なろうテンプレについて ③
3:コンセプト、テーマ
物語は何を意図して作るのか、というのがこの章での話である。
辞書とは少し用法が違うかもしれないがここではコンセプトを「読者に何を楽しんで欲しいのか」とし、テーマを「何を伝え、感じてもらうか」としている。
個人的な感覚としては、お話はよく出来ているけど何故かウケない、愛されないという作品はこのどちらも無いものが多い。
そしてなろうで大衆ウケするのはコンセプトが明確な作品である、とも。
なろうのタイトルとは、あらすじであるとよく言われるが、同時にコンセプトでもあると思う。
すごく、すごく下世話に言うなら「誰の、どういう欲求が満たされるか」というのがコンセプトである。
小説家になろうには様々な人気のジャンル、展開があるが、その中で特に多いコンセプトを言語化すると「流行の中で発生した不満を改善したもの」である、と思うのだ。
わかりやすいので異世界召喚勇者もので説明してみよう。
まずゼロの使い魔的展開とドラゴンクエスト的な世界観の融合したなろう系異世界召喚勇者ものであるが、おそらく最初の方は「召喚された特殊な強さをもつ勇者が、お姫様や王様に頼まれて人類の敵である魔王を討ち滅ぼす物語」であったのではないだろうか。これがシンプルにしてスタンダードである、と。
さて、ここから派生しうるのが
・実は魔王は悪いやつではなかった
・得た能力が大したことがない、戦闘向きではない
・召喚した王様や姫様が実は悪いやつ
・複数人召喚される
・魔王側に召喚される
である。
まず実は魔王は――は、差別やレッテル貼りに対するアンチ、倫理観のアップデートを経た疑問の発生によるものだろう。魔王というだけで悪と決めてよいのか。王と姫の言うことを鵜呑みにするのか、と。これはなろうでも異世界ものでも無いが有名な作品として「まおゆう」があげられる。
その派生として、王や姫が悪役パターンだろう。魔王が悪では無いのにどうして戦わせる? とか、そもそも異世界から誘拐してきて戦闘経験のない人間に戦わせるのか? という不満から出来た展開だろう。
得た能力が大したことがない、戦闘向きではない。
これは2つ魅力がある。
まず応用性だ。戦闘向きの能力は戦闘に特化している分、生活に役立ちにくく搦手や戦闘以外で足をすくわれやすい。しかし戦闘向きではない能力で戦闘できるようになれば、それ以外の部分での活躍も描ける。治癒魔法などがわかりやすいか。
もう1つが逆境からのカタルシスを描きやすい、という「チートの短所」を補いやすいということだ。努力と工夫で頑張りました、と言いやすい。その工夫の様子が面白い、というわけだ。
これは「最初から強い能力与えられて脳筋で勝っても面白くない」という要望から生まれたジャンルだろう。
複数人召喚は、比較対象の増加、である。主人公1人が神様に特別に強くしてもらいました、よりも「同条件で主人公がいちばん強かったからやっぱり主人公がよい」とするものである。
1人しか居ないことに対して、複数人いても良いのでは?という答えがこれになる。
悪役転生も、乙女ゲー転生で主人公になるテンプレの改編であるし、最近は脇役や攻略される側に転生もあるだろう。
このように「既にあるテンプレストーリー」からひとひねり、改編を加えて別の視点から元あった短所、不満、欠点を解消したり、別の長所を生み出すのがなろうに多い「新たな流行の生まれ方」と私は見ている。
全然何も無いところから急に発生するテンプレ、というのは少ないだろう。
どうしてこのように粗をつくように生まれるのか、と言うと、流行の特性によるのではないだろうか。
ひとつの面白さが流行すると、粗製濫造、フォロワーによって後発作品が大量に作られる。もちろん玉石混交で、その中には既存のテンプレを超えようとした結果、あるいは普通に技量が高かったから、ということで初期のものよりクオリティの高いものもあるだろう。しかし多くは下位互換や劣化版などと呼ばれてしまう。その点については私も擁護しきれない。
と、大量に質の低いものが出てくると「面白ければ気にならなかった」そのジャンル特有の粗というものが出てくる。粗というか欠点というか、性質で特定の層に嫌われる要因、というか。
ロボットもので「人型はおかしい」「いや、かっこいいからいいのだ」というようなもので。かっこ悪い人型ロボットが氾濫すれば、人型じゃないロボットで戦い始めるだろう、なんて。現状かっこ悪い人型ロボットの増える余地などないような気もするが。
となると、それを見て「差別化」と「完成度向上」、あるいは「反骨精神」などによって、その要因を改善し、面白くできないかと考える層が出てくる。
スライムが弱いという固定概念があるならそのスライムに主人公を転生させて強くすればいいではないか、といったように。
その差異こそが、「多くは既存テンプレと同じであるが、面白さの一部が変化したテンプレ」として認識され、流行り、また新たなテンプレとなるきっかけだろう、と。
未だに異世界転生と言えばトラックにひかれるのが普通、と思っている「なろう転生を読みなれていない人」「昔はよく読んでいたが、今はあまり読まない人」は多いのではないだろうか。
しかし既にアニメ化までした「この素晴らしい世界に祝福を」の時代に既に「トラック以外が原因で死んでしかもそれを茶化される」というテンプレ外しギャグが出ていたのだ。
今となれば、死因など千差万別。結局どのような理由で死んでも良いのだ、と作者も読者も認識している。わざと「かつてのテンプレを使う」以外ではトラック転生が当たり前の時代は終わったと言えるだろう。
と断言はしたものの、まあ疑わしいと思うならば異世界転生ランキングの異世界転生作品を片っ端から覗いて死因を見てみると良いかなと。
次にテーマだが、テーマは物語全体を通して何を伝えるか、と言ったがまあこちらは娯楽性としてはかなりじわじわきいてくるタイプでなかなか目を引く面白さには直結しづらい。
最後まで読んでレビュー書く時に便利だろうなぁ、とは思う。
ただ、私はテーマを考える時には「そのテーマは狙ってる読者層に対して楽しい理屈か」を考えている。
たとえば「本はすべからく金を出して読むべきで、金を出さずに読める作品などクズだ」というテーマの作品を書いたとする。仮にだよ、仮に。実際には書きませんとも。
で、そのテーマは「小説家になろう」というサイトに「無料て読みに来てくれてる読者」にとって喜ばしいものか?という話だ。
少なくとも私は多くの読者にとって不愉快だろうな、と予想する。
なろうの読者の多くは、なろうには面白い作品もあると思って読みに来ていて、その中で書籍化したもので好きなら買うかも、とか思ってたり、買うのはお金や本棚の関係で難しいからブクマと評価で応援しとこう、とかそんな感じだと思う。
となると、その人ら全員に「どうしてここに来て面白くないもの読むの?」ってつきつけようとしてくる作品はいくらテーマが伝わっても、否、伝わるほどに「読んでいると自分が楽しんでるものを貶される気分」になるわけで。
これと同じように、「最近の若者は根性が足りてない」と思う50代男性をターゲットにして「保守的な古参を排除して若者が革新的な経営をする会社の話」よりは「間違えたり失敗した若者が年上の言うことを聞いて見事成功する作品」の方がウケやすいだろう。
そういう意味で、小説家になろうの読者について知る、というのは重要だろう。
読者を見る方法はまた後で語るが、少なくとも相手の好みを全否定して対極にあるものを受け入れさせる、というのは無理がある、とは。




