4 誇り高きエルフと厚揚げと彩り野菜の精進テリヤキ
その日の午後は、異様に静かだった。
店の入り口に置かれたガーゴイルが、ぴくりと耳を動かす。アイビーの蔦がざわめき、一人の客が音もなく店内に足を踏み入れた。
透き通るような白い肌、切れ上がった涼やかな瞳、そして絹糸のような金髪の間から覗く長く尖った耳――女性のエルフである。
「肉の焼ける卑俗な臭い。鉄の焼ける不快な音。やはり人間の里は野蛮だな」
紡がれた声は鈴を転がすように美しいが、吐き捨てられた言葉は氷のように冷たかった。エルフの貴族――セシル。彼女たちの種族は生きた命を殺めて食すことを忌み嫌い、精霊の加護を受けた木の実や露だけで生きるという。
「お肉を一切使わない料理ですね」
結衣が静かにメニューを閉じる。エルフの来店はいつかあるだろうと想定していたが、これほどまでに拒絶反応が強いとは考えていなかった。
「大吾さん、どうしましょう? うちの出汁は鰹や鶏がベースだわ。それすら彼女には死の臭いと感じられてしまう」
「ああ。だが、水と野菜だけでは長旅で痩せた体力を戻すことはできん」
大吾は厨房の奥から一枚の厚揚げを取り出した。
「肉を使わず肉以上の満足感を与える。理恵、昆布と干し椎茸の精進出汁を限界まで濃く引いてくれ。陽菜、一番良いパプリカとアスパラの準備を頼む」
大吾が最初に取り組んだのは厚揚げの下処理だった。厚揚げは一度熱湯で油抜きをする。これで雑味を消してタレの染み込みを良くするのだ。丁寧に水分を拭き取った厚揚げを一口大のサイコロ状に切る。
次にフライパンを熱して油を引かずに厚揚げの表面を焼いていく。
――カリッ、サクッ。
小気味よい音が店内に響く。肉のような脂っこさはない。だが、大豆の凝縮された旨味が熱で活性化していくのだ。そこへ理恵が用意した特製タレを投入する。醤油、みりん、そして砂糖の代わりにリリーの花の蜜、さらに濃厚な精進出汁を合わせたものだ。
――ジュワアアアアアッ!
立ち上る湯気は醤油の香ばしさと出汁の深い香りを纏いセシルの鼻腔をくすぐった。仕上げに色鮮やかなパプリカとアスパラを素揚げに近い状態で合わせる。野菜の甘みを逃さないよう一瞬の勝負だ。大吾が鮮やかにフライパンを煽ると黄金色のタレが厚揚げと野菜に完璧な衣を纏わせた。
「お待たせいたしました。こちら『厚揚げと彩り野菜の精進テリヤキ』です」
陽菜が木の温もりが感じられる器に盛り付けセシルの前に置いた。
「大豆の塊か? 工夫は認めるが所詮は紛い物だ」
セシルは眉を顰めつつ、一切れの厚揚げを口に運んだ。
(――――っ!)
その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
表面のカリッとした食感を抜けた先には、驚くほどジューシーで柔らかな中身。噛み締める度に濃厚な大豆の旨味と深みのある出汁の香りが溢れ出す。
(お肉じゃない。それなのに、この満足感。しかも野菜の瑞々しさはどういうことだ? まるで摘み立ての森の息吹をそのまま閉じ込めたような……)
「お口に合いましたか?」
結衣が静かに尋ねる。
「出汁と言ったか? 動物を殺さず、これほどの深みを出せるとは想像していなかった。人間の執念には驚かされるな」
セシルの言葉から棘が消えていた。
彼女は一粒の米、一滴のタレさえ残さず、美しく完食した。食べ終える頃には、その白い肌に健康的な赤みが差し、旅の疲れが霧散していた。
「世話になった。この味、我が森の同胞たちにも伝えておこう」
セシルは対価として枯れることのないエルフの森の清水が湧き出る小さな魔法の瓶を置いていった。
「お父さん! エルフの人、最後にちょっとだけ笑ったよ!」
彼女が去った後、陽菜が嬉しそうに言った。
「ああ。素材を殺さず活かす。それが料理の本質だからな」
大吾はそう言いながら、次の賄いとして、家族の分の厚揚げを焼き始めた。




