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3 記憶を辿る妖精と理恵の花咲くマカロン

 テトラ・アコードの店頭には、オークの扉に寄り添うように、小さなガーゴイルの石像が置かれていた。手のひらサイズで、ずんぐりむっくりとした可愛らしい姿だが、夜になると理恵のハーブ園の青い光に照らされ、その瞳だけが鈍く光る。


「可愛いよね、この子。お客様もみんな『どこで売ってるんですか?』って聞いてくるんだよ」


 陽菜がブラシでガーゴイルの埃を払う。


「バルガスさんが言っていた通り魔力が籠もっているみたいです。店の周囲の魔力の流れが以前より安定しています」


 結衣がタブレット端末でデータを表示しながら報告する。そんな平穏な日常に小さな異変が起き始めたのはその夜だった。店の裏手にある食材搬入口の扉に不自然な傷が見つかったのだ。


「これは……刃物で抉った跡だな。プロの仕事じゃない。素人の仕業か?」


 大吾が眉を顰める。被害はなかったものの、家族の間に静かな緊張が走った。


 その日の深夜。

 帳が街を深く覆い店内の明かりが完全に消えた頃、三つの影が裏路地の闇に溶け込むように動いていた。


「ここだ、頭。噂の異世界の食材が手に入る店ですぜ」

「ちっ、こんなオンボロな店に大したモンがあるってのかねえ。噂の銀髪の女が美味そうに食ってたって話だが?」


 連中はこの街を縄張りにする、しがないしがない盗賊団だ。異世界の客から漏れ聞いたテトラ・アコードの噂を聞きつけ珍しい獲物を狙って侵入を試みていた。


「よし、あそこだ。店の裏手。鍵はこないだの奴らが破壊してくれてる」


 リーダー格の男が指示を出す。

 警戒しながら搬入口に近づくと、鍵が壊れたままの扉が僅かに開いている。


(ふん、大した警備でもねえな。儲け話もこの程度か?)


 油断し切った盗賊たちが音を立てないよう慎重に、店内に足を踏み入れようとしたその瞬間。


「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 けたたましい咆哮が静寂を切り裂いた。

 裏口のアイビーの陰から突如として小さなガーゴイルが飛び出したのだ。その体躯は青白い光を放ち、普段は可愛らしい瞳は血のように赤く輝いている。掌サイズの小さな身体から放たれた音波は盗賊たちの耳を激しく打った。


「な、なんだっ!」

「ひっ、石像が喋った?」


 驚きと恐怖で腰を抜かす盗賊たち。ガーゴイルは俊敏な動きで彼らの足元を駆け巡り、引っ掻き噛み付くような素早い動きで威嚇する。


「お、おい! 小さいくせにやたら速えぞ!」

「くそっ、見えない壁があるみてえだ!」


 目に見えない魔力の障壁が盗賊たちの侵入を阻む。まるで透明な壁に弾かれるように、店の中に足を踏み入れることができない。


 そしてガーゴイルの最後の咆哮だ。単純な音波ではなくバルガスが込めた排除の魔力を乗せてある。盗賊たちは頭の中から直接響くような耳鳴りに耐えかね――その場に崩れ落ちた。


「ひぃっ! もう駄目だ、逃げろおおおおお!」


 恐怖に震え上がり盗賊たちは一目散に裏路地を駆け出して行った。去っていく彼らの背中に、ガーゴイルは満足げに、しかし誰にも聞こえない声で呟いた。


「愚か者め。ここは主の安息の地。穢すことは許さん」


 咆哮の余韻が消え、ガーゴイルは再び、静かに元の場所に戻った。その瞳の光も再び鈍い輝きへと戻り、なにもなかったかのようにアイビーの影に隠れる。


 翌朝。

 四和家がいつものように開店準備を進めていると、裏口の扉が完璧に修復されていることに気づいた。扉の前には数枚の金属片と焦げ付いた布の切れ端が散らばっている。


「なるほど。昨夜、ガーゴイルが頑張ってくれたようですね」


 結衣が冷静に状況を分析し、小さな金属片を拾い上げる。それは盗賊が持っていた安物のナイフの残骸だった。


「うわっ! すごいね、この子! 小さいのにちゃんと店を守ってくれてる!」


 陽菜が感心したようにガーゴイルを撫でる。大吾は小さな守り神を見つめ静かに頷いた。


「理恵。今日の賄いはガーゴイルにもお裾分けしてやろう。感謝の気持ちを込めて特別に甘いものを作ってやるといい」


 理恵は優しく微笑んだ。


「ええ、もちろんよ。とっておきの守り神の休息をね」


 こうしてテトラ・アコードは今日もまた、家族と小さな異世界の守り神に護られ、静かに開店の時を迎えるのだった。



 夏の終わりを告げるような、どこか寂しげな雨が降る午後。テトラ・アコードの扉がカランと優しく鳴った。

 そこに立っていたのは手のひらに乗るほど小さな女性だった。透き通るような羽を背に持ち指先ほどの身長。輝くような金色の髪は花びらを編み込んだようで、瞳は吸い込まれるような翡翠色だった。言葉を話さず、ただ、困惑したように辺りを見回している。


「あら、いらっしゃい。まあ、なんて可愛らしいお客様でしょう」


 理恵が優しく声をかけると、妖精は警戒するように身を硬くした。結衣は彼女の前にお茶と蜂蜜、そして小さなスプーンを置く。


「迷われたようですね。どうぞ、温かいものを」


 結衣は妖精のスケールに合わせた小さなカップを用意し、陽菜は「妖精さん、どこから来たの?」と屈託のない笑顔で語りかける。妖精は震える手でスプーンを握り、ゆっくりと蜂蜜を口に運んだ。


(甘い。でも知ってる甘さじゃない)


 彼女の名前はリリー。妖精郷から来た彼女は数年前に迷い込んだ人間界で、ある一人の少女に救われた記憶だけを頼りに、その少女の笑顔が持つ甘い香りを求めて彷徨っていた。しかし人間の食べ物はどれもこれも、彼女の繊細な味覚には強過ぎて、あの特別な甘さとはかけ離れていたのだ。


 リリーはテーブルの上のメニューを一瞥して首を横に振った。


「どうやら普通の食事は求めていないようだな」


 大吾が冷静に分析する。リリーの痩せ細った身体と瞳の奥に宿る深い悲しみ。そして周囲に漂う微かな花の香りを大吾は見逃さなかった。


「理恵。彼女は思い出の味を探している。だが、人間の感覚とは違う。お前の出番だ」


 理恵は優しく頷いた。


「ええ。任せて頂戴。私が作るわ、特製の『花咲くマカロン』をね」


 理恵は店の奥にある特別製のハーブ園へと向かった。リリーから漂う花の香りをヒントに、記憶のすみれという名の淡い紫色の食用花と、優しい甘さを持つ夢見草というハーブを摘み取った。


 厨房では理恵がマカロン生地を作り上げていた。アーモンドプードルと粉砂糖を丁寧にふるい卵白を角が立つまで泡立てる。マカロン作りにおいて結衣はタブレットを駆使して有翼人のリリーが発する微弱な超音波を計測。リリーの羽の震えが止まる周波数の甘みを逆算し、理恵に「0.1グラム単位の糖分調整」を指示していた。理恵の勘と結衣の理論が合わさることで、初めて妖精の魂に届くスイーツが完成したのである。


「マカロンはね、温度と湿度が命。なによりも心が宿るお菓子なの」


 生地を絞り袋に入れて天板に均等な大きさに絞り出す。その一つ一つに陽菜が花咲くマカロンのイメージで細かく砕いた食用花を散らしていく。


 大吾はリリーが好むであろう蜂蜜と、摘みたてのハーブから抽出したエッセンスで、マカロンの間に挟むクリーム「ガナッシュ」を作っていた。


「甘さだけではない。香りと食感で彼女の失われた記憶を呼び覚ますんだ」


 結衣はガナッシュが均一になるよう温度管理を徹底する。焼き上がったマカロンは淡いパステルカラーで、まるで花畑を小さな宝石箱に閉じ込めたかのようだ。


 理恵がその一つ一つに記憶のすみれと夢見草をあしらい妖精の皿の上にそっと置いた。


「どうぞ。あなたの大切な思い出の味よ」


 リリーは恐る恐るマカロンを手に取った。その小さな身体と比べるとマカロンはかなりの大きさだ。一口、齧りつく。


(――――っ!)


 サクッとした軽やかな食感。口の中に広がるのは摘みたてのすみれの花畑に迷い込んだかのような清らかな花の香りだ。次の瞬間、蜂蜜の優しい甘みがじゅわっと溶け出してリリーの全身を包み込んだ。それは彼女が何年も探し求めていた特別な甘さだった。


(この味! この香り!)


 リリーの脳裏に鮮明な光景が蘇る。

 人間界に迷い込み飢えと疲労で倒れ込んだとき、優しく抱き上げてくれた少女の笑顔だ。その少女が差し出してくれたのは小さな花びらで飾られた手作りのクッキーだった。あのクッキーもこのマカロンと同じ、花の香りと蜂蜜の優しい甘さだったのだ。


 リリーの目から大粒の涙が溢れ落ちた。


「あの、あの、笑顔の……女の子」


 彼女は言葉にならない声で、何度もありがとうと繰り返した。

 マカロンを食べ終える頃、リリーの顔には曇りのない、あの少女がくれたような、心からの笑顔が咲いていた。


 リリーはマカロンの代金として、小さな花弁のような妖精の金貨を数枚、テーブルの上に置いていった。


 その日の夜。

 テトラ・アコードの店の裏手、理恵のハーブ園には見たこともない色とりどりの花が咲き乱れていた。それはリリーが感謝の気持ちを込めて残していった妖精郷の花の種だった。


「また新しいメニューが作れそうね」


 理恵が優しく微笑み、その花たちに水をやる。

 陽菜は妖精の金貨を宝物のように大事に眺めていた。結衣は妖精の生態と花の特性を、早速タブレットに記録している。大吾はそんな家族の姿を静かに見守りながら、次に来るであろう異世界からの客のため、また新たな食材の組み合わせを思案するのだった。

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