伝染する噂 (4)
朝、授業が始まる前の出欠席をとる時間。一人ひとりの名前が呼ばれていく。
「安達 加奈。」
「はい。」
「織田 完児」
聞きなれた名前だが、返事はない。カンと同じクラスの学と両が、彼の席を見る。
そこには、椅子と机がポツンと存在を主張しているだけ。カンが来ていないのだ。
先生は、誰もいない席を目で確認すると、持っていた出席簿にさらさらと何かを記入し、次の名前を呼んでいく。
両と学は遠い席にも関わらず視線を合わせ、相手の顔を伺った。両方とも不思議そうな顔をしている。
カンは真面目な方でもないし、気まぐれだったから、よくふとした時に学校を休むことがある。たいがいその休みは、カンが熱中しているものを調べにどこかへ行っている時だったりする。だからこそ、両と学ぶは首を傾げているのだ。
昨日のカンの様子を見れば、彼が今あの話に熱中していることが誰の目にも明らであり、自慢をしに今日は絶対学校に来るはずなのだ。
もしかしたら何かあったのかもしれない。だが、まだ朝ということもあり、放課後カンが来る可能性もあると、二人は考えた。だから、気にすることなく一日を過ごすことにしたのだった。
放課後になるとすぐにいつもの場所へと集まった。
集まったのは、両、学、あーち、かずみの四人。カンは結局学校に来なかった。
「カン、風邪でもひいたのかなぁ?」
「どうかしら。案外、鬼に捕まってたりして。」
カンのことを聞いたあーちが心配そうに呟いた。が、かずみは彼女を茶化すように言葉を放つ。
かずみに、三人の視線が突き刺さる。かずみは肩をすくめて椅子に腰をかけ、足を組んだ。
「そんな怖い顔しないでよ。冗談なんだから。」
「あ、ごめんなさい、かずみ。ちょっと神経質になってて……。」
かずみがあまりに困った様子でそっぽを向いてしまうものだから、学が慌てて謝った。最近の自分達の行動を振り替えると、正常とは言えない怖がり方をしているからだ。
言い換えれば、たかが夢に何をそんなに恐れているのか。そんなこと自分でもわかっているが、全員が全員という状況に恐怖が拭えないのだ。
「ねぇ、このさい、カンの家に行ってみようよ。きっと、カンの顔見れば安心できるよ。ね?」
不安を拭えないあーちが全員に提案する。
一人一人の心境は違うものの、誰一人反対する者はいなかった。
四人は、カンの家の前まで来ると足を止めた。
カンの家は一軒家で、母親と妹とカンで暮らしている。父親は単身赴任で家にはいないのだ。
両がインターホンを押すと、ピンポーンという音が家内に響く。しばらくして、トタトタという足音が聞こえてき、足音が止まると目の前の扉が開いた。
顔を出したのは幼い顔の少女。きっとカンの妹だろう。
「えっと、完児君の友達の工藤です。完児君いらっしゃいますか?」
インターホンを鳴らした両が一歩前に出て自己紹介をする。妹は、両をじっと見てから他の三人を一通り見回した。
「お兄ちゃんなら、今朝から帰ってないよ。」
警戒しているのか、いささかぶっきら棒な感じで彼女は一言述べた。
「今朝から?」
あーちが眉を顰めて、隣にいる学の服を掴んだ。そして、疑問を妹に投げかける。
「うん。昨日の夜は居たみたいだけど、今朝見たら居なかったよ。お母さんは、随分早くから出かけたのね。って言ってた。」
彼女の言葉に、四人とも思わず言葉を失い、生唾を飲み込んだ。そんな彼等の動作に気付いていないのか、気にしていないのか、妹は軽く話を続けた。
「お兄ちゃんのことだから、数日たったらひょっこり顔出すと思うんだ。」
「そ、そう。ありがとう。」
学がやっと声を絞り出し、引きつる笑顔で妹に礼をする。彼女の手はあーちの手をぎゅっと握り締めていて、多少湿り気を帯びていた。
「うん。帰ってきたら一応伝えとくね。」
妹は頷きながら言い、ドアの向こうに姿を消したのである。
カンの家の前で固まったように突っ立っている四人を、赤い光が照らし顔に影を作っていた。
時刻は日が沈む夕方。蝉が騒がしく喚いているのが、四人の耳を通り抜けていた。
あの後、話し合った結果。四人はあーちの家に泊まることにした。あーちがマンションで一人暮らしをしているからだ。
広いとは言えない部屋だが、そこに四人は固まって座っていた。とりあえず、皆に飲み物を配ったあーちが口を開く。
「カン、どうしちゃったのかな?」
「さあな。あいつの家族はいつもみたくどっかへ一人で遊びに行ったと思ってるみたいだけど……。」
あーちの重たい呟きに、飲み物を口に運びながら両が片手をついて答えた。その声もどこか暗いものがある。
「多分、出かけてないよね。カン。」
学の言葉が一気に辺りを凍りつかせた。皆、押し黙ったまま時間が過ぎる。
両は気まずさにちらりと時計に目をやった。時計の針は7時を指し示している。
「あのさ、あーちと学。昨日、二人で居たんだろ?どうだった?あーちの足跡もあったのか?」
両は時計を見たま沈黙を破った。これから四人でこの部屋にいるのだから、昨日二人で居た状況を聞いておくことは今後の参考になるだろう。
学とあーちは互いに顔を見ると、あーちが学に片手を差し出した。学に話すよう促しているのだ。
「えぇと……結論から言うと、足跡は二つあったわ。でも、どっちがどっちのだかわからなかった。同じ場所にあったから。それで、夢の内容をあーちと確認したの。そしたら、あーちはやっぱり自分の部屋の夢を見てたんだって。だから、寝る場所は関係ないみたい。夢の舞台はあくまで自分の部屋で、足跡は現実の方を追いかけてくるみたいなのよね。」
「ようするに、どこで寝ても変わらないってことか。で、夢の内容はどんなだった?」
学の話に相槌を打ちながら、両はさらに彼女に言葉を続けるよう声掛けをする。
「夢の内容は驚いたことに、ほぼあーちと同じだったわ。二人とも方法は違うけど"一番、大事にしている場所"のことを知ってしまったところで目が覚めたの。両とかずみは?」
「俺も同じだ。」
学の問いかけに答えたのは両だけ。かずみは何かを考えるようにあさっての方向を向いていた。学が訝しげに眉を顰め、かずみを覗き込む。
「かずみ?」
「私は……既に枕元に足跡があった。内容は言えないわ。そういう風になっているの。」
呼びかけに、かずみはいつもとは違う真剣な面持ちで言った。あまりの真剣さに、それ以上かずみに誰も内容を聞くことはしなかった。カンが言ったゲームという言葉が各々の胸につっかえているからだ。ゲームの中でもし、かずみがルールに縛られているなら、話すことでそのルールが破られるとしたら……何が起こるかわからない。そんな不安にかき乱されているのだ。
かずみは、立ち上がるとあーちのベットまで足を運ぶ。
「いいわ。どうしてカンが消えたのか、私が確かめてあげる。もし、この件で消えてしまったなら、鬼に捕まったことになるわね。宝物が見つかれば勝つんだから。だーいじょうぶ、私はカンと違って、ちゃーんと勝ってくるわよ。あーち、しばらく布団借りるわよ。」
かずみの言葉が、三人の額に皺を寄せさせる。しかし、かずみはからからと笑って、皆にウィンクをしてみせた。余裕を見せ付けられても嫌な気配を消すことができないでいるあーちだが、仕方なく頷いた。彼女を止めたところで、遅かれ早かれ寝ることに変わりはないのだ。
かずみは、あーちの行動を見ると、さっさとベットにもぐりこんだ。
しばらくすると、かずみは寝息を立て始めた。まだ黙り込みながらかずみの様子を伺っている三人に、緊張が走る。一番最初に異変に気付いたのはあーちだった。
「見て!かずみの枕元!」
そして悲鳴に近い高い声をあげる。あーちの声に、他の二人も視線を枕元へと移動させる。
ベットはヘッドボード付きで、そのヘッドボードには飾り棚があり、上には目覚まし時計とライトが置いてあった。ヘッドボード部分で、丁度かずみの頭の上にあたる場所にうっすらと水が滲み出てきていた。
水はゆっくりと姿を変えていき、左、右の二つの足跡へと変わっていった。その足跡はまるで仁王立ちをしているかのように、妙な間が開いていた。
「うわっ!?」
「きゃっ!!」
あーちと学が悲鳴を上げて両の腕を掴み彼の後ろに身を隠す。両も悲鳴は上げなかったものの、額から汗を流し固まっていた。
あーちと学はもうみたくないのだろう、硬く目をつぶって彼の後ろで身を震わせている。しかし、両はソレから目が離せなかった。
両の視線の先にはかずみの顔があった。そして、彼女の顔にはヘッドボードと同じように水滴がぴったりと張り付いているのだ。それも、小さな子供の手をした水滴が頬を頭上から押さえつけているような形で。
両は理解していた。足跡と手形が同一人物のモノであると。
流石にくっきりと浮き出たそれを凝視していることが嫌だったのだろう、両の背中に悪寒が走り、両は思わず顔を逸らしてしまった。
「ね、ねぇ……?どうなってるの?」
上擦った声に、両はそっと目を開けた。上擦った声を出したのは学だった。両の反応がないので、うっすらと目を開けて様子を伺ったのだ。
「なっ……。」
学の視線の先、ベットへと視線を戻して、両は驚愕の声を上げた。
いないのだ。
あるのは、まっさらな白い布団に枕、そして今までかけていたであろうタオルケット。もぬけの殻になっているベットには、もう手形も足跡も残ってはいなかった。
「ちょ、かずみは?」
あーちも両や学の声でうっすらと目を開けたのだろう、震える声で声を絞り出した。
ベットにいないかずみ。一瞬のうちに起きてどこかへ行ったなどとはだれも思えなかった。確かに彼女は消えたのだ。
彼女が消える前に見たあの足跡と手形。誰もがその正体が何なのか、気付いていた。気付いていたが口に出来ないでいるのだ。
「……こんなことって、あるのか?」
「わかんない。わかんないけど、私はいや!掴まる前に逃げる!!」
両の呟きに逆上したかのようにあーちが喚き散らす。そして、自分用に出していた布団にもぐりこむように、薄い掛け布団を頭からかぶる。彼女は寝て、宝物を探そうというのだ。
うっすらと見えた涙の後、こんなに気が高ぶっているのに寝ることができるのだろうかと、両はバクバク言う心臓を押さえながらあーちを見て考えていた。
やはり、あーちは震えたまま眠ることが出来ないのだろう、ときおりすすり泣く声と嗚咽が両と学の耳に入ってきていた。
学が落ち着けるようにと、あーちに了承をとって牛乳を温め、自分と両とあーちの分を机に置いた。
「……あーち。暖かいのでも飲んだ方が寝れるわ。」
学の優しく暖かい口調に、あーちは涙を拭いながら顔を出した。そして、布団を身に纏ったまま机まで移動してくる。学は彼女に温めた牛乳を手渡した。あーちがそれを飲むのを見守りながら、彼女もまた飲み物を口に運んだ。
「……ねぇ、あーち。探し物って何かしらね?」
「……わからない。でも、早くしないと私達もカンやかずみみたいに……。」
学の落ち着いた声に、あーちもゆっくりと小さな声で返答する。両は、暖かい牛乳を飲みながら、ぼーっと二人を見ていた。
「私達の誰かがさ、鬼に捕まらないでそれを探しあてたらさ……カンとかずみ帰ってくるかな?」
学はぎゅっとコップを握り締めて、真下を向いた。しかし、その問いに答えられるものはこの場にはいない。両もあーちも黙ったまま、同じように俯いてしまう。
しばらく沈黙が続いた。
しかし、コトっという両のコップを置く音が他の二人に顔を上げさせる。
「なぁ、お前等夢の中で鬼を見たことあるか?」
そして両は疑問をぽつりと口にした。足跡と夢が関係あるのは明らかなはずなのだが、何かが両の頭で引っかかっている。
「ううん。部屋には私しかいないかったから。誰かに追われる感じはないし。」
「私もそうよ。私以外は誰も見たことがない。」
二人の答えに、両はとあることを思い出していた。この夢を見るようになった二日目の夜のこと。いきなり自分の部屋の戸が開いて誰かがそこに立っていたことを。
もしかしたらあれが"鬼"だったのではないだろうか?そういう考えが頭をよぎる。
「なら、鬼は何処にいるんだ?」
「え……?足跡が鬼じゃないの?」
あーちがきょとんと腫れた目を開き、両を見る。両は眉を潜め、しきりに何か考え込んでいた。
それに学が彼に言葉を促すように声をかけた。
「両は違うと思うの?」
「あぁ。足跡が鬼なら、寝てる間に鬼が近付いて逃げられない俺達を捕まえられるだろ?かずみみたいに。でも、それならなぜ初めからそうしない?」
両の話に、学もコップを置き考え込む。
あーちは二人を交互に見ながら牛乳を口に運んだ。二人の会話に交ざる気はないらしい。
学が両に返答をし、二人の会話が続く。
「遊んでいるか、はたまたあれは目安で本当の鬼は他にいる?」
「多分な。足跡の示すものは鬼じゃなくて探しモノと関係があると思うんだ。足跡が鬼とはカンのやつ、一言も言ってないんだぜ?しかも、足跡はヒントを見る度に近付いてくるって、言ってた。」
「それなら、鬼はどこにいると思う?」
「俺は、部屋の外にいると思う。」
そんで、探し物を見付ける寸前に入ってくるんだと思う。その言葉を両は飲み込んだ。
まだ決定的な意見ではなかったし、二人を怖がらせてしまうだろうことが安易に予想できたからだろう。
「でも、そしたらかずみのあの手形はなんだったの?」
あーちがそこで口を挟んだ。両の考えを理解できないとでも言うように、ぶっきらぼうなものいいだ。
「さあな。」
それに多少ムカついたのだろう、両は肩をすくめて首を傾げてみせた。
学が二人のやりとりを見ながら苦笑う。彼女にしてみれば、二人の考えてることは一つの意見として聞いていたわけだから、喧嘩されても困るのだ。
「まあまあ。そんなことより、私、寝ようと思うの。カンとかずみを助ける可能性があると思うし。」
学は明るく笑顔で言った。
それに両とあーちはお互いの顔を見てから、彼女に目を移す。
「なら、私も寝る!」
「俺も寝ようかな。」
あーちと両が言うと、学はタオルをかけソファに横になった。
あーちも先ほどの布団に戻り、両がタオルをかけて電気を消した。
誰ともなくおやすみと挨拶をする。
先ほどの出来事で感じた恐怖は、近くに誰かがいることで皆少なからず緩和されていた。
だからだろう、しばらくして寝息が聞こえてきた。
両もしばらく考えてはいたものの、次第に夢の中へと引きずり込まれていった。
時刻は時計の針が十二の数字を過ぎた頃……。