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25 追憶のフォンダンショコラと書記官の凍てついた時間

「本日、私がここを訪れたのはあくまで業務の一環です」


 カウンターに座り羽根ペンを走らせるのは、聖騎士団でカイルの同僚にあたるシラスという青年だ。彼は「感情の起伏が魔法の精度を狂わせる」という信念のもと、五感を遮断して常に無機質な記録を付け続ける青年だった。


 エルザやカイルが美味しいと騒ぐこの店を、彼は非論理的な熱狂の場として調査しに来たのである。腹の空かせた客に美味しいものを食べさせる趣旨の四和家にはそぐわない客だった。


「お母さん、シラスさんからは古い図書館の埃と冷え切ったインクの匂いしかしないよ。心が冬眠してるみたい。あんな状態で本当に大丈夫なのかな?」


 陽菜がオーブをかざして眉を寄せる中で結衣が補佐した。


「シラスさんは幼少期から感情を封印する魔導教育を受けてきたと聞き及んでいます。彼に必要なのは分析ではなく融解かもしれませんね」

「俺には向いてない客だな。理恵に任せるか?」


 理恵が選んだのは外側はしっかりしているのに中からは熱いチョコが溢れ出すフォンダンショコラだった。


「大吾さん、チョコレートのテンパリングをお願い。シラスさんの心を溶かすには完璧な滑らかさが必要なの」


 精密作業は大吾の得意とするところだ。異世界のカカオ黒夜豆を刻み一定の温度で練り上げていく。職人の意地で一切の気泡を許さない鏡のようなチョコに仕上げてしまう。


 包み込みは理恵が担当する。生地の中に月晶石の塩を微かに加えたガナッシュを閉じ込めるのだ。こういう一工夫は大吾にはない発想である。


「甘さの中にほんの少しの刺激。これが忘れかけていた感覚を呼び覚ますの」

「店内の照明を少しだけ暖色系に傾けます。視覚からも彼の防御壁を削りましょう」


 結衣の判断も的確で抜かりがない。陽菜は焼きたてのケーキに自家製ベリーの粉末を散らした。


「お日様の香りを隠し味にトッピング!」

「お待たせ致しました。こちら『記憶の底のフォンダンショコラ』です。熱いうちに召し上がってくださいね」


 理恵が慈しむような笑顔で皿を置いた。シラスは無機質な動作でフォークを入れる。その瞬間、中からどろりと漆黒の、しかし温かいチョコレートが流れ出る。


(――熱い熱い。なんだ、この熱は?)


 一口食べた瞬間、シラスの脳内に厳重に封印したはずの書庫がこじ開けられる音が響いた。


 二十五年前、彼は魔導士の名家に生まれ無感情な計算機として育てられた。雪が降り積もるある誕生日、母がこっそり焼いてくれた不恰好で温かいおやつ――


「シラス、魔法なんて使えなくていい。あなたはこのケーキみたいに温かい心を持った子になってね。それ以外のことはなにも望んでいないよ。それよりおやつの味はどう?」

「料理ってさ、誰と食べるかを重要視する人もいるんだけど誰が作ってくれたかも需要なんだよ。手作りの今日は不味くても美味しいんだ」

「複雑な感想頂きました」

「そうじゃないんだけど――無理はしないでね」


 だがその直後、母は流行り病で亡くなくなった。父は「無駄な感傷が彼女を弱らせた」と吐き捨て、その日以来、シラスの食事から温かさと色が消えたのである。それと同時に彼は心を凍土に変えてインクと紙の世界へと逃げ込んだのだ。


「あ……ああ……あああ!」


 シラスの目から一滴の雫が紙面に落ち、綴っていた非論理的な調査報告の文字を滲ませた。チョコレートの濃厚な甘みと月晶石の塩が引き立てた母の記憶。理恵の作ったケーキは彼が二十年以上、誰にも触れさせなかった凍てついた孤独の芯まで届いたらしい。


「不覚です……計算が合いません」


 シラスは眼鏡を外してハンカチで何度も目元を拭った。


「この料理に含まれる熱量は物理的な数値を遥かに超えている。理恵さん……貴女は……魔導士でもないのに……どうやって私の封印を解いたのですか?」


「私はただ――シラスさんが寂しいって感じているようだから抱き締める代わりにケーキを焼いただけよ」


 理恵が穏やかに微笑むと隣で大吾が「食べたらさっさと帰って仕事しろ。インクが乾くぞ」と照れ隠しに新しいお茶を差し出した。シラスは最後の一口まで慈しむように食べ終えると新しいページにこう記した。


『調査結果報告:四和家の料理には解析不能な慈愛が含まれる。来週も再調査の必要あり』


「んんん、これってお母さんのスイーツをまた食べたいだけじゃないの?」

「陽菜、報告書には報告書の作法があるのよ。あと他人の文章を勝手に覗き込むのはよくない」


 そう言って結衣は陽菜の頭を小突いた。

 感情を取り戻したシラスの背中は、店を出る時、冬の朝日のような清々しさを纏っていた。

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