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spin-out;er  作者: 美咲 菫
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[1] 神楽と少女

 夜中。午前2時頃。

 一つの人影が、月明かりの照らす道路を寂しく歩いていた。たがそれは見た目だけで、本人は「寂しい」などとは微塵も感じていないのである。

 黒いマント。腰には長い太刀。微かな風にもなびくほど繊細な髪も、漆黒。

 歩いているうちに、どこからともなく黒い犬がその人影に寄り添う。

『寂しいか』

 その犬が低く言った。

「別に。どうせあっちも、俺のことを覚えてないんだ」

『クールだな』

 男の声が答え、また犬が言う。

 見る見るうちに、犬の体が大きくなっていく。やがてそれは人が一人ゆうに乗れるほどの大きさまでになる。

 黒服の男は、その犬の体に飛び乗った。

「さよなら、だ」

 男は、誰にともなく吐き捨てた。

 犬が宙を駆けて行く。



――神楽はこの日、家族との係わりを断ち切った。



*  *


 いつになっても思い出す。

 あの忌々しい夜のこと。

 そもそも学校に忘れ物をしたせいだ。だからあんな目に逢ってしまったんだ。――だから常世を捨てなければならなかった。


 幼い日の羽山神楽は、あの日のあの時、「バケモノ」に会った。

「あれはね、人が人でなくなった物。常世に抗い続けて、別世を夢見すぎた人のなれの果て……彼らを、『世捨て人』というの。『常世』を嫌がり、『別世』に入ったものの、ああしてまた『常世』に姿を現す……中途半端な生き物よ」

 七草は黒い乗り物――『籠』というらしい――の上でそう少年に教えた。 

「じょうせ? べっせ?」

 少年は聞きなれない言葉に、思わず問い返した。

「『常世』っていうのはね、普通のまともな人間が住んでいる世界。学校があって、会社があって、戦争があって、貧困があって。『別世』は、常世に愛想を尽かせた人間たちが夢見る、理想の世界。だけど絶対に立ち入ったらいけない、禁断の世界。分かったかしら」

「よくわかんないけど……『じょうせ』はよくて、『べっせ』はだめってこと?」

「そうね、簡単に言えばそういうこと。人間は元来、常世で生きるべき生き物だから」

「おねえさんたちは?」 

「私たちは、もう常世では生きられないの。もう――別世を見て、足を踏み入れてしまったから」

 そう言って七草は悲しそうな顔をした。

「じゃあ、おれは?」

「あなたも、可哀相だけど同じよ。私たちと」

「おれも、『べっせ』の人になるの? バケモノになるの?」

 少年は涙目で七草に問い詰めた。

「大丈夫よ。私たちを見て? バケモノに見える? 変なところから手足が生えてる?」

 少年は鼻を啜りながら、生えてないと答えた。

「でしょう? 大丈夫だから……私たちが、あなたの仲間。あなたも、私たちの味方よ」

 七草はそう言って、いとおしそうに少年を抱きしめた。


*  *


 そうして教えられた事実が、こんなにも悲しい物だったとは、神楽自身、そのときは分かっていなかった。もちろん、それが大変なことだとは感じていたが、今になって考えればその頃の考えなど甘いものだったのだ。

『どうした、神楽』

 自分の下から聞こえる声。

「なんでもない」

 神楽は素っ気無く答える。

『また昔のことを思い出していたんだろう? 違うか?』

「煩いぞ、夏眼」

 ふう、と溜め息をついてその犬――夏眼は口を噤んだ。

 だがその沈黙を先に破ったのは神楽だった。

「夏眼」

『ああ、分かってるぜ。かなり近いな……』

「意外だったな。――巻き込まれてる人間は?」

『いないみたいだ。だがいるかもしれない。いてもおれを責めるなよ』

 神楽は頷いた。

 所詮、人間の放つ臭いや気配などは、世捨て人のようなバケモノ共に比べたら微弱なもの。鼻の利く夏眼でも、嗅ぎ分けるのは難しいのだから仕方ない。

 巻き込まれた人間がいると、色々と面倒だ。その人間はもう常世からは抜けなければならない。別世に身を落としたも同じだからだ。

 通常、常世に生きる人間が世捨て人のようなバケモノに出会うことはありえない。だが、それでも出会ってしまう機会が「夜」だ。特に、夕方と朝方。こうした境目の時間は、時空が歪んで常世と別世の境にあたる世界が出来てしまうからだ。その狭間に運悪く足を踏み入れた人間は、世捨て人と出会うことになる。そう、神楽のように。

『見えたぜ。――ありゃ学校だ』

「ふざけたシチュエーションだな」

『全くだ』

 そう答えた夏眼の声は、いささか愉快そうであった。

「降りろ」

『仰せのままに』

 神楽の言葉に従って、夏眼は高度を徐々に下げる。

 目を凝らすと、不気味に蠢く赤黒い塊が、教室らしい一室に見えた。

「あれは……」

『お前のトラウマと、同じ型だぜ……』

 あの日の夜と、同じだった。近付くにつれて、その塊に奇妙な人間の手足が生えているのが分かる。そして口らしき大きな穴からは、青み掛った液体が垂れて糸を引いている。

『そら行け』

 夏眼がその部屋の窓に横付けると、神楽は服の裾で身を覆いながらガラス窓を突き破って中へ入った。

 思ったほどでもない――神楽はそう思った。おそらく幼い日の神楽が出会った世捨て人とさほど変わらない大きさだろうが、あの頃感じたほど巨大には見えない。むしろこれくらいなら小さい方だ。

 だがそれよりも気になったのは、教室の机の上にある、人間の首から上だ。ぎょろり、と恐怖に見開かれた目が神楽を真っ直ぐに見据えて、動くことがない。この学校の教師だろうか。不運にも巻き込まれたのだろう。

 その頭部だけがあった。おそらく、神楽が来るより前に喰われたのだろう。

 神楽は軽く舌打ちをして、腰の剣を抜いた。――『葬送の太刀』と呼ばれる、大きな刀。

「あばよ……」

 呟いて、床を軽く蹴る。その一歩で大きく前に進んだ体ごと、世捨て人目掛けて太刀を突き刺す。

――ギィヤァァアァァァァァアアアァァ……!

 シュウシュウと蒸気のような煙を上げてその物体は燃え、その姿が小さくなり、叫び声とともに消えていった。

「ふん……」

 神楽は太刀を鞘に収めた。

 今日はこれで終わり、のはずだった。

「なんだ、これ……」

 世捨て人の消えた後に、小さな紙切れが落ちていた。拾い上げてみても、ただの紙に過ぎないように見える。それが何を示すのかは分からなかった。神楽はそれを懐にしまった。

 それから静かな教室に耳を澄ますと、微かだが子供の泣き声が聞こえた。

 神楽は教壇の上に上り、教卓の下を覗いた。

「……!」

 そこにいたのは、幼い少女。神楽の頭に、あの日の夜のことがフラッシュバックする。

 少女は、神楽を見て驚いたように身を震わせた。声も上げずに、彼女は泣いていた。

 神楽は少女に合わせてしゃがみ込んだ。

「お前、何か見たのか?」

 少女は何も答えずにまた涙を零した。神楽は参ったように仕方ねーな、と呟いた。

『神楽、どうした』

 外から夏眼の声がした。

『人間か?』

「ああ」

『いたのか。仕方ないさ、連れて行こう』

「分かってる」

 神楽は教卓の下から少女の体を抱え上げた。

「……っ!」

 再び少女は驚いたように身を震わすが、やはり声は上げなかった。

『なんだ、小さいな。あの頃のお前くらいだな、ちょうど』

 という夏眼の背中に少女を乗せる。少女は夏眼のことが恐いのか、また目に涙を溜めた。今にもその雫が零れ落ちそうである。

「……っ…………っ……」

 神楽が夏眼の背に飛び乗ると、その少女は泣きじゃくりながら神楽に縋りついた。

「あぁ?」

『おいおい、その娘に好かれたんじゃないか? 神楽』

 夏眼は愉快そうに言った。

「勘弁してくれ……」

 夏眼が夜を駆ける中で、神楽は困ったように星空を仰いだ。

 

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