[12] 守るべき者
外は相変わらず騒がしい。七草に「外へ出てはいけない」と言われているものだから、どんなに外の様子が気になっても葉月は何もできなかった。一緒に部屋にいる鶴雅も、どうやら落ち着き無い様子だ。何度も襖の外へ目をやったりしているし、壱乃も常に外を睨みつけるようにしている。
外の騒がしさは尋常でない。故に何を言っているのか、誰の声なのか、むしろ人の声なのかどうかも判別がつかないほどだ。
葉月は、壱乃の横で膝を抱えて黙っていた。寒いわけでもないのに、背筋に悪寒が走って葉月は身を震わせた。
『寒いのかい?』
壱乃が尋ねる。葉月は首を左右に振った。
「ううん。でも、なんかイヤなの」
『何が?』
「わかんないけど、やだ……こわいよぉ」
じわり、と溜めていたものが溢れるように、葉月の目に涙が滲む。乱暴にそれを袖で拭い、嫌な思考をふるい落とすように首を振った。
「かぐらお兄ちゃん……」
小さな呟きが、吸い込まれるように消えた。
その始終を半身を起こして傍で見ていた鶴雅は、まるで何かを決したような表情をしていた。そして彼は言う。
「壱乃、しばらく葉月の面倒を見ててくれませんか」
そう言って一度咳払いして、鶴雅は立ち上がった。念のためを思って脇に置いておいた太刀を手にして。
『鶴雅、だめだよ。あんたは行っちゃいけないよ。どうなるか分かってるじゃないか』
壱乃の声色がいつもより低く響いた。
だが鶴雅はそれを無視した。葉月に向かって笑みを浮かべながら、
「神楽は死なせませんよ、葉月」
そう言って壱乃の静止も聞かず、襖の外へ消えた。赤い悪夢の向こう側へ。
* *
お屋敷の建物を出てからというもの、鶴雅の動きは速かった。まるで疾風の如く駆け、出会う世捨てを全て切りつけて行った。
その姿を認めた境界人たちの中からは、壱乃と同じ、彼を制止する声が鶴雅へと投げかけられた。
彼が一心に向かったのは、ただ一つ。――百鬼のところだった。
神楽が『葬送の太刀』を構え、百鬼は冷たい笑みを浮かべて対峙する。
なぜか、これほどまでに憎い相手のはずなのに肝心な今、体が硬直したように動かない。怖い? 怖いのだろうか。
「君もあんな風になりたいのかな? 違うよね……死にたくなんか、ないよねぇ」
そうだ、死にたくなんかない。
「俺はお前を倒す」
「できるかな? それは君自身が命を落とすことなのかもしれないよ。この世の法則を知っているならね……」
そう言って、百鬼の表情が一度呆けたようになった。だがすぐに笑みを取り戻して、叫ぶように呟いた。
「鶴雅……!」
その視線の先――神楽は振り向いた。赤い闇に、白い肌をした一人の華奢な男が塀の上に降り立った。
鶴雅は、整然と歩みを勧めて、神楽の後ろに立った。
「長、どうして――」
「君は死んではなりません、次期長」
神楽がその言葉に目を見開くと同時に、鶴雅は神楽の肩を掴み、その手から無理やり『葬送の太刀』を抜き取って、そして勢いよく引っ張って兵の上から落とした。
「夏眼!」
鶴雅が呼ぶと、夏眼がすぐにやってきて神楽の体を受け止める。塀の上から、鶴雅が別の刀を投げて寄越した。その顔にはやんわりと、笑みすら浮かんでいる。そしてそのまま夏眼は、神楽を争いの中へと連れて行こうとした。
「降ろせ、夏眼! 止まれ! あのままじゃ長は死んじまう!」
『駄目だ神楽。長はもう覚悟を決めている。これは――聖戦なんだ』
「ふざけるな!」
『お前は戦うべきなんじゃないのか、託されたものがあるだろう。守るべきものがあるだろう』
言われて気付く。鶴雅が今外にいるということは――。
歯軋りして夏眼へ指示を出す。このまま長の部屋へ向かえ、と。
思った通り、主を無くした砦は、恰好の獲物となりかけていた。
壱乃が大きな体を立ちはだからせ、世捨て人の中への侵入を拒んでいる。鋭い爪と歯にかかった奴らは、一様に燃えて消えて行くが数が多すぎた。
神楽は夏眼の背を蹴って宙へ踊り出た。
その姿に気付いた世捨て人たちは、一斉に標的を変えて神楽へと向かってくる。『葬送の太刀』ではないただの刀を振り回しながら、神楽は一つずつ確実に仕留めていく。数体の世捨て人は全て燃えていった。
神楽は壱乃の前に降り立って言う。
「なぜ止めなかった!」
『止めたさ。だけどあいつは、あたしの言葉なんか素直に聞くほど阿呆じゃないんだよ。それに自分の命がもうほとんどないことも知っていたんだから。だからあんたに後を任せたんだ』
「俺はそんなことを望んでない!」
神楽は、葉月の目の前だと知っていながら声を張り上げた。そして気付いていなかった。物凄い速さで迫ってくる世捨て人に――。
『全くこの小僧は――』
「かぐらお兄ちゃん!」
足音がして、神楽は振り向いた。目の前に世捨て人がいた。そして立ちはだかるように葉月がその間に立っていた。
やられる――。
神楽は目を瞑った。
「だめぇ!」
どんっ、と鈍い音がした。間に合わないと諦めていた神楽が目を開くと、不思議となんともなかった。ただ、彼と壱乃と葉月を覆うように半透明の半球ができていた。そしてその外で、世捨て人が一体のた打ち回っている。
「な、んだ……これ」
『結界……やっぱり』
呆けている場合ではなかった。神楽ははっとして、刀を握りなおした。
「葉月!」
葉月を部屋の中へ押し込め、世捨てへ切りかかった。もうあの半球はどこにもなかった。
燃え行く世捨てを目の前に、神楽は壱乃へ問い掛けた。
「結界って?」
『あの娘、陰陽師の家系の子供だよ。まだ血は廃れてなかったってことだね』
葉月が部屋の中から駆けてきて、神楽の足に縋りついた。
「かぐらお兄ちゃん……っ」
神楽はしゃがんでその頭を撫でながら、
「ごめんな葉月。怖かったよな。ありがとう、葉月のおかげで助かったんだ」
葉月は涙を流して頷いた。