03.前触れなき別れ
それから私は王宮に通うのが楽しみになった。お父様はいつもおてんばだった私が、すっか大人しくいい子になり、王宮へ連れて行ってと頼むのを訝しんだ。そんなお父様に私はいつもこう答えていた。
「だってお祖母様にお会いしたいもの」
これにはお父様も納得するしかなかったようだ。
王太后であるお祖母様は私をたいそう可愛がっていた。唯一の女孫だからと言うだけではなく、私が初代の王妃と同じ黒髪と黒目だったからだろう。この頃から私をどうにか王家に取り込めないかと、叔父様の陛下と話し合いをしていたようだ。
そんな思惑などまったく知らず、私は花園に行く日を心待ちにしていた。ダニエルはいつもくさむらの真ん中で、摘んだ花を手に私を待ってくれていた。その花は薔薇、鈴蘭、水仙などと様々だったけれども、ダニエルからもらえるだけで嬉しかった。私とダニエルは花園で無邪気に遊んだ。
「ねえ、ダニエル、今日はおままごとをしましょう?」
「お、おままごと……?」
「そう。私がお母様でダニエルがお父様。このお人形が私たちの赤ちゃんなの」
「……」
「……いや?」
「う、ううん。サンドラがいいのなら、僕がお父様になるよ」
まだ恋と言う言葉すら知らなかったけれども、あの春のように暖かい気持ちは初恋だったのだと思う。
けれどもそんな日々にも終わりがやって来た。
その日、私はいつものように穴に潜り込み、ダニエルに喜び勇んで抱き付いた。ダニエルはそんな私を優しく受け止めてくれた。
「ダニエル! ねえ、ダニエル。今日は美味しいクッキーを持ってきたのよ。いっしょに食べましょう?」
ところがダニエルは黙って首を振り、私の肩に手を置いたのだ。青い目には影が差し込んでいる。
「サンドラ……」
いつもとは違うダニエルの様子に、私は何があったのかと目を瞬かせる。ダニエルの手に力がこもった。
「サンドラ……僕、もうここには来られないんだ」
私は思いがけない告白に言葉を失う。やっと出て来た声は涙でかすれていた。
「いやよ……いや、いや。いや、いや、いやっ……」
私はいやだ、いやだと繰り返した。
「ど、どうして? 私が嫌いになったの?」
「そんなことがあるもんか!!」
ダニエルの怒鳴り声に私はびくりと肩をすくめた。ダニエルは唇を噛み締め「ごめん」と呻くように呟くーーダニエルは泣いてはいなかった。
「……そんなことがあるもんか。君を嫌いになんてなるもんか」
ダニエルの声はひどく悔しそうだった。
「じゃあ、どうして?」
「……」
「どうして行ってしまうの?」
顔を伏せぽつりと呟く。
「……どうして僕は子どもなんだろう。どうしてこんなに小さいんだろう。僕が大人で力があればーー」
ダニエルはぐっと思いを飲み込み、再び私の目を見つめた。
「サンドラ、ごめん。何も言えなくて、本当にごめん。けど、これだけは約束する。必ず僕はここに戻って、君を迎えに来る」
強い意志の光が青い目にきらめく。
「……その時には僕のお嫁さんになってくれる?」
ーーダニエルのお嫁さんになる。
私は少しも迷わず「うん!」と大きく頷いた。あまりに早い返事にダニエルも驚いている。
「……本当にいいの?」
今度は打って変わって不安そうだ。
「もちろんよ!」
私は「約束しましょう」、とその手を握った。もう目に涙はなかった。
「ずっとあなたを待っているわ。だから、必ず迎えに来てね?」
ダニエルはガラス細工に触れるかのように、そっと私の頬を覆い私を見つめた。
「うん……約束だ」
一瞬、ほんの一瞬唇が重ねられる。
「その時には、きっと君に世界で一番きれいな花を送るよ」
それは子ども同士の他愛のない約束だったーーけれども、私には何よりも大切な約束だったのだ。