8 蒼海の覇者と万年氷のダイヤモンド・フラッペ
「これ、本当に魚なの! 龍の間違いじゃなくて?」
陽菜が調理台の上で横たわる巨大な獲物を見て声を上げた。それは異世界の深海に住むという銀鱗マグロである。全身が鏡のように光り輝くその魚は、水揚げされた瞬間に鮮度が落ちることで有名だが、万年氷のクリスタルと共に運ばれたことで、今さっき海から跳ね上がったかのように瞳が澄んでいた。
「ドワーフ鋼の包丁と氷の将軍のクリスタル。これらが揃わなければ、この魚を捌くことは叶わなかっただろうな」
大吾が包丁を構える。寸分の狂いもない太刀筋で、銀の鱗を剥ぎ、透き通るような白身を切り出していく。今回選んだのは素材の鮮度をダイレクトに伝える冷製の一皿だ。
繊維を壊さぬよう切り出した身は弾力がありながら口の中で淡雪のように溶ける。エルフの清水で仕込んだ透明な精進出汁に、エルザのハーブの香りを移したオイルを合わせる。隠し味にコンフィチュールを数滴。魚の脂をフルーティーな酸味が引き締める。
「陽菜、皿を万年氷で極限まで冷やしておけ。結衣、彩りに庭の光るハーブを添えてくれ」
四人の息の合った動きで、宝石箱のような一皿が完成した。
その時、店の扉が重々しく開いた。
現れたのは長い杖をついた老人である。しかし足元は二本足ではなく、複数の吸盤を持つしなやかな触手だった。海の賢者と呼ばれる種族――クラーケン・ロードのアルバスである。
「陸の者が銀鱗マグロの真価を引き出せると聞き遠路遥々やってきた。この魚は我ら海の民にとって神の恵みだ。無体な扱いは許さぬぞ」
彼は大吾が差し出した『銀鱗マグロのカルパッチョ』を、触手で器用にフォークを操り一口運んだ。
(――――っ!)
「信じられん。海中にいる時よりも、なお生きているような生命力だ。この冷気……ただの氷ではないな?」
「万年氷のクリスタルですよ」
「馬鹿な……あれを個人の権限で外部に持ち出せる者など魔王軍でも幹部だけだぞ」
「えーっと、北方征伐軍のジル将軍だったかな」
「なるほど、合点がいった。しかしあやつが他人に心を開くとは珍しい――わしもその場に立ち合いたかったのう」
話に割り込んだ陽菜は目を白黒させている。
アルバスの驚きは、次の瞬間、深い感嘆へと変わった。素材のポテンシャルを、人の技がさらに高めている。彼は無言で深海の恵みを慈しむように食べ進めた。
食後、アルバスが満足げに一息ついたところで理恵と陽菜が本日の真打ちを運んできた。
「お客様、こちらが食後のデザート、万年氷のかき氷『ダイヤモンド・フラッペ』です!」
万年氷のクリスタルをドワーフ鋼の包丁を改良した特製シェーバーで削り出したそれは、雪よりも細かくダイヤモンドの粉のようにキラキラと輝いている。
シロップは焔リンゴのコンフィチュールを清水で割った特製のものだ。有翼人が置いていった雲の欠片を、理恵がメレンゲと合わせ、ふわふわの綿菓子のように添える。
アルバスが一口食べるとその冷たさはすっと消え、後に残ったのは雲のような軽やかさと焔の温かな余韻だけだ。
「素晴らしい。海、山、空、そして異世界の力が、この小さな器の中で一つになっている」
アルバスは対価として深海の真珠を数粒置いた。
「四和の料理人よ。お主らの店は、もはやただの飯屋ではない。世界の境界を繋ぐ心臓になりつつある。いずれ、この世界の運命を左右する客が来るだろう」
不穏な――しかし温かな予言を残して彼は海へと帰っていった。
「運命ね。難しいことはわからんな」
大吾がエプロンで手を拭く。
「誰が来ようと俺たちがやることは変わらない。そうだろう?」
理恵が笑い、娘たちが頷く。
テトラ・アコードの夜は万年氷の静かな光の中で今日も更けていく。




