9 再会の白銀と休戦のふわとろオムレツ
夕闇が迫るテトラ・アコード、その扉を懐かしい響きで叩く者がいた。
「すまない、またこの場所を頼らせてほしい」
現れたのは以前ここで救われた銀髪の騎士――エルザだった。前回のようなボロボロの姿ではなく、整えられた白銀の甲冑が、彼女の復権を見事に物語っている。
「エルザさん! お元気そうでよかった!」
陽菜が元気に駆け寄る。エルザの瞳には悲壮感ではなく、この店への深い信頼が宿っていた。
「ああ。君たちの料理のおかげで私は祖国で再び剣を振るうことができた。今日はその報告に――」
だが、エルザの言葉は背後から漂ってきた圧倒的な重圧によって遮られた。
――ドスン、ドスン。
石畳を砕くような足音と共に一人の男が姿を現した。漆黒の甲冑を纏い背中には身の丈ほどもある大剣を背負っている。赤黒い魔力を放つその男こそ、魔王軍四天王の一角、黒鉄のヴォルグだった。
「ほう。人間に媚びを売る落ちこぼれの騎士がいると思えば――ここが噂の境界の店か?」
ヴォルグの冷笑にエルザが瞬時に剣を抜く。
「貴様! なぜここがわかった!」
「お前の首を狙うついでに我が主が興味を示した琥珀のジャムを奪いに来たまでよ」
エルザとヴォルグが対峙した際、陽菜は震えるどころか、さっと二人の間に割って入り「お客様! 武器の持ち込み料は一振り金貨一枚ですが、今すぐ仕舞えば無料キャンペーン中ですっ!」と、あえて空気を読まない明るさで殺気を削いだ。
その隙に結衣はヴォルグが持つ黒鉄の鍵の魔力波長を分析し、店のガーゴイルの防衛出力を最大化する。力ではなく理で店内の秩序を維持し、大吾が調理に専念できる完璧な環境を作り出した。
「調子を狂わされる店だ」
「それは貴様のせいだろう?」
店内に火花が散るような緊張感が走る。陽菜は息を呑み結衣は静かにカウンターの下で防犯の構えを取る。だが、その一触即発の空気を切り裂いたのは厨房からの鋭い声だった。
「――そこまでだ!」
大吾がドワーフ鋼の包丁をまな板に叩きつける。その音は魔王軍幹部の威圧感をも真っ向から撥ね退けた。
「ここは飯を食う場所だ。殺し合いなら外でやってくれ。席に着くなら客として扱う。どうするんだ?」
二人は睨み合いながらも、大吾の気圧されるような迫力に押され、離れた席に腰を下ろした。
「理恵、結衣。奴らの戦意を削ぐぞ。エルザにはあの日の記憶を蘇らせる味を、ヴォルグには王の誇りに応える味を出そう」
大吾が手に取ったのは万年氷で極限まで鮮度を保った地卵とバルドの山で採れた最高級のキノコだ。継ぎ足されてきたデミグラスソースに、焔リンゴのコンフィチュールとエルザのハーブを加える。それはもはや、この世界の叡智が凝縮された琥珀の滴だった。
ドワーフ鋼の包丁で微塵切りにした野菜を、エルフの清水で煮詰め卵の中に閉じ込める。大吾のフライパン捌きが卵を芸術的なラグビーボール型に整えていく。表面は鏡のように滑らかで内側には熱と旨味がパンパンに詰まっている。
「お待たせ致しました。こちら『四和家特製・三界のデミグラスオムレツ』です」
結衣と陽菜が二人の前に同時に皿を置いた。
ヴォルグは鼻で笑いながらも、その暴力的なまでに食欲をそそる香りに抗えず、用意されたスプーンを素直に入れた。パカッと卵が割れた瞬間、内側から溢れ出したのは黄金色の半熟卵と深いコクを持つ琥珀色のソースだった。
(――なんだ、この重厚さは?)
ヴォルグの脳裏を貫いたのは戦場での略奪ではない。かつて魔王に忠誠を誓った際、王から賜った最上の晩餐にも勝る、得も言われぬ誇り高き満足感だった。
一方でエルザは一口食べるごとに、あの日、この店で救われた温もりを再確認し静かに目を閉じた。
「ヴォルグ。この料理を前にして私は貴様と殺し合う気分にはなれない」
エルザが静かにスプーンを置く。ヴォルグもまた満足げに喉を鳴らした。
「ふん。これほどの一皿を食わせる店を、今の今、壊してしまうのはあまりに惜しい。今日はここまでにしてやろう、騎士よ」
魔王軍の幹部と白銀の騎士。本来交わるはずのない二人が同じ皿を空にし、同じ瞬間に「ごちそうさま」を口にした。
ヴォルグは対価として魔界の黒金で作られた古びた鍵をテーブルに残して風のように去っていった。エルザは彼を見届け、大吾に向き直った。
「店主……予言を聞いたか? 魔王軍の動きがこの店を中心に不穏になっている。次にここを訪れるのはヴォルグ以上の存在かもしれない」
エルザの言葉に大吾は包丁を磨き直した。
「誰が来ようと四和家は料理で迎えるだけだ。また来なさい、エルザ。君の席はいつでも空けてある」
エルザが去った後、店に残されたのはヴォルグが置いた鍵と賢者の予言の重みだけである。




