プロローグ
新しいジャンルに挑戦しようと思い書き始めた実験的な小説です
もしかすると日常的な非日常な出来事は起こらないかも……
楽しく読んでいただけたら嬉しいです
――その本には空の悪意について書かれているよ
誰かがそんなことを言っていた。
言ったのは誰だろう。
昔、どこかで聞いたことがあるような……
そもそも空の悪意とはなんだ?
どうにも思い出せない霞みがかった記憶。
そんなことを風見司は考えていた。
いくら高校二年生になっても夜の学校は慣れることなんてなかった。
最後に夜の学校を訪れたことはいつだったか。小学校のときになんかで夜の探検をしたときぐらいか。
完全に閉じている門だが、そう高くないので足を掛けられるところを探して、そこを足場として勢いをつけてよじ登る。
僅かに股間が擦れたが痛みはない。
門の向こう側にある同じく足場を使い、校庭へと降りる。
夜の校庭は昼とは大きく違い、まるで墓標のない墓場の様である。もちろん人気はない。あったら驚きである。
三百六十度視界の開けた大パノラマだが、校庭の真ん中に立つと後ろに人がいるような気がしてくる。
司は後ろを振り向くが、そこには誰もいない。
当たり前だ。
当たり前だが、どうしても気になる。
司は居心地が悪くなり、校庭を突き進む。
普段は全く気にしない校舎だが、いざ下から見上げてみると司の思っていた以上に後者は大きかった。普段こんなことをしていれば、不振がられるが誰もいない夜だからこそできることである。
少し歩き、校舎と校庭を隔てる扉を押してみる。
開かない。
今度は引いてみる。
開かない。
いつもは開け放たれているので押すのか引くのかわからないのでどっちも試してみるが、鍵が掛けられている。司は心の中で舌打ちをするが、よくよく考えてみれば今の自分のように深夜の学校に忍び込んで悪さをする不届き者が入れないようにするためだった。
いや、自分はそんな不届き者がするようなことをしに来たんではない。自分は部長に頼まれたことをやりにきただけだ。
心の中で誰も聞かない言い訳をしながら、司はあるところへと向かう。
目的の場所とは学校から帰る前に鍵を開けておいた一階のトイレの窓だった。
窓は少し高く、足場となるものも無いので腕の力を使って無理やり身体を引き上げる。続いて窓に足を掛ける。この動作に悪戦苦闘しながらも転がりこむ形でトイレの中への侵入に成功する。
トイレは毎日掃除されてるはずなのにアンモニアの臭い、要するにションベンの臭いがする。顔をしかめつつも、慎重にトイレの扉を開ける。
左右を確認する。
誰もいない。
ホッと胸を撫で下ろす司。
校庭まではいないが、校舎の中では警備員の人や、宿直の先生がいるからもしれない。いつ出くわすかわからない。
もしも、出くわしてしまったら、明日は先生の雷が落ちるのは確定である。いや、明日を待たなくともその場で落ちるのは確定か。
一応、ペンライトは持ってきているが、使うか使わないで悩み、見つかるのを恐れて司はペンライトをポケットへとしまいこんだ。
今の司の服装は闇に紛れるような黒一色。これで遠目なら多少は誤魔化せるはず。別にこんなせこい手を考えたのは司でない。考えたのは部長の仁藤クリスだ。
『黒一色なら多少見られても平気よ。それにそう簡単には見つからないわよ。どうせ、忍び込む生徒なんてこの学校にはいないんだもの。この学校はこの辺りで一番平和って言われてるのを知ってる?』
そんなことを言っていた。
忍び込む生徒なんていないと仁藤は言っていたが、誰の命令でここまで来ているんだと司は思った。
およそ想像つかないが、夜の学校に忍び込む暴挙をしている生徒はこの学校でも数えるぐらいしかいないのに、自分もその不名誉の中に人知れず入ってしまったと思うと気が沈むようだった。
時間を確認する。
今は午後十時である。
時間を確認したのには別に意味はなかった。ただ、暗い学校から早く帰りたいってだけだった。
司は考える。
図書室は三回の一番端だ。そこまでどう行くべきか。
普通に考えてまずは近くの階段を使い、二回へと行くべきだ。学校の廊下は完全な一本道であり、簡単に見つかりやすい。
なので、教室や物陰に身を隠しながら移動するのがベストという決断が脳内でくだされた。
覚悟を決めて、移動を開始する。
だが、なかなか早く動くことができない。隠れながらということもあるが、夜のがっこうということも多少は影響していた。
人が来ないか窺いながら進んでいると司はなぜこんなことをしているのかと自問する。答えは簡単だ。
部長命令だ。
部での部長命令は絶対ではなかったのは司が一年生の頃までだった。
三年生の部長が卒業してしてから、新三年生にして現部長の仁藤クリスはそれまで隠してきた真の姿を現した。
それはまるで女王様の如き振る舞いで、部長と言う権力を振りかざして、あっという間に部を制圧した。
もはや部は仁藤にとっての国となり、聖域となり、司は女王に使える下僕となった。
普通ならそんな部なんてやめるべきだったが、仁藤クリスは美人であったために惚れるまでとはいわないが、司はその美貌と言う名の毒牙に引っかかり、今でもダラダラと部に仕えているのである。
そして、もう一つ理由がある。
それは部を存続させるためである。
司が通う倉戸高校の規則では部活動をするための人数は最低でも四人必要なのだ。この四人と言う数がなかなかの曲者で、一時は仁藤の美貌に引き寄せられた哀れな男たちが数人いたが、部で仁藤の圧政に尻尾を巻いて逃げ出し、残ったのは部長の仁藤と司、頭がメルヘンな女子、そして幽霊部員が一人と言うのが現状だった。
幽霊部員は名ばかりであり、実質部員数は三人であり、なんとか教師たちの目を欺いているが、司がやめてしまうとばれるのは時間の問題となってしまう。
だから、やめるわけにはいかないのだ。
それに司自身、仁藤の無茶な命令をこなしつつも部の雰囲気は悪くはなかった。女王様気質の仁藤とメルヘン女、慣れれば意外と楽しいもので、ついでに美少女である仁藤二に傅くのもある意味で美味しいものだった。
別にマゾ気質があるわけではない。知らない者から見れば美少女と一緒に居られることは羨ましいことなのだ。
だが、それも圧政に逃げ出した者たちによって広められた噂によって、効果は半減しているのだ。
一階から二階、二階から三階へと慎重に進み、とうとう目的の図書室へと辿りついた。途中階段を上っているときに懐中電灯の光が近づいてきて肝を冷やしたが、それ以外はいつも通りの通い慣れた学校と代わりなかった。
いざ目的の場所へと来ると、その扉はなにか重々しい雰囲気に包まれているようだった。扉自体は別段いつもと変わらないのだが、夜と言うこともあるが、これから自分がやろうとしていることが、扉を重々しくしていた。
慎重に扉を開ける。
音が鳴らないように気をつけながらだったから、開けるのはに少し時間が掛かった。扉を閉めるか悩み、やはり人に見つかるといけないから同じく時間を掛けて扉を閉めた。
ここに来た理由は仁藤クリスのお願いという名の命令だった。
圧政と言ったが、仁藤は人をその気にさせたりとある種の流れを操るのが上手いのだ。最初は簡単なお願いだけだが、それが徐々にエスカレートしていきお願いは有無を言わせない命令となるのだ。
断りたくても断れない、蜘蛛のように獲物を麻痺させるのだ。
今回の仁藤のお願いとは、
『図書室にはね。閲覧禁止の棚があるらしいのよ。それで私も読んでみたいな~って、思ってね。でも、今日は用事で早く帰らないといけなくて、よかったら司くんにその本を取ってきてほしいな~なんて思っちゃったりして。え? いいの? いいの? 本当にいいの? 取ってきてくれるの! 司くん優しい~ じゃあ、お願いしちゃおうかな。じゃあ、明日部室に持ってきてね! 約束よ? 約束破ったら、私恐いわよ? ……なんてね! 冗談よ、冗談! 私と司くんの仲じゃない。怒らないわよ。それじゃ、司くん頼んだよ! えっ? 本の名前? さあ? 私もその噂しか聞いたことないから、本の名前は全然知らないの…… あ、やっぱりダメかな? そうだよね…… 名前のわからない本なんか探せないよね…… ううぅ、グスっ…… ごめんね、期待してたぶん、反動がちょっと大きくて…… グスッさん……グスっ…… えぇ? 何? それでも探してきてくれるの? いいの? 名前がわからない本なのよ? それでも探してきてくれるの? 本当? ありがとう! やっぱり司くんは頼りになるわね!』
恐ろしいことにこの間に司は一言も言葉を発していない。
これだけの言葉の中に本が詳細不明だと言うこと、それを理由にしての逃げの口実を潰すための泣き、いかに自分が司を頼っているかと言うことをこれほどかと入り混ぜたのだ。
もちろん、司は反論しようと思ったが、言葉の激流と美少女にお願いされるという美味しい出来事に気を許してしまったのだ。
今思えば、このお願いは何度目だろうか。
前も昼休みに弁当を忘れた仁藤にお願いされて購買部へとパンを買いに行ったことがあった。しかも、司の支払いで。
このときも、やはり美少女のためにパンを買ってくると言う美味しい行為のためにパンを買ってきてしまったのだ。
頭の中でなんども反省するが、あの美貌の前には反省など意味がないことを薄ら薄ら気がついている。
部屋の電気は点けられないので、持ってきたペンライトで例の本を探す。例の本と言っても名前がわからないので閲覧禁止の棚を見つけた方が早いと思うが、そもそも図書室はあまり利用しないのでどこに閲覧禁止の棚があるのかわからない。
それらしい棚を探してみるが、どうにも見つからない。
そこであることに気がつく。
図書室の中には重要な資料となっている本を管理する資料室があるのだ。普段は担当の先生が鍵を持っているので、先生に頼まないと入ることができない。
資料室の鍵は先生が帰る前に職員室の壁に掛けてあるので、職員室に行けば手に入るはずである。
ここまで来て、また危険を冒して戻るのかと思うと憂鬱になった。
戻る前に何気なく資料室のドアノブに手を掛けて回してみた。
扉が開いた――
司は扉が開いたことを理解するまでに数秒掛かった。
あれっ? なんで?
頭の中はそんなことでいっぱいだった。
先生が忘れたのか?
都合のことが浮かぶがそんなことはありえない。重要な資料があるのだから、鍵を掛け忘れるなんてあるはずがない。いや、万に一つあるかもしれないが、それがちょうどよく今日忘れるなんてあるだろうか。
音がしないように扉を開く。
そこで司が見たのは――
月光を浴びながら、その光で大きな本を読む椅子に座った少女だった。
司の思考は完全に停止した。
何が起きているのか思考が纏まらない。
資料室の扉に鍵が掛かってないなんて目じゃないぐらいのものだ。
なんでこんな時間に?
幽霊?
でも、足はあるし……
制服は着ている。ここの学校のだ。
「誰?」
司に気がついた少女が声を上げる。上げると言っても、騒ぎ立てるのではなく、只々静かに問いかけるように。
その顔は怨嗟に歪んだ顔……ではなく、月光に照らされてとても美しくも儚いような、その光景そのものは幻か夢であるかのようだった。
「誰?」
少女がもう一度訪ねる。
月の光を反射させて双眸が司を見つめる。
ようやく司は自分が訊ねられていることを理解した。
「あ、えーと…… 俺の名前は司…… 風見司」
「司? ……風見司」
少女が反芻する。
司も聞きたいことがあった。
「君は誰?」
これが聞きたいことだった。
「……レン」
少女はそう言った。