一人多いかくれんぼ(3)
悠太は、公園の周りを一回りし、鬼がいるはずの方へと歩いていた。人が鬼である場合、すでにそこには誰もいないはずだ。悠太もまた、人形が動くことを信じてはいなかった。先に来て、人形を持ち去り皆を驚かそうとたくらんでいるのだ。
そうこうしているうちに、鬼がいるはずの場所が見える位置へとやってきた。
「なんだ?人形がないぞ?」
屈み、草の間から様子を伺うが、人形があったはずの場所にそこには何もないのだ。
悠太は首を傾げて立ち上がった。辺りを見回すが、薄っすらと赤青い光が辺りを照らしているだけで何の気配も見当たらない。
悠太は、ゆっくりとb人形があった場所へと移動する。風か何かで辺りに転がっているのかもしれないと思ったからだ。
「……ないな。」
呟きを零しながら、辺りを見回した。後ろを視界に入れたとき、悠太の心臓は飛び出るかというくらい跳ねた。赤黒い物体が目に入ったのだ。
「なんだ……人形か。まんまと誰かに先を越されたわけか。」
ばっと振り向いてそれを視界に入れると、それはくまの人形だった。手を赤黒く染め、顔のあちこちにも赤黒い何かが飛び散ったようについている。
悠太はこれを誰かが怖がらせようと絵の具でもつけてそこらに転がしたのだと考えた。
「よっし、この俺が元の位置に戻してやるか。」
そして、悠太は人形にすっと手を伸ばした。人形の腕の下へと手を差し込み、持ち上げるべく人形を掴んだ。
「っ!!?」
しかし、悠太はすぐさま人形から手を離した。人形はゆっくりと地面に落ちる。
悠太は自分の手を見た。赤く染まっていく手。悠太の手は、ところどころ切れ目がついており、そこから血が噴出していた。
「な、なんだ!?」
悠太は自分の手から人形へと視線を移す。人形の腹の部分から覗くのは、赤い血と、透明な割れたガラス。人形の中にガラスが敷き詰められていることを悠太は理解した。
「だ、だれだ?こんな性質の悪い悪戯しやがったのは?」
悠太は眉を顰めて人形を凝視した。
――それはね。――
知らない高い声が、悠太の質問に返答すると同時に、人形の目が動いた。悠太は思わず体を強張らせた。
――僕だよ。――
人形が立ち上がり、悠太を見た。
血にまみれ、自分の体からガラスの破片を取り出す人形を前に、悠太は声にならない悲鳴を上げた。
「ねぇ、こっちって最初の場所じゃない?」
なんとか自分を落ち着かせて一樹の後を追う耕輔が、彼に話しかけた。しかし、一樹は黙ったまま隠れられ場所に移動し着実に前へと進んでいく。
「ねぇ、一樹兄っ。」
耕輔は、まったく振り返ってくれない一樹の名を呼んだ。その声は予想以上に大きく、一樹の足を止めるのに十分だった。幸い、人形はすでに見えない位置に移動している。
一樹は背中を向けたまましばらく立ち止まったと思うと、すぐに先ほどよりだいぶゆっくりだが歩き出した。
「耕輔……僕は、思い出したことがあるんだ。」
そして、小さな声で口を開いた一樹。耕輔はうんと頷き一樹の台詞を促し、一樹の歩幅に合わせてゆっくりと歩を進めた。
「僕はね、お姉ちゃんとその友達とこのかくれんぼをしてたんだ。お兄ちゃんの上に、お姉ちゃんがいたんだよ。本当は。だけど、僕以外の人は忘れてる。いや、僕も今まで忘れてたんだ。でも、まだ僕は思い出せないでいるんだ。一緒にやっていた人たちがいたのは思い出せたけど、どんな人で、どんな風に消えたのか、僕はまだ思い出せない。」
一樹は立ち止まった。耕輔が不思議そうに一樹を見る。彼は、ゆっくりと振り返った。
一樹の顔に、悲しみと嬉しさがごっちゃになったような印象を耕輔は受けた。瞳からは涙が流れ、口元は愉しげに上がっている。
耕輔は、彼の顔に違和感を感じながらも、何も言えることはなかった。一樹の気持ちがいまいちよくわからなかったからだ。
一樹は再び耕輔に背中を向ける。
「僕は、真実を知るまでは誰がどうなろうとかくれんぼをやめる気はないんだ。ごめんね、耕輔。」
呟きは、耕輔の耳へと届く。耕輔は、どう表現していいのかわからない感情にかりたてられ、胸をぎゅっと握った。悲しいような怖いような怒らなきゃいけないような不思議な気持ち。
耕輔は口をぎゅっと結び、一樹の後ろへとついていった。
「……。」
いきなり一樹の足が早足になった。耕輔はびっくりするものの、置いていかれてはこまると駆け足で一樹についていった。
草の陰から出て、夕暮れに照らされる公園の中心。人形が最初に居た場所で一樹は足を止めた。彼の視線は地面へと注がれている。
耕輔も一樹の視線を追って下を見た。
「ひゃっ!」
思わず情けない声を上げて、耕輔は一樹の後ろへと隠れた。一樹の手を握っている耕輔の手は冷たくなり、微かに震えている。
目の前に入ってきたのは、赤黒く染まった地面の上に白くその存在を主張するかのように透明のガラスに地面へと串刺しにされたもの。
手首から指先までしかない血まみれの誰かの手だった。大きさは耕輔や一樹よりも多少大きい。
「……お兄ちゃん。」
一樹はしゃがみこんでその手に触れる。傷だらけの手は、大きさ的に悠太以外の何者でもない。
ガラスを手から引き抜き、一樹は手をぎゅっと握った。暖かさはなく、極度の冷たさが肌から伝わってきた。
「一樹兄。それって、悠太兄なの?」
耕輔は、一樹から一歩離れたところでおそるおそるかれに問いかけた。一樹はゆっくりと頷く。下を向いているため一樹の表情はよくわからないが、彼の頬を透明な液体が流れ落ちるのを耕輔は気づいていた。
「思い出した。思い出したよ。このかくれんぼは、一人多いかくれんぼであると同時に、一人づつ減っていくかくれんぼでもあるんだ。あの時も、次々に人が人形に飲まれていった。お兄ちゃんは、ガラスで刺されて人形に食らわれたんだ。」
少し上擦ったような声で語っていたかと思うと、いきなり一樹は低い声で呟いた。
「残ったのは……あと、二人。」
その声を聞いて、耕輔の腕に鳥肌が立った。一樹を凝視し、その場に立ち竦む耕輔。
後、二人。その言葉はいったいどの二人を指すのか、耕輔は自分と春歌であると思った。だからこそ一樹に怖さを感じているのだ。自分も春歌も、毬や悠太と同じように人形に食われてしまうのかもしれないから。
一樹は赤く染まった手を自分の鞄へと仕舞い込むと、再び歩き出した。まるで、人形の居場所が分かるかのごとく迷った様子も見せずに。
耕輔は、一樹を呼び止めることができずに空を仰いだ。まだ空は紫色の夕焼けを放っていた。
「日は完全に落ちないよ。ずっとこの時をさ迷うんだ。終わらせない限り。」
耕輔に背を向けたままにも関わらず、一樹はそう言った。耕輔は、一樹に前までの優しさを感じられず、警戒の念を抱く。
しかし、耕輔は今までとは少し違っていた。一樹に恐怖を感じながらも、自分の身を守らないといけないという自覚から、なんとか恐怖を押し殺している。
「じゃあ、終わらせようよ。」
「……。」
耕輔が一樹に強い口調で訴えた。しかし、一樹は耕輔に背を向けたまま先へとどんどん進んでしまう。耕輔は彼を追いかけ、横に並んだ。
「一樹兄っ!もうやめようよ!」
「しっ!」
耕輔が一樹の前に立ちふさがり、大声を出した。一樹は目を丸くして、人差し指を口に当てた。そして、辺りを伺う。
「耕輔。わかったから、静かにするんだ。見つかるぞ?」
一樹は、真剣な表情を耕輔に向けた。一樹の台詞に一瞬恐怖が勝り体を固まらせるが、周りを見回し何もいないことを確認すると、耕輔は一樹へと真剣な眼差しを返した。
「本当?」
「あぁ。」
短い会話を小さな声で交わし、一樹が再び歩き出す。耕輔もその後を追った。もう二人とも何も言葉を発しはしない。
しばらく行くと、道路に面している広い空間へと出た。ここは何も遊具が設置されていない、いわゆる道具なしで遊べる場所である。公園の一部ではあるが、滅多に人が入らないせいか雑草が伸び放題になっていた。ちょうど耕輔の腰辺りまで伸びている。
その空間の真ん中で、誰か小さなモノが立っていた。光がちょうど耕輔達の前から差し込んでおり、耕輔達には影しか見えない。
影は肩までの髪で細身の体に低めの身長。全体的に小さめな体は子供だとわかる。
「春歌ちゃん……?」
耕輔がぽつりと呟いた。かくれんぼで残っているのは後、自分と一樹と春歌だけなのだから、消去法で考えれば彼女しかいないだろう。
駆け寄ろうとする耕輔の手を、一樹が強く握り引き止めた。耕輔が目を見開いて一樹を見る。
「な、なに?」
「お前こそ、何しに行くつもりだ?」
不安そうに見上げる耕輔に、一樹は低く怒ったような口調で問いただす。しかし、耕輔は首を傾げた。
「え?春歌ちゃんにも知らせて、はやくかくれんぼ終わりにしなきゃっ。」
何故当たり前のことを聞くのだろうといわんばかりの物言いで、イラつきながらも耕輔は答える。しかし、一樹はそれに首を横にゆっくりと振った。
「もう、手遅れだよ。耕輔。」
「ど、どういうこと?」
一樹が、ゆっくりと影へと視線を移す。遠めであるのも手伝って、耕輔には春歌がどうなっているのかはよくわからない。
「記憶がね。また少し戻ったんだよ。春歌は、もう見つかってしまったんだ。」
一樹は影から目を離さずに言った。先程から残虐なシーンを見るたびに一樹は記憶を取り戻している。だから、今もまた記憶が戻ったのならば春歌はすでに……。
「……で、でも。何ともなさそうだよ?」
一樹は耕輔の言葉に彼の鞄を指差した。それから自分の鞄を開け、中からペットボトルを取り出す。
耕輔は、前に言われたかくれんぼの終わらせ方を思い出した。
鬼に塩をかけて、人形にタッチして『もう、かくれんぼは終わり。』とひたすら言い聞かすんだ。だけど、見つかる前に塩をかけるのとタッチは行わなければならない。
それには、塩水を口に含んで人形に近づけばいい。塩水を含んでいれば人形に見つかることはない。
一樹がかくれんぼを終わりにしようとしているに違いないと、耕輔は思った。だから、自分も鞄からペットボトルを取り出す。
「僕は、耕輔。君と同じくらいの年にこのかくれんぼをやったんだ。そして、僕もお姉ちゃんとここまでやってきた。残りが二人のところまで……けど、その後が思い出せない。なぜ二人で逃げ出せなかったのか。用意は万全にしていた。僕が持っている塩水と塩。それで僕はここから出ることができたんだ。なんい、何故かおねえちゃんは出れなかった。」
一樹はペットボトルを見ながら、淡々と語り始めた。耕輔は静かに耳を傾けている。
顔を上げ、一樹が耕輔を見て微笑んだ。柔らかい笑みは、耕輔が知っているいつもの優しい一樹の笑みだった。
「今度は耕輔と一緒にここから出て見せるよ。」
一樹の言葉に、耕輔も笑い返した。そして、大きく頷く。一樹は耕輔が頷くのを見ると、ペットボトルの蓋を開け、中の水を口に含んだ。耕輔も同様に自分の手に持つペットボトルの水を口に含む。
口の中に少しの塩気が流れ込んできて、一瞬耕輔は額に皺を寄せるがすぐに真剣な表情へと戻した。
一樹が頷いて耕輔に合図を出す。耕輔も頷き返し、夕闇が迫る中で照らされる影へと二人はゆっくりと歩み始めた。