19 鼻ぺちゃの放浪者と心溶かす雪降るホワイトシチュー
外は氷のような風が吹き荒れる夜。
カランカランと――いつになく低い位置でドアベルが鳴った。
「あ……お客様? でも誰もいないよ」
陽菜が首を傾げながら足元を見ると、そこには分厚いチェック柄のマフラーを巻いた、一匹の上品なパグが座っていたのである。
「やれやれ、凍え死ぬかと思ったよ。お嬢さん、ここは迷える魂に温かいスープを出す店だと聞いたが間違いないだろうか?」
パグが喋った――その事実に陽菜は目を丸くしたが、すぐに持ち前の包容力で微笑む。
「はい! いらっしゃいませ、パグちゃん。あ、お名前は?」
「バートと呼んでくれ。こう見えても異世界では高名な宮廷魔術師だったのだが……実験に失敗してこの姿で固定されてしまった」
バートはとてとてと短い脚で歩き、ストーブ近くの特等席に陣取った。
「魔術師なら胃腸も繊細なはずね。お父さん、今日は脂分を控えめに、でも栄養価の高いものを提供しましょう」
「ああ。ミルクの優しさを最大限に活かすぞ。結衣、エルフの清水で野菜の甘みを引き出しておいてくれ」
大吾はドワーフ鋼の包丁を使い鶏肉を一口大に切り分ける。客となれば容姿で判断などしない。パグの生体を気にしつつも宮廷魔術師だった頃の好みを探り当てる。
「シチューのコツは焦がさないことと素材の形を崩さないことだ。もっとも具が溶け込んだシチューを好む客もいるが、こいつはごろごろした食感を確実に求めている」
陽菜が大根と人参、ジャガイモを丁寧に面取りする。下処理に関しては理恵や結衣と比べても遜色ない。とは言えないところもあるのだが概ね任せられる。
「角が取れると味の入り方が優しくなるんだよね。エルザさんは絶対にこっちが好みかな」
理恵がバターと小麦粉を弱火でじっくり炒める。客がパグでもまったく動じない精神力はある意味で怖い。
「ダマにならないよう愛を込めてね。これがお母さんの魔法よ。バートさんの犬としての口腔温度に合わせ、提供温度を38度くらいに固定します。猫舌ならぬ犬舌でしょうからね」
「お待たせ致しました、バートさん。こちら『四和家特製・冬の陽だまりシチュー』です」
陽菜がパグの体高に合わせた低い台の上に深皿を置いた。ブロッコリーの緑と人参の赤が、雪のような純白のソースに映えている。バートは短い鼻をフゴフゴと鳴らし――まずは一口。
(――――ほう)
「この鶏肉、口の中で解ける。野菜も形は保っているのに舌の上ではクリームのように滑らかだ。なにより、このソース。ただのミルクではないな?」
「エルフの清水で煮出した昆布出汁を隠し味にしています。乳製品のコクを海の旨味が支えているんですよ」
バートは無言で食べ進めた。やがてその大きな瞳から――ぽろりと涙が零れた。
「宮廷では常に毒を警戒し冷めた贅沢品ばかり食べていた。誰かが私のためにこれほど丁寧に時間をかけて作ってくれた温かいものは……果たしていつ以来だろう」
食後、バートは満足げに丸くなり尻尾をぴこぴこと振った。
「大将、お嬢さんたち。呪いが解けなくても、この姿で良かったと思える夜だった。礼にこれを置いていこう」
バートが口から吐き出したのは、虹色に輝く嗅覚のオーブだった。
「これを持っていれば食材の鮮度や隠れた毒だけでなく、客が今『本当に食べたいもの』が匂いでわかるようになるはずだ。陽菜、お前に託そう」
バートは再びマフラーを巻き直し、ゆるゆると夜の街へと消えていった。
「お父さん、シチュー、また作ろうね。次はバートさんが人間の姿で来られるようにさ」
陽菜の言葉に大吾は鍋を洗いながら頷いた。




