[2] 赤髪の七草
どこにあるかは神楽には分からないし、そこまで神楽を乗せて連れて行く夏眼ですら、そこがどこなのか分からない。
そんなおかしなところにあるのが、神楽たちのいる『お屋敷』と呼ばれる本部。
神楽のように世捨て人と出会ってしまった人間たちが集まり、世捨て人と戦うための集団が作られた。その人々を境界人と呼ぶ。常世にも別世にもいられない、世捨て人と限りなく近い"人間"たちのことである。
境界人が生活しているのが『お屋敷』という大きな家。そこで食べて、寝て、世捨て人が現れたとなったらそこへ出向き、消して帰って休む。そこには彼らの日常がある。
神楽はあの日、境界人となることを余儀なくされた。
「あら、その子……」
お屋敷に入ると、七草という女性が神楽たちを出迎えた。
彼女は『赤髪の七草』と呼ばれている。赤く長い髪がその由来だ。
「そう、見ちゃったのね。名前は?」
神楽は、自分の足に縋りつく少女を見て困ったように、
「それが、一言も喋らないんだ」
「一言も?」
七草は大いに驚いたようだった。神楽はただ頷いた。
「そう……それは困ったわね。――まあいいわ。ご飯にしましょう」
と、七草が手を引いて少女を連れて行く。少女は名残惜しそうに神楽を振り返ったが、目が合った神楽が僅かに微笑むとまた前を向いて歩いて行った。
神楽も靴を脱いで上がり、自分の部屋に戻る。夏眼は普通の犬のサイズに戻り、神楽と一緒に部屋へ入った。
部屋に入って太刀を大事そうに置き、黒く裾長の服を脱ぎ捨てる。
『あの娘、お前のこと気に入ったんじゃないか?』
「……」
神楽は何も言わなかった。夏眼が愉快そうに、
『照れるなよ』
「煩い」
神楽は脱いだ黒服を夏眼に投げつける。夏眼は身震いしてそれを振り払った。
「飯だ。いらないなら来るな」
『冗談きついぜ』
普段着に着替えた神楽を追うようにして、夏眼も部屋を出た。
* *
「神楽、この娘ちゃんと喋るわよ? 嫌われてたんじゃないの?」
神楽が近付くと、少女と話していた七草が出し抜けに言った。それを聞いて夏眼がケラケラと声を上げて笑った。それを神楽は横目で睨んで、
「おい……」
『ああ、悪い悪い』
七草が明るく笑う少女の頭を撫でて、
「葉月っていうのよね」
少女は嬉しそうに頷いて、
「うん、葉月!」
神楽は呆れ返って溜め息をついて、七草の横の向かいの席に座った。顔見知りの仲間が食事を運んできてくれたので、礼を言ってそれに箸をつけた。足元では夏眼が餌にかぶりついている。
黙々と食事をしていると、あの葉月と言う少女がこちらを見ているのに気付いた。神楽は思わず手を止めた。葉月はなぜか神楽の顔をじっと見ている。
「どうしたの、葉月」
七草がまるで母親のように問い掛ける。
「お兄ちゃん、なまえ、なんていうの?」
「俺?」
「うん!」
神楽は少し迷ってから、
「神楽だ」
「かぐらー? 変ななまえ!」
葉月は声を上げて笑った。自分の名前を笑われて、神楽は顔をしかめる。
食事を終えて、神楽は七草に話があると言った。葉月は、先ほどまで恐がっていたような素振りを見せていた夏眼に、今は興味津々だった。嫌がる夏眼に葉月を預けて、神楽は七草を連れて食堂を出た。
「どうしたの、神楽」
「さっき、あの娘を見つけたときに、傍に人間の首が転がってた。もしかしたら、あの学校の教師かもしれない。葉月って娘、あの学校の生徒だと思う。――お前、何をした?」
神楽は、七草の瞳を見つめた。七草は観念したように口を開いた。
「――知ってるわ。あの娘の記憶……私の蟲に喰わせたの。今は私が持ってるわ」
そう言って七草は自分の頭を指差した。
「名前は?」
「私が蟲たちに喰わせたのはさっきの夜の記憶だけよ。名前は彼女が自分の口から教えてくれたわ。――あなたの言うとおり、傍で死んで首だけになっていた男はあの娘の担任。あの娘は、彼が文字通り『喰われる』瞬間をあの目で見た」
「それで喋れなかったのか」
神楽の問いに、七草は頷いてそういうことだわ、と言った。
「今はああしていられるけど、時間が経てばきっと家族の事を思い出す。当然のことだわ」
あなたは違う。
そう言われているようで、神楽は気分が悪くなった。
「あなたを、悪く言うつもりはないわ。あなたの場合は特別なケースよ。――あの娘には、ケアが必要かもしれないわね」
「誰がそれを?」
「しばらくは私が面倒を見るわ。どうなるかは分からないけど……」
「どうなるかって?」
七草はいたずらっぽく微笑んで、
「あなたの方が好きかもしれないしね?」
神楽は苦笑いした。
* *
――今から二年前のことだ。
庭に面した縁側。幾つもの襖が並んでいる。ここは、お屋敷だ。
「神楽!」
今よりも少し幼い神楽が、七草の呼び声に振り向いた。
「なに、七草」
「長に聞いたわ。あなた、嘘をついてたわね?」
「何の話だか分からないな」
「家族のことよ! あなた本当は覚えてたのね……? なのに『忘れた』なんて嘘をついてたの? この八年間ずっと!」
七草はややヒステリック気味に叫んだ。周りの襖が開いて、何事かと人が顔をのぞかせる。
「落ち着けよ、七草」
「落ち着いていられるもんですか」
七草はそう言ってつかつかと神楽に歩み寄り、その腕を掴んだ。
「来てちょうだい」
「ちょ、離せよ……」
七草は容赦なくその腕を掴んだまま、神楽を引っ張って歩いていく。そして三歩行って立ち止まり、勢い良く振り返った。
「夏眼……あんたは来ちゃだめよ」
そう言ってまた前を向き、彼女は歩き始めた。
すると縁の下からのそり、と黒い犬が出てきた。
『聞きたくもないな』
部屋へ入ると、神楽は言われるがままに畳みに正座した。向かいには恐い顔をした七草が座る。
「悪いとは思ってる」
「冗談じゃないわよ。どうして? どうして言ってくれなかったの?」
「言いたくない。俺は今日、あの連中と縁を切る。ただそれだけだ」
神楽は頑なに答えるのを拒んだ。
「……ご両親のことが、嫌いなの?」
「何の感情も抱かない。あいつらが俺を嫌ってるんだから、仕方ないだろう。――だいたい、
七草は『蟲使い』だろう? だったら、そいつらを使って俺の記憶に入り込めばいい」
「……嫌よ。あなたの口から聞きたいの」
七草も負けじと否定する。
彼女の瞳が、神楽のそれを捕らえた。
「――俺の、両親は……俺を嫌ってる。なぜかは分からないけど、気がついたら家の中で俺はいつも弾かれていた。虐待なんて、そんなレベルじゃない。まるで害虫扱いだよ」
神楽は一気に言って、肩を竦める。
「もう、聞かないわ」
七草は言った。神楽は頷いて、黙って部屋を出た。
――その夜。二時頃のことだ。
『寂しいか』
夏眼が低く尋ねる。
「別に。仕方ないことだ」
神楽は冷たく言い放った。