェアとヘルメットは揃えた。わりと高くて、手痛い出費である。
それでも期待に胸を膨らませて、ローンで買った中古の400ccのバイクに跨がり、いざ公道へ。
「わわっ! どへっ!?」
走り出してすぐに信号を曲がる際の低速運転時にバランスを崩して転倒。
十字路のど真ん中でコケたことにより、四方八方からクラクションが鳴り響く。
ペコペコ頭を下げつつ、なんとかバイクを起こそうにも、動転している為、上手く力が入らない。
そんな私を見かねて車から降りてきて手伝ってくれる王子様……なんて者は当然ながら存在せず。
世の中の厳しさを知った私は、泣きながらなんとかバイクを起こしたのだが。
「ああっ!?」
勢い余って、今度は反対側に倒れてしまった。
「もうやだ……うわーん!」
心が折れて泣き始めると、罵声が飛び交い、ついには警察が呼ばれた。
「大丈夫ですか?」
「ひっ……た、逮捕しに来たんですか?」
「これくらいでは逮捕なんかしませんよ。ですが、交通秩序を乱さないような運転を心がけてください」
「も、申し訳ありませんでしたっ!!」
おまわりさんは優しかったが、それは仕事だからだろう。
あっという間にバイクを起こして、路肩に寄せくれた。
心底反省して頭を下げて パトカーに乗り込んで帰って行くおまわりさんを見送る。
それから、おっかなびっくり運転を再開して、すぐに自宅に戻った。
ウェアを着込んだまま、ヘルメットを胸に抱いて、三角座りで反省会。
今回の敗因は、バイクの重さを侮ったことにある。
見栄を張って400ccのバイクなど買ったのが間違いだった。
すぐさま売却して、ローンの返済に当てたのだが、少々足りず、その後なんとか残高を払い終えた。
そして、今度は250ccの軽いバイクを購入。
「よーし。これなら勝つる!……って、あれ?」
颯爽と跨がり、発進しようとして、エンスト。
やれやれ、どうやらすっかり腕が鈍ってしまったようだ……参ったぜ。
いや、鈍るもなにも、免許所得以来、運転したのは大失態を犯した最初の1回のみなのだが。
それでも変な自信が後押しをしてくれて、なんとか発進。
フラフラ、ギクシャクしつつも、私はバイクを走らせた。
「おおっ! 良い感じ!」
軽いバイクは、とても運転し易かった。
流石に自転車よりは重いが、感覚はわりと近い。
たぶん、軽ければ軽い程、楽なのだろうとは思うけど、原チャリに乗るつもりはなかった。
おかしなプライドを頑なに曲げることなく、しばらくそのバイクを愛用して、運転を続けた。
「おや? そろそろお腹がすいたのかい?」
バイクと過ごしているうちに、なんだか愛着が沸いてきて、話しかけることが多くなった。
燃料メーターがそろそろエンプティなので、餌をあげることにする。
自宅の近くのセルフの給油所で、先の曲がった注ぎ口を突っ込み、中をパンパンにしてやる。
「もう入らないの? もっと入るでしょ? ほらほら、どんどん入っていくよ?」
調子に乗ってそんな卑猥なことを言ってたら、タンクからガソリンが溢れた。
「どぅあっ!? た、大変なことに……!」
「お客さん、零さないで下さいよ」
「す、すんましぇん……」
一面ガソリン塗れになって、慌てていると、店の奥から店員がやってきて怒られた。
平謝りを繰り返して許して貰い、乾くまで危ないからと言われて、ガソリン塗れのバイクを暫く放置。
仕方なく、スタンドに置かれた自動販売機で、ジュースを買って一杯やろうと思ったら。
「なんてことだ……ヘルメットが邪魔で、ジュースが飲めない」
これは思わぬ大誤算。
こんなことになるなら、ジュースなど買わなければ良かった。
しかし、もう買ってしまった手前、後戻りは出来ない。
やむを得ず、なるべく目立たないようにヘルメットを脱いで、コソコソ自販機の影でジュースを飲んだ。
「はあ……なかなか上手くいかないな」
晴れ渡った空を眺めながら、ため息を吐きつつ、そう口にすると、なんだか泣きたくなった。
言葉には力があって、声に出すと、酷く悲しい気持ちになる。
下を向くと溜まった涙が零れると思い、上を向いたまま、ジュースを飲んで誤魔化そうとして。
「ごっふぉっ!? げっふぉっ!?」
気管に入って、飲んだジュースを噴水のように吹き出すと、顔中ベタベタ。
おかげで涙は止まったものの、こんな有様では次にヘルメットを被る際に、中が汚れてしまう。
とはいえ、それを被らずに公道を走ることは出来ないので、仕方なく被る。
「おぇっ……ガソリンとジュースが混ざった匂いで、吐きそう」
零したガソリンが乾いた愛車に跨がって、帰宅した時には、もう完全にやられていた。
すぐにシャワーを浴びて、ベタつく顔面を洗い流して、ひといき。
すっかり汚れたヘルメットのことを忘れてそのまま放置してしまい、次に被る時に地獄を見る羽目になる。
「そう言えば、どうしてバイクなんか買ったんだっけ?」
ある日、ふと購入に至った動機がわからなくなり、自問する。
「なんだか、大切な目的があった気がするけど……ま、いっか」
それがなんであれ、もはやどうでも良かった。
バイクに乗っていると楽しいし、気持ちが良い。
辛いことや苦しいことを忘れて、風になれる。
「ひゃっほーい!」
たまに、立ち乗りをして全身で風を浴びると、まるで飛んでいるような感覚になれた。
例えるならば、そう、豪華客船の船首で、いちゃいちゃしているような、そんな気分。
もちろん、そんな私の背後には誰もいないのだが、それが現実である。
映画ではないので、イケメンと仲良くなって結ばれるといったことはありえない。
しかし、映画ではないからこそ、氷山にぶつかるようなこともなく、無事でいられた。
何年か乗っていても、運転が上手くなるような兆しはなく、のんびり走ってばかり。
それもあって、ハイサイドで対向車線に投げ出されるようなこともなく、こうして生きている。
そう考えれば、そう悪い話ではないと思う。
決して良くはないが、かといってそこまで悪くもない、そんな人生。
少なくとも、悲観して泣くほどではないだろうと考えて、これはこれでいっかと思っていたのだが。
「あ、コケた」
ある日、いつものようにツーリングしていると、交差点でバイクの転倒を目撃。たぶん、握りゴケだろう。
一応念を押しておくが、今度は私ではない。見ず知らずのバイクである。
すぐに信号が変わり、障害物への非難のクラクションが四方八方から鳴り響く。
倒したドライバーは、慌ててバイクを起こそうにも、上手く出来ない様子。
その気持ちは、よくわかる。焦ってしまって、どうにもならないのだ。
それはまるで、過去の自分を見ているようで。
居ても立っても居られずに、私は路肩にバイクを停めて、助けに向かった。
「だ、だいじょぶ、ですか……?」
「す、すみません、今起こしますので!」
「あ、焦らずに、ゆっくりでいいですよ」
そんな言葉をかけて、手伝った気がするが、よく覚えていない。
なにせ人助けなんかしたことがなく、ガチガチに緊張していた。
その証拠に、倒れたバイクを起こす際に、前回と同じく勢い余って反対側へと倒してしまったくらいだ。
それでも、今度は私のバイクではないし、2人での作業なので、落ち着いて冷静に対応。
決してスマートではないが、どうにかバイクを起こして、路肩に寄せてひといき。
「よ、よーし、これでもう大丈夫ですね」
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ、お気になさらずに……それでは、私はこれにてドロン」
感謝されることに慣れてないため、おかしなことを言いつつ立ち去ろうとしたら。
「あの、今度お礼がしたいので、連絡先を教えて貰えますか?」
「はい?」
どうやらこれはそういうイベントだったらしく、連絡先を聞かれた。
流れに乗って携帯の番号を教えようと思って、ふと思う。これでいいのか、と。
無論、願ってもない展開である。
バイザーを上げてこちらを見つめる青年は、私よりも年下らしく可愛らしい。正直、好みだ。
しかし、私はしっかりとバイザーを閉じたまま。
顔を隠したこの状態で連絡先を教えて、本当にいいのだろうか。
いや、良いわけない。
駄目だろう、人として。
こんな今時珍しい純朴そうな若い男を騙すのは、倫理に反する。
そこでふと思い出す。
そう言えば、もともとそれが目的ではなかったか?
そう、たしか、そうだった筈だ。その為にこうしてバイク乗りになった。
その結果、こうした絶好の機会に恵まれたのだから、全ては計画通りと言えよう。
しかし、私の良心が、それを咎める。
こらこら、よしなさいよ。
どうせ騙したところで、いずれバレるんだから。
その前に食っちまえって。
既成事実を作っちまえ。
ヘルメットを付けてそんなこと出来るかっ!
そういうプレイが逆に新鮮で燃えるかも知れないだろっ!?
そんな甘い悪魔の囁きと、それに反論する良心。
双方の主張が私を混乱させて、頭がおかしくなりそうだ。
そもそも、そんなことで悩むことがもう嫌になって。
「ええい、もうどうにでもしてくれっ!」
スポーンと潔く、ヘルメットを脱いだ。
素顔を見られたことが恥ずかしくて、いっそこのままウェアを脱いで全裸になろうと決意。
そうすれば、顔に注目されることがないだろうと思って、服を脱ぎ始めると。
「な、なにをしてるんですかっ!?」
「いや、全裸になろうと思って」
「やめてくださいよ!? なに考えてるんですか!?」
青年がインナーを脱ごうとした私のことを慌てて止める。
彼の主張はもっともで、反論の余地はなかった。
公道の路肩で全裸になろうなどと、私は一体何を考えているんだ。
冷静になって、ウェアを着直して、頭を下げる。
「ごめんなさい。取り乱しました」
「いや、謝られても困るんですけど……」
「土下座したほうがいいですか?」
「そ、そんなことされたら逆に困りますよ!?」
頭を下げるのは、私にとっては防衛手段である。
土下座でも何でも、顔を見られなければそれでいい。
しかし、彼はそれを許してはくれなかった。
「とにかく、顔をあげてください」
「そんな……殺生な」
「ちゃんと顔を見てお礼が言いたいんですよ」
「お礼って、なんのこと?」
「バイクを起こしてくれたじゃないですか」
「えっ? そうでしたっけ?」
「そうですよ! もう忘れちゃったんですか!?」
「きっと、人違いです。それでは、宴もたけなわのようですので、私はこれで」
「そんなわけないでしょう!? 待ってください!」
支離滅裂な物言いで煙に巻こうとしたのだが、叶わず。
彼はポケットから携帯を取り出して、私に液晶画面を見せてくる。
「これが僕の番号です」
「立派な番号ですね」
「いや、そうじゃなくて、もし良ければ連絡を下さい」
なんだこれは……どうしてこうなった?
こんなパターンは初めてで、戸惑う。
そう言えば聞いたことがある。
時に男は自分の気に入った女に連絡先を渡すことがあると。
その習性のことを、巷では、こう呼んでいた。
「もしかして、ナンパ?」
「ち、違いますよ! お礼がしたいだけです!」
今や伝説となったナンパ師と出会ったのが嬉しくて聞いてみたが、どうやら違うらしい。
とはいえ、彼は私に番号を教え、そして後日会うこととなる。
それから色々と紆余曲折を経て、私は純潔を散らすことになり、ラブホのベットの上でやっぱりナンパされたのだと理解した。
「どうして上手くいったのかしら?」
彼と結ばれて、子供を作り、家事をこなして夫の帰宅を待ちながら、私は考える。
様々な試行錯誤をするも実らず、諦めかけていた目的が、何故あの時叶ったのか。
それに対する明確な答えはないが、私は常日頃から我が子にこう言い聞かせている。
「困っている人を見たら、助けてあげなさい。わかった?」
「はぁーい」
とはいえ、この子は私と違ってとても可愛い。バイクに乗る必要はないだろう。
夫に似て本当に良かったとは思うが、それはそれで心配な面もあった。
見てくれに寄って来るような男など、悪い虫でしかない。
そうした懸念もあるので、より一層、人助けをするように心がけさせる。
現実はわりと厳しい。
誰も自分を助けてはくれない。
それでも、だからこそ、人を助けるべきなのだ。
そうすればきっと、いつか良い人に巡り会える。
この子が誰かを助けた際に、本当の恋に落ちれば、それでいいと思うから。