[11] 赤月の悪夢
一人、また一人と仲間が消えて行く。神楽とて、伊達に十数年もこの世界にいるわけではない。まるで身を切るような思いだった。
心身ともに疲れ果ててお屋敷へ戻ってくると、廊下の縁に座って足をぶらつかせながら、葉月が空を見上げていた。
神楽は、目を凝らした。
葉月の周りに、何か膜のようなものが見える。自分の錯覚だろうか。
すると、葉月は神楽に気付き、笑顔でこちらへやってきた。
「かぐらお兄ちゃん!」
彼女が立ち上がると同時に、膜のようなものは見えなくなった。やはり疲れているせいなのだろうか。
「どうした?」
「ななくさがね、つるまさとお話してるの」
「そっか」
葉月はまた外を見て言う。
「お兄ちゃん。どうして赤いお月さまがでているの?」
「ん?」
「あのお月さまがでてからずっとね、ななくさがこわい顔してるの。ねえ、まただれか死んじゃうの?」
神楽はしゃがみ込んで葉月に目線を合わせて言う。
「葉月?」
「だって、どんどんみんないなくなっていくよ? 葉月、寂しいよ……」
葉月はそう言って目を潤ませた。口元を結んで、泣き出しそうなのを堪えているようだ。
「大丈夫、誰も死なせない」
「かぐらお兄ちゃんは?」
「俺は……」
「死んじゃヤダよぉ。かぐらお兄ちゃんは、葉月のお兄ちゃんだもん……」
悟っている、賢い子だ。
子供だからこそ感じ取れることだったのかもしれない。誰も葉月に赤い月のことを教えていなかったとしても、屋敷の雰囲気はどう考えてもおかしかった。それに人数も大分減った。葉月が気付くのも無理は無かった。
「そうだな、葉月が応援してくれたら」
「そうすれば死なない?」
「うん」
「葉月、応援するよ!」
葉月は両手でガッツポーズを作って神楽に言った。神楽はその姿に笑いながら、頷いた。
そして決める。――絶対に死なない、生き続けてみせると。
* *
全ての境界人が、空を見上げた。いつもは暗いはずの空が今だけは、赤く照らされている。
塀の上にずらりと並んだ黒い影。どの顔にも、緊張と焦りの表情が浮かんでいる。七草も夜水も、神楽もまた同じ。そして鶴雅は部屋に篭り、葉月と共にそのときを待っていた。
やがて赤い月を覆うように靄が掛った。言わずとも、その正体を誰もが知っていた。誰が合図するわけでもないが、全ての境界人がそれぞれ武器を構える。
「――用意……!」
緊迫した七草の声が叫ぶ。
「なあ神楽」
隣にいる夜水が、声をかけてくる。
「おれたち、生きてまた会えんのか?」
「らしくもない。当たり前だ」
夜水は笑みを浮かべて頷いた。
すでに一つ一つの世捨て人の形が分かるほどに、それは近付いてきていた。まるでスピードを増しているように、その影は迫ってくる。十分に弾き付けたところで、再び七草の声がこだました。
「かかれ!」
同時に境界人が飛び上がる。
辺りに注意を配りながら、神楽は一体一体、確実に退治して行く。だが世捨て人の数は絶対的に以前より多くなっている。
ずっと高く、世捨て人と境界人が争う頭上に一人の影があったことに神楽は気付いた。そしてそれに向かう、もう一つのぼやけた影。
「あれは……」
目を凝らしていると、左手から人の首から上ばかりが集まった塊が迫っていた。神楽はそれを切り付け、最後に太刀を突き刺すと、塊は燃えて消えた。
再び二つの影に目を向けた。赤い月を背にした対の影の距離は縮まっていた。
「七草……!」
間に合うかどうか、神楽は世捨て人を踏みつけてそちらへ向かった。七草の後ろから世捨て人が追いかけている。
七草の周りは無数の蟲に囲まれていた。まるで主人を守る護衛のように。
世捨て人が七草に追いつきそうになる。間に合わないと確信した神楽は、葬送の太刀を投げつけた。ぶすり、と不気味な音を立てて刀はその体に突き刺さった。世捨て人の動きが止まり、やがて炎をあげて燃え始めた。
刀を抜きに行った神楽の背後で、低く呻き声があがる。七草が百鬼を殺したのかと期待して神楽は振り返った。
ひゅう、と風を切る音が聞こえた。七草の手から、小太刀が落ちて行くのが見える。
視線を上げて、神楽は息を飲んで歯軋りする。
七草の背から、百鬼の腕が這い出ていた。
百鬼の浮かべる表情はまるで氷のように冷たい、鬼のような顔だった。
「ふざけるな――!」
神楽の怒号が、赤い闇に吸い込まれた。