一人多いかくれんぼ(4)
近づいて行くと、それはだんだんと形を成す。やはりそれは春歌だった。目から涙を零れさせ、二周りほど大きくなった人形を抱えている。人形の手は赤く血に染まっているが、顔は重力に負けてうなだれている。まるで普通の人形となんらかわりがないようだ。
「あっ……。」
けれど、春歌は微動だにせずに小さな呻きを漏らす。それが耕輔に気付いたことで出たものだと、一樹は気付き足を止めた。
しかし、耕輔は気がつかずに歩を進めていく。
耕輔は、春歌の目の前で立ち止まった。口に含んだ塩水を今にも吐きそうなくらいに、目の前の光景は信じられないものだった。
虚ろな瞳に、頬は擦り切れ、腕は骨が折れているのだろう、手首辺りが潰されたようになっており皮がなんとか手を支えているような感じになっている。また、足もところどころにへこみがあり、どうして立っていられるのかわからないくらいだ。
何かに何度も踏み潰されたかのような体が目の前に立っていたのだ。
「あっ……春歌ちゃん。」
耕輔は、あまりの光景に思わず口を開けて彼女の名を呼んでしまった。もちろん、口からは塩水が次々と零れ落ちてしまう。慌てて耕輔は自分の口を押さえる。塩水が自分の手を、腕をつたった。
その途端、人形の目が赤い光を放った。耕輔は息を止めて凝視してしまう。人形が顔をゆっくりと上げる。
「耕輔!早く終わらせるんだ!!」
一樹が固まったまま動かない耕輔に叫んだ。耕輔ははっとする。しかし、人形は顔を上げある人物へと視線を向けた。
「みーつけた。」
そう言ったのは人形ではなく春歌。春歌の目は耕輔を見ていない。人形の目も耕輔を見ていなかった。彼等が見ていたのは、
「な、なんで僕?耕輔の方が先に見つかったん……じゃ?」
高く上擦った声で一樹は一語一語紡ぐ。彼にも恐怖という表情がやっと浮かんだ。じっと赤く光る人形の目を見つけていた。
そう、人形と春歌の目は一樹へと向けられていたのだ。自分よりも後ろへ刺さる視線に耕輔は再び動くことができなかった。心臓の音が耕輔を支配する。息継ぎが未だにできない耕輔。
「あたしはハナの人形。ハナが見つけたのはあなた。ハナには今、耕輔が見えない。息をしていないから見えないの。」
春歌が言葉を紡ぐと、人形はすっと春歌の腕から抜け落ちた。そしてむくりと起き上がると、一樹を凝視する。
「な、なんなんだ!?耕輔!はやく終わりにしろ!早く!!」
――人形はもういらない。捨ててしまえばいい。――
一樹は顔を引きつらせ一歩下がる。しかし、一樹の必死な声に答えたのは耕輔の声ではなく冷たい声。ひんやりと透き通った声を人形が発していると一樹も耕輔も何故か一瞬にしてわかった。
なぜなら、春歌の体を人形が押しのけたのだ。それは、軽く人形を放り投げるような印象を二人に植え付けた。
人形は、春歌が人形に対して普段していたことを返しているのに過ぎないことをこの時、耕輔は理解するのだった。
関心のなくなった人形を放り投げてしまったり、踏んでしまったりしたことならきっと、誰でもあるだろう。潰されていた手首。それはまさに踏みつけられたのだと耕輔は知る。
「早く!耕輔!!」
人形がゆっくりと一樹に迫る。一歩、また一歩と人形に合わせて一樹も下がっていく。必死に掠れた声で助けを求める一樹の声に、耕輔は動いた。
息を止め、まだそこまで遠くに行っていない人形に腕を伸ばす。耕輔の手の平が人形へと触れる。耕輔は息を吸った。
「もう、かくれんぼは終わりっ!!終わりだよ!!」
必死に大声で耕輔ががなった。目に涙を浮かべ、震える手を必死に押さえ込み、耕輔は人形の背中を見た。人形は首だけをぐるりと180度回したかと思うと、耕輔を睨みつける。耕輔は思わず悲鳴を上げそうに鳴ってしまった。
「よし!」
一樹はぐっと手を握ってガッツポーズをする。これで終わりになるはずだ。
誰もがそう思った。
けれど、人形は首を元に戻し、一樹へと進み始めてしまったのだ。
「な、なんで?」
一樹は足に力が入らなくなり、その場にへたりと座り込んでしまう。人形は着実に一樹へと向かっていっている。
耕輔はもう一度かくれんぼの終わらせ方を必死に思い出す。
鬼に塩をかけて、人形にタッチして『もう、かくれんぼは終わり。』とひたすら言い聞かすんだ。だけど、見つかる前に塩をかけるのとタッチは行わなければならない。
耕輔は顔を上げる。どんどんと遠ざかる人形と、起き上がれずに這いずって後ろへ退く一樹の姿が目に入った。
「塩!塩をかけなきゃっ!」
耕輔は鞄から塩の入った袋を出し袋の中から塩を取り出そうとした。しかし、焦れば焦るほど袋の口が開かない。力任せにぐっと引っ張ってみるが、ビニールがグンと伸びるだけ。
視界に入る一樹と人形。だんだんとその距離は縮まっていく。耕輔はもう一度手に力を込めた。ビリっという音とともに、塩が袋から零れ落ちる。
慌てて耕輔は小さな手で塩を受け止めた。胸にその手を庇うように持って行くと、耕輔は人形めがけて走り出した。
「こ、耕輔。」
一樹が震えた声で耕輔の名を呼ぶ。人形が一樹に押し迫る。もう後一歩で人形が一樹へと触れるその瞬間、耕輔は人形へと追いつき、手を伸ばして塩を人形へと振らせた。
「これで、かくれんぼは終わり!!」
耕輔の行動と声に、人形はピタっと動くのを止めた。
ほっと耕輔は安堵する。
――ケッケッケ。――
ぎぎぎと人形の首がよじれ、ゆっくりと人形の顔が耕輔へと向けられた。奇妙な笑い声と共に。流石に耕輔ももう怖さを隠し切れない。手と青くなった唇が震え出し、がくんと足が波打った。尻餅をついた耕輔は、目から涙を流し人形を凝視する。
人形は耕輔へ顔を向けたまま地面から宙へと浮く。
――ケケケ。残念、その作業はもう済んでいる。君の手についた塩によってね。後、足りないのは一つ。ほら、一樹、最後に教えてやるといいよ。――
人形がさもおかしそうに笑いながら、一樹へと言葉をかける。まるで、彼なら後一つ足りないものが何なのか知ってるかのように。
「後、一人。」
――後、一人。――
人形と一樹の声が被さった。
次の瞬間、人形が一樹の肩に触れる。顔は耕輔を見たままで。するとどうだろう、一樹の体へと人形の腕が深く突き刺さっていくのだ。
「足りない条件。一人になった時、やっとかくれんぼは終わりを迎える。そして、最後に残った二人目は今度は鬼になる。それが異質なかくれんぼ、一人多いかくれんぼ。」
まるで、独り言のように次々と言葉を紡ぐ一樹の目は、うつろになりまだ赤く青い紫色の空を眺めていた。人形は、壊れた一樹から離れ、耕輔へと近づいた。
――これで終わり。さようなら、耕輔。――
人形の声が告げると人形の目がすっと光を失う。かと思うと、耕輔に向かって落ちてきた。耕輔は、今までのありえない出来事で思考回路がやや停止していた。だから、人形を振り払うこともできずにただ座り込んでいたのだ。
人形へと視線が赴く。人形は耕輔の胸元へとパサっという音を立てて落ちた。
「……あっ。」
人形がまったく動かない。それに自分の視界が先程と明らかにちがくなったのに耕輔は気付いた。
真っ暗闇なのだ。人形も微かに光る電灯によって映し出されているに過ぎない。さっきまであんなに明るかったのに、どうしてだろうと耕輔は顔を上げて辺りを見回した。
「なんで?日が落ちてる……。」
耕輔がいる場所は、日が落ち、暗闇に浮かんだ公園だった。かくれんぼをした公園が月夜に照らされている。
「耕輔!!」
高い叫び声が自分の名を呼んだことに、耕輔は振り返った。こちらへ駆けて来る影がある。細身の体から、駆けて来るのが女性だとわかると、耕輔もその影に向かって走り出した。
「お母さん!」
耕輔は彼女の胸へと飛び込んだ。目からは涙が溢れ出る。母も、耕輔を抱きしめると、話を切り出した。
「耕輔、貴方今まで何やってたの?こんな夜遅くまで外に居て。」
「え?今何時?僕、夕方からかくれんぼしてたんだよ。」
母親が、しゃがみこんで耕輔へと視線を合わせる。彼女の言葉に耕輔は首を傾げて口を開いた。母親も耕輔同様に不思議そうな顔を返す。
「もう夜中の12時よ。かくれんぼ?一人で?」
「え?」
母親の台詞に、耕輔は大きな瞳を更に大きく見開いた。先程まで夕方だったような気がするし、誰かと一緒だった気もする。でも、誰と一緒だったのか思い出せないのだ。
しかも、周りには母親以外の人影はない。自分はいったい誰とかくれんぼしていたのか、その疑問が頭をもたげる。
「おかしな子ね。貴方、一人で遊びに行ったのに。そのお人形とかくれんぼしてたなんて言わないわよね?」
安心したのか母親が笑いながら言う台詞に、彼女の視線を追って自分の胸元を見る耕輔。自分の腕の中には、しっかりと抱き込まれているくまの人形が居た。耕輔はびくりと身を固まらせるが、なぜ自分の体が人形に対して反応を示したのかわからない。
「……うーん。よく覚えてないや。」
耕輔は、頭をガリガリとかいた。人形をもう一度見るが、特に変な所はない。
首を捻る耕輔の手を、母親がとった。
「そう……とりあえず帰りましょう。話はそれからよ。」
母親はそう言って耕輔の腕を引く。耕輔は腕を引かれながらも、暗闇に浮かぶ公園へと視線を投げた。何か思い出せそうで思い出せない。
かくれんぼをしていたんだ。何か特別なかくれんぼ。人形を使った何か特別な。
焦りのような気持ちが耕輔の心に生じるが、今はまだ、耕輔がそれを思い出すことはない。
いかがでしたでしょうか?今回初めて帰還者がいましたが、きっと彼もまた前回の帰還者一樹と同じ運命を辿ることになるでしょう。ここから先は皆さんのご想像にお任せします。
かくれんぼ。それはどのようにも変化するものです。いつもと違う遊びに誘われたら、それは本当にいつもとまったく違うゲームなのかもしれません。
皆さん、普段と違った遊びにはくれぐれもご用心を。危険が貴方に忍び寄るかもしれませんよ?
さあ、今回のお話はこれでお終いです。
皆さんもそろそろこの世界に慣れてきたでしょうか?もし、慣れてきたならばまたお会いもできるでしょう。
それでは、ごきげんよう。