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テンプレ批判をする人 ③

 さて、最後に。

 なろう系、なろうテンプレを批判する人で「こういう人が多いよね」っていうのはなんとなくあると思う。

 なろう系を読まない読者について、論ずる事は特にない。その人達は「なろうを批判する人」ではなく「なろう批判に乗っかる人」だからだ。

 ここで気にするべきは「読んだことのある読者」と「作者全般」である。読者の中には当然、作者も含まれる。批判の立場が読者視点という意味だ。


 読者で批判する人は当然、なろう系が嫌いな人、飽きた人だろう。

 彼らの目的は何か。それは批判点である


・似た作品がたくさん並ぶことに辟易する

・質が低い

・なろう系が嫌い


 から考え得るに、


・ランキングが多様であること

・質が高い(と批判者が感じる作品が人気になる構造であること)

・なろう系がランキングから減ること


 ではないだろうか。

 そのためには


・非テンプレ(と批判者が定義する作品)の投稿数が増える

・作者全体の書く能力が向上する

・非テンプレや質が高い(と批判者の思う作品)が評価されやすい環境を作る


 といった過程が必要である。


 まず、非テンプレを増やし、評価するシステムについて。これはテンプレのネガティブキャンペーン――テンプレ批判によっては達成できないと思う。


 なぜかというと―― 


 一つはなろうにはシステム的に「マイナス評価」が存在しないからである。

 つまり「この作品は下手だ・嫌いだ」と思って最低評価をつけたところで、それが百人、二百人と積み重なればランキングにも載れるのだ。最も利益にならない評価が「つけない」ということでしか成立しない。

 加点方式である以上、テンプレ以上に非テンプレ(と批判者が定義する作品)にポイントが入ることでしか、ランキングで上になることはない。


 次に、テンプレを書く側への無理解である。

 テンプレを書く人の中には色々いる訳だが、


・素直に好きだから書いている人(好き)

・人気を取るために書いている人(普通)

・嫌いだが人気のため書いた人(嫌い)


 などが多いのではないかと。

 まず好きな人間がテンプレ批判を受けて書くのをやめるか、と言われるとやめないだろう。あるいはそれでやめるのを狙って批判し、結果が出たとしたら、それは非常に良くない手法と結果である。

 好きで書いている人に向かって、好みに合わないからと「お前の書くものは面白くない」と言い聞かせて筆を折ることは、小説を書くという文化やサイトの衰退に直結している。批判者の好きな作品の作者もまた、いつかそれを嫌いな人に筆を折られるということでもある。


 次に人気のために書いている人だが、もちろん批判を聞くことはない。

 なぜなら現時点で人気を取る力で負けているからランキングに増えないわけで、言うことを聞いても人気になる保証がないからだ。つまりメリットがないのだ。

 もしも、サイトの現状が流行から外れた作品を書いて次々新しい題材や手法が持て囃される状態であれば今頃、ランキングはそういうランキングになっているはずだ。

 そうなっていない以上、批判者の批判内容は説得力に欠けてしまう。


 そして、嫌いなのに書いている人。彼らこそ批判が通じる相手である。彼らは人気のために仕方なく書いている層であり、もし自作が認められる可能性があるなら喜んでそちらを書くだろう。彼らに関しては有効だ。

 実際、テンプレ批判をするエッセイはもう何年もそれなりの需要があり、エッセイランキングの日間に上がっている。


 以上がなろうテンプレを書く層の心理だ。もちろん個人差はあるが、そう大きく外れてはいないと思われる。

 要するにテンプレを書く主流、人気のでやすい「好きで書いている作者」「人気を意識している作者」の二層から「無視してよし」と思われている時点で、テンプレ批判が直接彼らに有効であることはない。

 強いて言うなら「なろうを読まない人」にはなろう系のイメージを下げるのに役立つが、それはつまり「ああ、なろうってそんな作品しか置いてない酷いサイトなんだ。読まなくていいや」とテンプレが嫌いな読者――つまり批判者の味方になりうる人間の流入を減らす要因である。

 なろうに非テンプレを評価する読者や書く作家を増やしたい場合、「非テンプレも評価される」と多くの作者に思わせつつ、「非テンプレの面白いものが沢山ある」と新規読者にアピールする方が有効だろう。


 


 さて、次に技術の問題だ。

 技術の向上、と一括りに言っても何を目的にするかによって異なる。

 たとえば誤字脱字、誤用の少ない「適切な日本語で書かれた文章」を望むとしよう。小説家になろうでは、以前は感想やメッセージで報告していた誤字脱字だか、現在はそれ専用の機能を実装している。これにより誤字脱字の修正がしやすくなり、間違いは減少するだろう。

 このように、明らかな誰が見ても直した方が良い事に関しては、システム面でのサポートが可能である。


 しかし、ここは無料の誰でも投稿できるサイトである。

 つまり素人が好きに書いて良いし、それにチェックを入れる編集は存在しない。矛盾も現実との乖離も、作者の書いたまま投稿される。

 この敷居の低さこそが、多くの投稿サイトの最大の特徴だろう。敷居が低いからこそユーザーは増え、たくさんの作品が投稿される。

 全ての人間は最初は上手くないものである。下手な時期を経て、修正しながら上手くなっていく。その最初を否定すると先細りするしかないのである。


 いやいや、投稿するのは自由だが上手いものが評価されろよ、という意見について。

 基本的に小説とは娯楽なので、「面白いもの」が評価される。技巧、技量、技法……色々あるが、そういったものはその後からついてくる――面白いと思わせるための全てが技、と言える。

 極端な話をすると、架空の世界地図を作ったとしよう。いかにその地図が精巧で、よく出来ていたとしても、その地図を文章で何万文字も説明したところで評価されるとは限らない。どれほど地図を作るのに高度な技術が使われていても、だ。

 逆にメモ書き程度の大雑把な世界地図でも、物語の中に無理なく再現されていればそれは評価されうる。

 あるいは、架空のオリジナル言語を作り出し、全てをその言語で綴った小説があったとしよう。もちろん読めない。評価もされないだろう。

 そういう意味では、「これは技術なので評価しろ」という理屈は読者には通じない。



 もう一つ、テンプレ批判をする作者の中には、本当の目的が「非テンプレが人気になること」ではない方がいる。

 そう「自分の作品が人気になって欲しい人」である。

 もっと言うと「非テンプレを書いていて人気が出なかった人」だ。

 そういう人たちは、非テンプレが人気になったところで満足はしない。一方で、きっと自作の非テンプレ作品が人気になれば、それで満足するのだろう


 そうした人達にも、雑なテンプレ批判を表で展開することはオススメしない。


 一つは、もし効果があった場合だ。つまりテンプレ批判した結果、テンプレの人気が下がり、非テンプレもテンプレも同じ土俵で戦えるようになったとしよう。

 そうなった時、やっぱり人気が出なかったら、今まで「サイトのせいだ」「読者のせいだ」と言い訳にしていたものがなくなる。つまり「自作が純粋に面白くないからだ」という結論になる。

 もちろん宣伝能力や運もあるので、必ずしもそうではない。ただ、もともと面白いものを書いて適切に宣伝している場合、非テンプレでもそれなりの評価を貰っている人は多く存在する。

 テンプレかどうかはともかく、現時点で「何十話も書いてブクマが一桁」「感想も来ない」という場合、環境が変わっても人気が変わらない可能性が高い。 


 次に、敵を増やさないためだ。

 なろうのランキングにテンプレが多い=現在の読者のメイン層がそう(テンプレが好き)ということになる。

 つまり、テンプレ批判とはそうした読者に向かって「お前たちが楽しんでいるものは面白くないし、価値もない」と言う行為にほかならない。あるいは「お前らのせいで素晴らしい作品が埋もれているのだ」とか。

 なろうのランキングにあるような作品を好む読者からすると、自分たちは好きで読んでいるのに横からそれをうるさく言う人達がいるということになる。

 もちろん、精神衛生上良くないので読者はそうした人達から距離をとるだろう。それは作品を読まなかったり、Twitterでフォローしなかったりといった行動へと繋がる。


 もちろん、自分で「流行を意識して書いた」と思っている作者も離れるだろう。自作を読みもせずにジャンルごと批判されれば、絡んでも楽しくないだろう。それは書いている人であれば、想像もつくのではないたろうか。


 そうやって敵を作れば、いざ書いた作品が面白くても「よし、面白いな! 広めてやろう!」というファンを逃しやすい。

 作品と作者は別ではあるが、完全に切り離せるものでもない。当然読者に「切り離して考えろ」というのも不可能だ。思想は自由なのだから。


 そして最後に、これは限定的だが前提条件や目的、つまり論点を明確にせず批判を行うと、誤解が起こる。

 それは伝える相手にも起こりうるし、自分自身にも起こりうるのだ。

 その批判を読んだ人が「これは間違った批判である」と認識したり、あるいは「これにはこう反論できる(論点ズレ)」といったことを言う。

 批判者が、題材にオリジナリティーが足りないことを批判したい時に「質が低い」と言うとする。それは雑なまとめ方なので、当然そこにある技術の多くを見落としてしまうことになるのだ。

 もしも、批判者が向上心のある作家である場合、「好き嫌い」と「善し悪し」は区別をつけた方が良いだろう。嫌いなものの全てが劣っている、有害である、という認識してしまうとどこかで矛盾が起きるだろう。



 とまあ、色々言ったわけだが、これも私がそう考えて書いているというに過ぎない。

 納得がいかない、もっと有効な方法がある、という方もいるだろう。

 あるいは、「ダメなものはダメという誠実さこそ俺のキャラで売り方だ! その上でやっぱりテンプレ量産文化はクソだ!」という方もいるかもしれない。

 そのあたりは、聞いて納得のいくものを採用していくのが良い。納得のいかない方法は楽しくできないし、楽しくしていないと成功率が下がる。また、上手くいってもそれはそれで腹が立つものである。

 

 

 ただ、漠然と「ランキングにのってる作品は苦手なものが多くて、真似して書くのは嫌だな」って方については、自分が何が苦手なのか、どうして苦手なのかを一度しっかりと考えて言語化してみるのはオススメ。


 ※「ランキングで流行ったという状態そのものが嫌だ」って人は題材や展開に限らず厳しい、とは思う。これは創作者にはありがちというか、自分が特別なオンリーワンで、作品も唯一無二で構成されたものに出来るはずだと信じているタイプによく見かける。そういうタイプは「何かに影響を受けて書く」という行為そのものを嫌う。たまにいる「影響を受けたくないので読まない」とかもそういうタイプ。感性重視で書く人に多い気がする。

 理屈重視の場合、「沢山読まないと差別化できないだろう」と(論文を書く時の参考文献や先行研究のように)考えるので、特別になりたい人ほどよく読んだ上で「他にはない!」っていうのを謳い文句にするのではないだろうか。


 


 



 



 

 



 

「〜についての話聞きたい」など希望の話題あればお気軽にリクエストどうぞ。私が語れそうな内容なら採用させてもらいます。


 

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