空の書と凍てついた荒野の少女
前の投稿からかなり時間が経ってしまいました……
内容もグダグダになった感じがしますが最後まで書いていこうと思うので、今後もよろしくお願いします
話は昨日の司と時連の邂逅から少し後へと遡る。
「私も本を探しに来たの。君が探している本と同じかはわからないけど。さっきまで私が読んでた本がそれだよ」
時連が指で示したのは自分が先ほどまで座っていた椅子だ。椅子の上には一冊の本が置かれている。
表表紙が下になっていてタイトルがわからないが、どことなく触れてはまずいのではと言う雰囲気があった。
「その本のタイトルは……?」
司が尋ねるが、時連は答えない。只々、無言。それはつまり、司自身の手でタイトルを確認しろという意味だ。
より喉が渇き、手が震える。なぜだ。なぜなんだ。たかが本のタイトルを確認するだけじゃないか…… なのになんでこんなにも震えるんだ。
自分でも理解できない振るいに司は恐れるを抱く。
もしかすると、この震えは貴重な本を傷つけてしまうかもしれないというものから来ているかもしれないと考えるが、そんな考えはすぐさま消した。自分がそんな理由で震えないことなど自分が一番知っている。適当な理由をつけて本のタイトルを確認するのを遠ざけているとしか思えない。
――バカな
心の中で呟く。
いや、呟きと言うよりは自分に言い聞かせるためだ。
なんで恐れる必要がある。時連は普通に読んでいたはずだ。あんな儚げな少女にできて、自分にできないはずがない。
きっと、部長だって簡単に手に取ることができるだろう。田中だって取れるはず。なら、取れないなんてことはない。
司は本を手に掴む。その感触は如何にも古書って感じだが、少し重い気がする。この重さは本の重さなのか……
手に取ったのはいいが、なかなか本の表表紙を確認することまで踏み切れない司に、
「どうしたの? タイトルが知りたいんじゃないの? もう手に持っているんだから、後はその本をひっくり返すだけだよ」
時連が声を掛ける。
「……ああ」
ゆっくりと慎重に本をひっくり返す司。その扱い方はこれまでの人生で一度もやったことはないほどだった。まるで陶器を扱うか如く。
「――これは……?」
明らかになったタイトルに司は驚く。
――なんだ、これは……?
司が驚くのも無理はない。司以外の人間が見たってきっと驚いただろう。もしも、驚かない人間がいるとするなら、それは――
「読めないでしょ?」
時連の声がした。
頷く司。
「時連はこの本のタイトルを読めるのか?」
「うん」
「そう……なのか……」
時連は確かに読めると言った。その言葉に嘘偽りはない。確かにさっきまで時連は本を読んでいたのだから。
だが、このタイトルは、
「これはなんの文字なんだ?」
そう、時連が言った通り、司には本のタイトルは読めなかったのだ。表紙に書かれた言葉は司の知る文字ではなかった。
「その文字はラテン語よ。きっと読める人は少ないよ」
事もなげに時連は言った。
「ラテン……語?」
何かで聞いたことのある言葉だった。ゲームか漫画か、はたまたアニメか。兎に角、普通の人生ではまず知ることのない言葉だった。
「時連、悪いけどこのタイトルを教えてくれないか。俺には全くわからないんだ」
「うん」
その場で言っても十分なのに、わざわざ司の所まで歩いてくると、下から覗くように指でタイトルをなぞって言った。
「――空の書」
時連がその言葉を発した途端、何かが司の中で変わったような気がした。何かが身体を突き抜けたような。甘美だが悍ましいような。知ってはならないものを知ってしまった背徳のような。
「……空の書」
「そう、空の書」
司の言葉を繰り返す時連。その姿勢は先ほどから変わらず、本を下から覗き上げる姿勢だが、目線だけはタイトルではなく司の目を見つめている。
少し屈めば、互いの唇が付きそうな距離であるが、今の司にはそんなことを考えている余裕などなかった。
「な、なあ、この本にはどんなことが書いてあるんだ?」
「聞きたい?」
瞬きすることなく時連は聞き返す。その姿はまるで、精気のない人形そのものである。
司は思う。まさか、時連レンなどと言う生徒はおらず、今自分が話している相手はここに保管されている人形ではないだろうか。それなら、合点がいく。自分が知らないクラスメイトなんて考えればおかしなことだ。時連レンと言う少女は人形だから自分はその存在を知らないのだ。
月には不思議な力があると聞いたことがある。きっと、時連レンと名乗る人形は月光の力で動き出したに違いない。
「時連、腕を出してくれないか? 伸ばす感じで」
突然、変なことを言われた時連は怪訝な顔をするが、
「うん」
拒否することなく、言われた通りに腕を司に突き出した。
入念に腕を調べる。人形なら関節部に特徴があるはず。それを司は確認しようとしていた。
見た限りでは時連の腕は人間のものに違いなかったが、それでも司は調べ
るのを止めようとはしない。時連の腕を掴むと肘の辺りを強く押して見たりする。
「……っ! んっ…… 風見くん、少しくすぐったいよ…… それに触り方も少しいやらしいかも……」
司の触り方に艶っぽい言葉と吐息を漏らす。
その言葉に司はようやく我に返った。
――俺は何をしていた……?
司は今までの自分がしていた行為の理由がわからなかった。なぜ、こんな行動したのか考えても答えは出てこない。
いくら、時連が謎の少女でもさすがに人形と思うのはどうかしている。
「風見くん、どうしたの?」
「あっ……いや、その……」
時連が人形だと思ってその証拠を探すために腕を調べてたなんて言えない。
しかし――
「ふーん、そっか…… 風見くん、もしかして、私が人形だと思ったの?」
簡単に見透かされていた。
「うっ! その……その通りです」
最後が警護になったのは時連の司を見る目が少し違ったように見えたからだ。
「けっして、いやらしい目的で触ったわけじゃないんだ! これは本当だ!」
急いで弁明する。自分としては初対面の相手を人形だと思ったのか未だにわからないが、傍から見なくてもその行動は変態だ。時連はおとなしそうではあるが、内心ではどう思っているかわかったものではない。
「クスクス、いいよ。許してあげる。私を人形だと思ったなんて風見くんが始めてだよ。誰も私に関心なんて向けないから、こういうのはちょっと驚いたよ」
相変わらず笑っている表情ではないが、声の感じが少し和らいだような気がした。
少なくとも怒っていない。これが時連流の感情の表し方なのかもしれない。
「きっと、この本のせいかもね」
時連は司が持っていた本を指差す。司はこのとき指を指されて、初めて本を持ったままだとういうことを思い出した。時連の腕を触っている間は全くと言っていいほど、本の存在は頭の中から消えていた。
「どういうことだ?」
本のせいという時連の言葉が気になる。本のせいということは先ほど自分がしていた異常な行動も思考もこの本のせいとういうことなのか? そんなことはあり得るはずがないと司は思う。
だが、それなら時連を人形だと思ったことも、腕を触って人形かどうか確認したのもどういうことだ。
「この本は変わってるんだよ。持つ人を少しおかしくしたりとかね」
「じゃあ、俺のあの行動って…… この本のせいなのか?」
「そうかもね…… でも、もしかすると風見くんは本当に私の腕を触ってみたかったかもしれないね? 男の子なら、少なからず、そういうのに興味があるはずだもの」
心に槍が三本ほど突き刺さった気分だった。
どうにも時連レンという少女が掴み難かった。今の会話の内容からすると司をからかっているのか。表情からそれを探ることは難しい。
「でも、嬉しいな。私に興味を持ってくれる人がいるなんて。それがちょっとエッチなことでもね」
「いやいや! それだけは断じてないから信じてくれって!」
「冗談だよ」
今度の言葉はさっきよりも感情が籠っているようだ。僅かにだが、時連の口の端がつり上がっているようにも見える。鉄面皮ってわけではないようだ。
「なぁ、この本には何が書いてあるんだ?」
だが、この一言で時連の表情は元に戻ってしまった。
「あまり知らない方がいいよ」
声の感じも最初の淡々としたものに逆戻りしたどころか、何か拒絶も意も含まれていた。
「それって教えてもらえないってことなのか?」
「知らない方がいいってこと。それに知っても意味はわからないよ」
司は時連の言っている意味がよくわからなかった。
――知らない方がいい? 知っても意味がわからない?
奇妙なことだった。この手に持つ本には何が書かれているのか。ここまできて教えてもらえないというのはお預けをされているようだった。
「一応、俺も部長に頼まれて本を探しにきたわけだから…… その本が部長の言っていた噂の本かは知らないが、なるべく探しに来た成果が欲しいんだ。だから、教えてもらえると助かる」
時連は俯いた。だが、部屋の薄暗さからなのか司は時連が何を考えているのか表情からは読めなかった。
「まあいいかな。きっと風見くんは私が何を言っているのかわからないと思うし、教えてあげるよ」
「本当か!」
コクリと頷く時連。
「この本はね、いつかやって来る空からの悪意とその悪意の対処方が書いてあるんだよ」
時連は極普通に言ったのだが、それを聞いた司はというと、
「―――――――は?」
これが素直な感想だった。
「ほらね。私の言った通り」
そう言いながら僅かに口の端を上げる時連。
「あ、いや、すまん…… なんと言うか思っていた以上に突拍子もないことだったから……」
「ふーん、やっぱり突拍子もないことって思ってたんだ。ちょっと傷ついちゃったかな」
本当なのか、冗談なのかわからないが司はとりあえず謝った。
「ふふ、いいよ、謝らなくても。自分でも突拍子もないこと言ってるってわかってるから。それに傷ついたって言ったことも冗談だよ。私、冗談好きなんだ」
司は思った。やはり、この時連と言う少女は掴みどころがないと。
「それでその空からの悪意って何のことなんだ?」
時連の言ったことは突拍子がないことだが、それが何なのかは少なからず気になっていた。
「何のことだと思う?」
逆に問い返す時連はどこか楽しそうだった。
「ヒントとかないかな」
「無いよ」
全く答えが思いつかないのでヒントを貰おうとしたが、呆気なくそれは却下された。自分の頭だけで考えろとのことだ。司は普段はあまり使わない頭をフル回転させて考える。
「うーん…… 空からの悪意、空からの悪意…… ん? 悪意? そうか、わかったぞ! 空からの悪意ってミサイルとかのことじゃないか? ミサイルなんて悪意塗れだろ?」
我ながらなかなかの回答だと司は思ったが、時連は黙って『空の書』を指差す。連れて司の目線は『空の書』へと移る。『空の書』はかなり古ぼけていて所々傷んでいる部分があり、書かれてからそうとうな年月が経っていると思われる。
「風見くんが本についてもっと詳しかったら、ミサイルって答えは出なかったと思うよ。でも、確かにミサイルも悪意の塊みたいなものだよね」
「ミサイルじゃないのか?」
先ほど変わらない動きで頷く時連。
「この本の古さを見て……って言っても普通はピンとこないよね」
「古さ?」
確かに『空の書』は古いが、
「古さって言われても、いつぐらいの古さかなんてわからないぞ?」
司の言う通りだった。本にあまり興味を持たない司にとってはこの本がどれくらい古いのかなんて見当がつかない。
「でも、もう一つヒントがこの本にはあるよ」
「ヒント?」
じっくりと本を観察するが、そのヒントがどこにあるのか見えてこない。古さ以外には時連が言った『空の書』とラテン語で書かれたタイトルしか書かれていない。
しかし、そこでようやく司は気がついた。
「ラテン語で書かれてるってことはその時代にはミサイルはないってことか!」
「正解」
心の中でガッツポーズを取るが、
「それで空の悪意って?」
「教えない」
空の悪意がミサイルではないことはわかったが、答えはわからず、また振り出しへと戻ってしまった。
「風見くんじゃ、答えが出ないよ。ううん、きっとほとんどの人じゃ答えには行き着かないかな」
ほとんどの人が答えに行き着かないと言われてしまってはもう司にはお手上げだった。だが、ここで何が書かれてあるか知らないと後で仁藤に何を言われるかわかったものではないので、引くに引けないのだ。
「空の悪意、空の悪意…… 隕石? ではないよな…… 隕石じゃいくらなんでも古すぎる。他に空からやってくるもの……」
考える司に飽きたのか、時連はと言うと外の景色を眺めている。外は大きな月からの月光と夜の暗さでまるで世界そのものが凍てついているように思えるが、司はそんなことを感じる余裕はなかった。
「もう諦めたら?」
時連が言葉を掛けるが司には届いていなかった。それほどまでに集中を見せるのは維持や答えを知りたい気持ちよりも、仁藤を恐れてのことだった。
「空、空…… ミサイルでもなく、隕石でもないもの…… もう、俺の中じゃ宇宙人しか残ってないぞ」
「っ!」
宇宙人という言葉に時連が振り返った。
その顔は先ほどまで浮かべていなかった驚きの表情が浮かんでいる。
「……マジ?」
司も時連の驚きの表情に連れて同じ表情を浮かべる。声も少し上ずっている。
「え? マジで空からの悪意って宇宙人なのか?」
「……だいたい正解かな」
そう答える時連はどこか嬉しそうである。誰も気がつかず、自分だけ知っていた秘密を理解してくれた同胞とでも言える存在に会えた、そんな感じであった。
「風見くんはラヴクラフトってアメリカの作家を知ってる?」
「いや、知らないが、突然なんだ?」
日本の作家の名前さえろくに知らない司にアメリカの作家の名前なんて知っているはずもなかった。
「ラヴクラフトの作品を読めば空の悪意の意味ももっとわかるはずだよ」
「どういうことだ? その作家の作品に書いてあるのか?」
時連はまたも無言だった。それはつまり言葉通りの意味と言うことなのか。答えを待つ司だったが、答えは返らない。こうなってしまうと時連は何があっても話さないということだけは、この短い間にわかったことの一つと言えるだろう。
沈黙を破ったのは司の携帯電話の着信音だった。少し前に流行った曲が部屋の中に鳴り響く。
「おわッ!! やべっ!」
急いで携帯電話を取り出すと、終了ボタンを押して電話を止める。突然のことだったので、心臓がバクバクと悲鳴にも似た音を上げている。
「そろそろ帰ろうか。見回りの人が来たら大変だものね」
「あ、ああ…… なんだかゴメンな。俺のせいで…… もっと本を読みたかっただろうに」
申し訳なく思う司だが、当の時連はそれほど気にも留めてないようだった。淡々と『空の書』を元にあった場所へと戻すと、
「さ、帰ろう。鍵をするから早く出て」
と、司を伴って部屋を出た。
「私はこの鍵を職員室に返しに行くから、ここでお別れ。風見くんは目当ての本が見つからなくて残念だったね」
一瞬だが、時連の言う目当ての本が何なのかわからなかったが、すぐに自分がここへとやって来た理由を思い出した。時連との出会いや『空の書』、空の悪意など、いろんなことがあって仁藤のお願いをすっかり忘れていたのだ。
「そっちの方は部長に適当に言っておくさ。どうせ、痺れを切らして自分で探すか他の誰かに頼るはずだし。まあ、また俺が探すことになる可能性も高いがな。ははっ」
自分で言ってちょっと恥ずかしくなった。女の子に自分が使いっぱしりになってることはあまり良くは聞こえないはず。だから、最後に照れ笑いになったのだ。
「大変そうだね。私も何か手伝えるなら手伝おうか? 本を探すぐらいしかできないけどね」
「大丈夫、俺もある程度は部長の扱い慣れてるから」
これは嘘ではないと司は思う。その辺の人間と比べたら確かに仁藤との付き合いは長いのだから、自分でも仁藤が暴走しない程度にはコントロールできる。
「それじゃあ私は行くね。風見くんも見つからないように帰りなよ?」
そう言うと時連は歩き出した。その姿はここまで来た司とは違って実に堂々として、見つかることなど恐れてはいないようだった。
だが、少し歩いたところでふと何かを思い出したように立ち止まり振り返った。
「……ご褒美」
「え?」
「半分だけど正解は正解だから。ご褒美に一つ教えてあげる。本当は知らない方がいいことだけどね。私にはやるべきことがあるの」
「やるべきこと? それっていったい……」
これまで表情が読めなかった時連だが、司はこのときの表情だけはなんとなくだが読み取ることができた。その表情とは何かを決意している表情に違いなかった。決意が眼に現れていた。
そこで、司はあることを思い出す。
「空の悪意ってのに関係してるのか?」
「これ以上は教えない。半分正解だからね」
再び時連は歩き出した。
司はその姿をただ見送ることしかできなかったが、何かを決意した時連の寂しそうで凍てついた荒野のような瞳がいつまでも脳裏に残っていた。