目的設定
今までに言ってきたことのまとめ的な話になりますが、目的や目標の設定って大事だなぁと思います。
ブックマークが伸びない、と悩むとします。
さて、あなたの目標はブックマークでしょうか?
もしも、ブックマークだけが目的ならば人気題材、つまりテンプレと呼ばれるものを扱う方が近道です。
悪役令嬢、乙女ゲーム、ギャルゲー転生、VRMMO、異世界転移、召喚、転生、主人公の活躍しやすいファンタジー、などなどの人気題材とか。
最近は異世界もやや落ち気味だとは聞きますが、どうなんでしょうね。このままジャンル変更の余波で落ち着くなんてことがあるのでしょうか。
なろう人気、なろう需要については別のところで話しますけれど、なろうで人気とりたいならなろうの人気作品を、研究して独自色出しつつ王道を外さないように書けばいいんですよ。
自分のポイントが伸びない理由を聞いてもいいと思います。親しい作者仲間がいるならその人に、書いてることを知ってるなろう慣れしてる身内がいるならその人に。誰も聞く相手がいなければ、探すところから始めてもいいですね。
では、それでポイントが伸びれば満足なのか。
はたしてどれだけ伸びれば満足なのでしょうか。
ブクマ4桁?
それとも5桁かな?
ちなみに、3桁ならどんなジャンルでも工夫次第でいけるとは思いますぜ。
なんならエッセイでも(笑)
あっ、訂正。詩は大変かもしれませぬ。
あくまで物語と言われる範囲内でお願いします。
自分の目標にあったところを見て研究すれば良いのですよ。必ずとれるとは申しませんが、少なくとも工夫して考えて書いて結果が出るまでは、愚痴ったり落ち込むヒマはなくなるかな、と。
長くて更新速い方が人気の傾向がある以上、たくさん書いてたくさん出さなきゃってなりますしね。
では、あなたがそれで満足なのでしょうか。
ここで目標が達成された人、人気題材を素直に楽しんで工夫して書けた人、数字で評価されればいいという方はここで目標設定が適切であったとなります。
逆に「私が書きたいのはこれではない」とします。
だとしたら目標設定は「ブックマークをとること」ではなく、「自分が書きたいもので認められること」に加えて、「書きたいものは人気題材や需要のある展開ではない」という条件が付加されます。
さて、無理ではないけど条件を厳しくすればそれだけ必要とされる技術が高くなり、大変であることは仕方がないことである、と割り切ったほうがいいかなと。
ここで、「自分の書いたものが認められず、面白くないものが認められているなんてこのサイトはクソだ!」と叫ぶと、まずまず認められない。そりゃそうでしょうぜ、そもそも「何故人気なのか」を理解しようとせず、感性の違いを受け容れられない。現状を認められないわけですから。
ランキングを作っている読者層を無視して、認めないわけです。そうした人の作品を読者もまた、認めやすいかと聞かれれば……となると、残ったランキングを作ってない層を取り込まないといけないわけです。
実際、「なろうの人気作品は面白くない、ダメだ」と大きく括って批判してしまう人の作品が伸びていることはあまり見かけないです。ここでの伸びる、はやや定義曖昧ではありますが。
わかって、認めた上で「でも私にとっては面白くない」と反発して書くならまだ工夫の仕方は多分ありますが……
なろうの人気作品っていっても数百を超えます。その全てが全く面白くないとすると、そもそも面白さの基準が大きく異なり、なろう向けではないだろうなぁ……とは感じますが。
さて、自分の目標設定に読者の反応を入れる場合、少なからずその研究と工夫は必要になってくるとは思います。もしくは天才肌で、なろう作品まったく読まずに、何も考えずに、好きなもの書いたら人気作品になった人。まあその人は元々の技量が非常に高いか、性格や好みがなろうの需要にがっちり当てはまっていたか、のどちらかもしくは両方でしょうね……
さて、自分は何も考えずに書いてみんなが褒めて認めて絶賛してくれるような作品を書くだけの才能がある、と思っていますか?
言い換えると、将棋やチェスでルールさえ知っていればプロ棋士に勝てると思いますか? とか。
考えて書いてるわ!! って人は非常に申し訳ないです。
こうしなきゃ勝てない! という定石があるわけではないけれど、少なくともこういう手は失敗しやすいみたいなものがあちこちある中で、それでも勝てるひとは何も考えない方がいいです。
ただ、行き詰まった時に、「そもそも俺は野球の練習かしてないのにサッカーで勝てるわけなかったよな」「ケーキしか作ったことないのに、甘い物嫌いな人に食べさせられるわけない。でもだからといって作ったことのない麻婆豆腐作るのは無理だな……」と改めて自分の書いてるものがどういう位置にあるかとか、冷静に見られると、「作品の価値がないからだ」と病む必要はなさそうですけどね。
さて、ここで前回も言ったように「走り込みしかしてこなかった人」は足は早くなってるでしょうし、体力もついていると思います。ただ、足が速いだけで、体力があるだけでは、運動神経抜群にはなれないものです。
好きなものを「周りも好きに違いない」と思って認められないと「つまり俺がおかしいのか……!」っていうのはそういうレベルの話じゃないかなぁとか。
走るのが好きなら走ってもいいけど、それを認められたいならマラソンや徒競走の場に出なければなりませぬ。
創作界隈ではそうした「自分の殴り合う土俵」と「それが産む周りの反応」の規模の違いについて見えない壁があって、それを見ずにまとめてしまうから目標設定を間違えやすいのでは、と考えてしまうのです。
人気スポーツとマイナースポーツで、観客数が違うことを悩む場合、そもそもマイナースポーツが面白いことを人気スポーツを楽しむ人たちや、スポーツを楽しまない人に伝える努力から、ですかね。
このように、現実的な目標設定、それを実現するための手段、自分の技術、それぞれを把握して選ばないと、自転車で隣の島にいこうとする、みたいなことになりますぜ。
好きなものを書いて、1人でも楽しませられたら満足なら多分悩まないし、病まないです。
そこに不満が出るということは、おそらく目標を達成していません。
そのためにはまず、「書きたくないもの」「書きたいもの」「書けそうなもの」の把握が必要ではないでしょうかね。
人気題材は書きたくない! と叫ぶ人は、ではあなたが書きたいものは何? と自問自答してみないことには……。
さて、その上で書きたいものがどうなって欲しいかを決めるか、そもそも書きたいものが書ければそれで満足かを判断つけてみましょう。
ただ褒められていたいだけなら、評価甘くてとにかく褒めてくれる身内を作れば良いのではないでしょうか? オススメはしませんが、近道ですよ。どんな名作もたくさんの人が見れば合わない人が出てきて、批判もされます。ましてやまだまだ技量の足りない我が身なれば、と。つまり褒められるだけの作品はおそらくはまだ、「褒めるぐらいに好きな人にしか見られていない状態」であるか、「合わないから読まない、が、批判するほど欠点もない」という状態とか。
これは身内のところでいいましたっけ?
もちろん、誉められた長所を伸ばす方向で面白くなったり、書いてれば自然に技量が上がる人たちはいましょうよ。そうした人たちは、批判でモチベを下げたり、合わない人の意見を聞いて価値を損なうことはないのですけれど、それはまた別の話です。
目標設定以外のところで、切り捨てたものについて色々愚痴るのはお門違いでしょうよ。
だって、「素敵なスイーツを作りたい」と頑張ってて、「お腹いっぱいの人」「甘いものが嫌いな人」が食べてくれないことを、悩むのはね。
そこで、「作ったスイーツをより多くの人に食べてもらいたい」も目標にいれると、お腹減ってる人を探すこと、たくさん展示すること、甘いもの嫌いな人にも食べやすい工夫をすることなどなど必要に。それを「こんなものはスイーツじゃない!」とハードルをあげると、そもそもスイーツというジャンルが衰退してしまうかもしれませぬ。
欲張りに目標設定してもいいけど、そのための方法をなるべく楽しいもので、長期的なもので選んでいければいいなぁと。