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5 尽きぬ清水の奇跡と戦斧を置いたドワーフ

 セシルが去った後のテトラ・アコードの厨房には小さな青いガラス瓶が置かれていた。


「お父さん、この瓶、いくら注いでも水が途切れないの!」


 陽菜が感嘆の声を上げる。瓶から溢れるのはエルフの森の最深部で湧き出るという伝説の清水だ。一口含めば身体中の澱みが洗い流されるような透明感があった。


「この水なら昆布の旨味を最大限に引き出せるわ」


 理恵がその水を使って一晩じっくりと昆布と干し椎茸を浸した。翌朝、そこには琥珀色に透き通った宝石のような精進出汁が完成していた。


「雑味が一切ないな。これならどんな頑固な舌も説得できるだろう」


 大吾が満足げに頷く。結衣も隣で納得顔だ。

 程なくして店の外から地響きのような足音が近づいてきた。


「おい! ここに肉より旨い大豆を出す店があるってのは本当か!」


 勢いよく扉が開くと――そこには背丈は低いが横幅は人間の倍ほどもある筋骨隆々の男が立っていた。赤茶色の髭を編み込み背中には巨大な戦斧を背負ったドワーフの戦士バルドである。


「セシルの野郎が自慢げに話してやがったんだ。人間の料理人が私の誇りを溶かしたってな。ガハハ、笑わせるじゃねえか!」


 バルドはドスンとカウンター席に座り斧を床に置いた。その衝撃で店内のグラスが微かに揺れる。


「俺はエルフと違って肉が大好きだ。だが、あいつがそこまで言うなら、そのアツアゲってのを食ってみなきゃ、ドワーフの面汚しだからな」


 大吾はバルドの体格と性質を一瞬で見抜いた。


「肉好きのドワーフには単なるテリヤキでは物足りないだろう。結衣、エルザのハーブを。理恵、昨夜の清水で作った精進出汁を小鍋に」


 大吾が取り出したのは通常よりも一回り大きく、中身がぎっしり詰まった特製の厚揚げだ。まず多めの油で表面を揚げるように焼き、周囲をバリッとしたハードな食感に仕上げる。次に理恵が清水で引いた精進出汁に、たっぷりの舞茸、椎茸、エノキを投入し、エルザの青いハーブを微かに加える。


「出汁の旨味を片栗粉で閉じ込め熱々の餡にする。ハーブの刺激がキノコの香りを山火事のように引き立てるんだ」


 厨房には醤油と出汁が焦げる芳醇な香りが暴力的なまでに充満した。


「ほう。この匂い、悪くない」


 バルドの鼻がぴくぴくと動き、涎を飲み込む音が聞こえた。


 料理が完成しようとした時、店内に不穏な魔力の揺らぎが生じた。ガーゴイルに怯えて逃げ出した盗賊たちが、今度は魔法の道具を持って逆襲に来たのである。彼らが放ったのは空間を歪める転移の煙だ。


「なにこれ!」


 結衣は鋭い声を上げてカウンター越しにメニュー表を盾のように構える。今回は入り口のガーゴイルだけでは防ぎ切れない。煙が店内を覆おうとした瞬間――


「うるさああああああああああい! 俺の飯を邪魔するんじゃねえ!」


 バルドが立ち上がり床に置いていた戦斧を片手で軽々と振り回した。


 ――ブンッ!


 凄まじい風圧が巻き起こり店内の煙を一瞬で屋外へ吹き飛ばした。ガーゴイルも連動するように咆哮し、風圧に煽られた盗賊たちを魔力の障壁で外へ弾き飛ばす。


「ひいっ! ドワーフの英雄がいるなんて聞いてないぞ!」


 盗賊たちは再び夜の闇へと霧散していった。


「騒がせて済まねえな。さあ、料理だ!」

 

 バルドは何事もなかったかのように座り直し、大吾が出した『厚揚げのステーキ』を豪快に口へ放り込んだ。


(――――おっ!)


 バリッとした歯ごたえの後、口の中で熱々のキノコ餡が爆発した。清水で作られた出汁は驚くほど濃厚なのに後味が潔い。


「なっ……これは! 噛めば噛むほど大豆の脂と出汁の旨味が混ざり合って、まるで熟成された猪肉を食ってるみてえだ! なのに、いくらでも腹に入る!」


 バルドは豪快に笑い清水を注いだコップを煽る。


「エルフの言うことも、たまには正解があるもんだな。このアツアゲ、気に入ったぜ!」


 バルドは満足げに腹を叩き、対価として決して刃こぼれしないドワーフ鋼の包丁を大吾に差し出した。


「これでもっと旨いもんを作ってくれ。また来るぜ、大将!」


 彼が去った後、店には再び静寂が戻った。

 大吾は手渡された包丁を握り、その重みと切れ味を確かめる。


「お父さん、またすごい道具が増えちゃったね」


 陽菜が笑い理恵が新しいハーブの様子を見に行く。テトラ・アコードはエルフの清水とドワーフの包丁、そして家族の愛を糧に、さらに深い味わいへと進化していくのだった。

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