改心しない小悪女には予定以上の制裁がお似合い!
主人公悪女のアホアホ小説です(笑)
もちろん最後ざまぁしますが、途中までイラっとする方いらっしゃるかもです。
すみませんっm(__)m
【1.望まない縁談】
「エミリー! おまえという娘はまったく! 男を見る目がない上に婚約者のいる男と恋に落ちたりしくさって! もう、独身でふらふら変な男にちょっかいかけて家に迷惑をかけられても困るっ! おまえには縁談を用意したから、さっさと嫁いでおとなしくしろっ!」
スピンク男爵は素行の良くない娘を呼びつけると頭ごなしに命令した。
「えっ!?」
エミリーは、縁談を用意した?と食い入るように父を見つめた。
寝耳に水である。
しかし、基本的には男好きのエミリーのこと。縁談話自体は歓迎である。ただ肝心なのはその縁談の中身だ。
相手はどんな家柄?
イケメンでしょうね?
すると父スピンク男爵から告げられたのはたいへん惨めなものだった。
「ダニエル・サルヴァン男爵だ。領地は少し田舎になるが真面目でおとなしい男と評判だ。彼が妻を亡くし後妻を探していると聞いた。悪い縁談ではなかろう。もう決めたから嫁げ」
「ええ~っ! あたし嫌よぅ!」
エミリーは叫んだ。
サルヴァン男爵領って、お父様は少し田舎って言うけど、本当のところ北のはずれの方のすっごく田舎よ?
しかもサルヴァン男爵って、歳は30歳前で、すっごく地味で堅物で眼鏡君で、王都中央での夜会にはほとんど出席なされないし、土地柄あまり裕福ではないと聞くわ!
そんなの、思い描いていた幸せな結婚とは程遠いじゃないの!
しかも後妻? 絶対前の奥さんと比べられて厭味とか言われるんだわ。あたしみたいな美人が、地味眼鏡に厭味言われれるとか屈辱でしかない。あり得ないんですけどっ!?
すると父スピンク男爵は顔を真っ赤にして額から湯気を出さんばかりにきい~っと怒った。
「うちにどれだけ迷惑をかけたら気が済むんだ! おまえのおかげでスピンク男爵家の名は醜聞ばかりだ。アーゼル殿との婚約の件……どれだけ世間から白い目で見られていることか!」
「え、でもぉ。アーゼル様の件は、あたし、あんまり悪く無いわ! アーゼル様の執事が犯罪組織と繋がってアーゼル様のおうちのお金を盗んでたってだけで、あたしは特に関係ない……」
エミリーが「自分は悪くない!」といった姿勢で口を尖らせながら言い返すので、スピンク男爵は余計に苛立って叫んだ。
「それは分かっておる! だが、そもそもおまえの人の見る目のなさが問題だ! あんな無能のアーゼル殿を選ぶなど! しかも略奪愛で!」
まあ、スピンク男爵の気持ちも分からんでもない。
娘が、ワートン公爵家のアーゼルと恋仲になった。しかし、そのアーゼルにはリリエッタ・マクファー伯爵令嬢という婚約者がいたのだ。
あろうことか、エミリーと恋仲になったアーゼルは「好きな人ができたから」とリリエッタとの婚約を破棄した。
エミリーやスピンク男爵家にとっては運の良いことに、その婚約破棄の話はとても円満に進んだ。ワートン公爵家がマクファー伯爵家に多額の慰謝料を払って解決、ということになったのだった。
とはいえ、スピンク男爵はこの婚約破棄を神経質に見守っていた。というのは、そもそも娘エミリーがアーゼルと恋仲になったことが婚約破棄の原因なので、こちらへもマクファー伯爵家から苦情が来るかと心配していたのだ。慰謝料くらいは要求されるかもと思っていた。
幸いマクファー伯爵家は、こたびの婚約破棄はアーゼルだけに責任を負わせスピンク男爵家の方へは何も言ってこなかった。(マクファー伯爵家としては、はなから身分違いで破廉恥なエミリーの実家など相手にする気はなかったのかもしれないが。)
そんな折、アーゼルの執事によるワートン公爵家の財産盗難が起こったのだった!
この執事は王都の地下犯罪組織と繋がっていた。しかも、この奪われた財産の中にはマクファー伯爵家への慰謝料が含まれていたらしい。
そのため、リリエッタ側が事態の解明に動き出し、アーゼルの母ワートン公爵夫人もすぐさま調査に乗り出したと聞く。そしてワートン公爵夫人は事の重大さからアーゼルの管理能力の低さを激しく非難し、アーゼルは廃嫡、アーゼルの弟がワートン公爵家を継ぐことになった。
確かにエミリーの言う通り、このアーゼルの廃嫡の裏には執事の犯罪があり、エミリーが直接関係しているものではなかった。
リリエッタとの婚約破棄に対する慰謝料も狙われたという点ではほんの少しエミリーに関係がないと言えなくはないが、執事が悪事を働かなければ慰謝料は滞りなくマクファー伯爵家に支払われ、婚約破棄の問題は全て解決していたはずだ。
この財産盗難の事件に関して、エミリーが法的に咎められることはないはずなのだった。
しかし、もともとワートン公爵夫人はエミリーの略奪愛を快く思っていなかったので、アーゼルの廃嫡に合わせてエミリーとの結婚は認めないとはっきり言ったのだった。
挙句、ワートン公爵夫人の方から、「アーゼルとリリエッタの婚約期間中からエミリーはアーゼルと付き合っていたのだから、エミリーもリリエッタへの慰謝料を払うべきだ」と主張された。
スピンク男爵的には、アーゼルとリリエッタの婚約破棄のとき、マクファー伯爵家からスピンク男爵家への慰謝料は要求されなかったのだから、今更ワートン公爵夫人に慰謝料を払うべきと言われる筋合いはない。
酷い横やりである。
しかし、スピンク男爵はこれまで娘に甘すぎたとはいえ、多少の良心は持ち合わせていた。
そのため、アーゼルとエミリーの浮気が婚約破棄を引き起こしリリエッタを傷つけたという点で罪悪感を持っていたため、ワートン公爵夫人の慰謝料の提言を素直に受け入れることにしたのだった。
もちろん、名門のワートン公爵家を敵に回して破滅するのを回避したいという打算もあったが。
金だけはあるスピンク男爵家なのだから、慰謝料で済む問題ならさっさと払って問題を解決させてしまうのが一番いいのだ。
それなのに、エミリーはまだ腑に落ちない顔をしている。
それどころか、
「ワートン公爵家を継げないアーゼルなんか価値ないもの、あたしがアーゼルをフッたのよ? なんであたしの方が慰謝料を払うの?」
と頓珍漢なことを言っている。
スピンク男爵は頭を抱えて、ふーっとため息をついた。
「とにかく、ダニエル殿との結婚はもう決まったことだから、おまえも準備しておくように。日取りはこれから調整するが、できるだけ速やかにというのが双方の希望だ。準備しておきなさい」
「んまぁ~~~~! 嫌よぅ……」
エミリーは涙目だ。
しかし、スピンク男爵はさっさと厄介者の娘をどこぞへ片づけてしまいたい一心で、エミリーの抗議は無視。聞く耳持たずにさっさと部屋を出て行ってしまった。
「困ったわねぇ」
エミリーはそう思いながらも、あんな調子の父はもう自分の言うことには耳を傾けないだろうと思った。
それで、まずは自分の味方を探そうと、まず姉のところに走って行った。
「お姉さまっ! あたし、ド田舎の堅物地味眼鏡サルヴァン男爵の後妻として嫁がされるんですって! あたしたち、王宮じゃちょっとした有名な美人姉妹だったじゃない。そんなあたしがよ? お姉さま、どう思う?」
しかし、さんざん王宮でのエミリーの醜聞にうんざりしていた姉は、エミリーを一瞥するなり、
「あなたにお似合いよ。どれだけ私たちが恥ずかしい思いをしたと思っているの。略奪愛したと思いきや、相手の男は犯罪に巻き込まれて廃嫡。いいざまだと、私まで笑われてるんですからね。スピンク男爵家の教育はどうなっているのかと私の人間性まで否定されてるのよ。まとまりかけた私の縁談まで白紙になってるの。分かる? あなた家にとって邪魔なのよ」
と吐き捨てるように言った。
こりゃあ、サルヴァン男爵との縁談にはこの姉からも後押しがあったとしか思えない言い草だ。
エミリーは悔しそうに唇を噛んだ。
「あ、あたし、悪くないもん。好きな人にたまたま婚約者がいて、その人がたまたま執事に裏切られただけだもん……。お姉さまには分かんないのよ、ばかぁ!」
そしてエミリーは次に兄のところへ行った。
「お兄様! あたし、お父様とお姉さまに家を追い出されちゃう! ド田舎のサルヴァン男爵との縁談にいったいどれほどの価値があるというの? こんなスピンク男爵家にとって無益な縁談はお兄様も望まないでしょ? 賢いお兄様なら、もっとあたしに利用価値のある縁談を組むでしょ? 華やかな名家で、スピンク男爵家をもっと繁栄させるような――」
しかし兄も、苦い顔で大きく首を横に振るだけだった。
「悪いが、今のおまえにそれだけの価値はもうないよ。ワートン公爵令息との結婚話はハラハラさせられたが、うまくいけばすごい快挙だと見守っているところはあった。しかし、案の定略奪愛の評判は悪く、しかも相手の男は管理能力なしのしょうもない男だった。おまえにまともな縁談はもう来ない。利用価値どころか家にとって迷惑でしかない。サルヴァン男爵がもらってくれるだけマシだと思え」
エミリーはがっかりした。
誰に何と言われようと自分がそんなに価値がない人間だとは思わず、父も姉も兄も、みんなして自分の本当の価値を分かっていないと思った。
エミリーはこのイライラを誰かにぶつけたいと思った。
それで、幼馴染の男友達のところへ文句を聞いてもらいに行った。
話を聞いた男友達は「へえ」と鼻で笑いながら、
「確かにおまえみたいな美人をド田舎の冴えない領主にやっちまうのはもったいねえなぁ。おまえ、いい体してるしなぁ」
と言った。
「でしょう?」
エミリーはやっと賛同者が現れたと思って嬉しくなった。
「それでどうしたらいいと思う? このままじゃ、あたし、嫁がされちゃうのよ」
「病気のフリして親戚んちに逃げれば。相手は真面目君なんだろ? ずっと体調が悪いとか言っておけば結婚の無理強いはしないだろうし、そのまま時間がたてば結婚諦めてくれるかもしれねえぞ」
「まあ! そりゃいい考えね! 持つべき者は頼りになる友達だわ」
エミリーはパアっと顔を明るくした。
「おい。ただでってわけじゃないよな? アドバイスしてやったんだ、今晩付き合えよ」
幼馴染の男は薄汚く笑った。
「もう、仕方ないわねえ。でも、このことは他言無用よ? 約束だからね?」
エミリーは屈託のない笑顔で答えた。
【2.病気で療養してみる】
幼馴染の助言で、エミリーは病気のフリをして田舎の親戚の家へ引き籠籠ることにした。
父スピンク男爵の再従妹にあたる婦人が遠方の準男爵の未亡人になっているので、それがいいとエミリーは思った。
そこなら身を隠すにはちょうどいい。
「体調が良くない」と言い続けてダニエル・サルヴァン男爵との縁談を拒否し続ければ、そのうち縁談話も自然消滅するんじゃないかしら。
「お父様、体調がすぐれないので、空気のきれいな田舎で療養するわね。お父様の再従妹のクレア・トロード準男爵夫人のところに行って来るわ」
「は? エミリー、いったい何を言い出すのかね? おまえは縁談を控えてて……」
スピンク男爵が目を丸くすると、エミリーはわざとらしく頭を押さえて見せて、
「体調が戻ったら嫁ぐわ! 今嫁いでもサルヴァン男爵に迷惑をかけるだけですから。あとはうまいこと言っておいてちょうだい」
と言った。
体調が悪いのなら……と一瞬思った父スピンク男爵だったが、今まで娘に甘すぎたことを反省したのを思い出し、
「まずは医者の見立てを」
と厳しい口調で言った。
しかし、エミリーは無視だ。
本当に体調が悪いのか?というぐらいテキパキと準備を進めると、さっさと馬車に乗り込んで、
「では、サルヴァン男爵との結婚は延期の方向でよろしく」
と父に告げ、トロード準男爵の領地の方へ旅立ってしまった。
エミリーを迎えた未亡人のクレア・トロード準男爵夫人は、変な顔をした。
なんでまた、こんな遠縁の都会娘がわざわざこんな田舎に滞在するのだろう? うちは貴族でもないというのに?
しかし、根は素朴なクレア夫人は、
「まあ、これくらいの年頃の娘は何か考えていることの一つや二つあるでしょう。スピンク男爵からも扱いあぐねて困っているような便りをもらったことだし……。環境替えて落ち着こうとかそういいうことかしらね」
とおおらかに受け止め、受け入れることにした。
しかし、エミリーはクレア夫人が何を思っているかなんかどうでもよかった。
さも当然のように与えられた部屋にずかずかと入ると、リネン類を自分好みに変えさせて(※長期滞在する予定だったので)、それから屋敷の間取りなどを覚えるために、我が物顔で敷地内を歩いて回った。
クレア夫人は「本当に病気なのかしら?」と違和感を感じたが、都会の若い貴族娘の考えは分からないと一先ず放っておくことにした。
エミリーは最初は散歩したり、ひなたぼっこをしたり、雄大な自然を相手にのんびりと過ごしていたが、そんな生活も3日で飽きてしまった。
「クレア夫人、何か気分転換になるものある?」
「本ならたくさんありますよ。亡き夫が本好きでしたからね。色々ありますよ」
「えーっ!? あたし、本嫌いなのよねぇー」
エミリーは露骨に嫌そうな顔をした。
クレア夫人はびっくりした。
「なにも学術書ばかりじゃありませんよ。物語や旅行記などもありますけど」
「つまんなーいっ!」
エミリーは眉を顰めると、ぷいっとどこかへ行ってしまった。
クレア夫人は呆気にとられる。
そして、何か変な貴族令嬢を受け入れてしまったと、静かな苛立ちを胸に覚えたのだった。
一方エミリーの方は、
「本だなんて、あたしをバカにしてんの? あたしは都会っ子よ、刺激いっぱいの王都で暮らしてたのに、本だなんて……」
とぶつくさ文句を言っている。
本より誰かとおしゃべりする方がよっぽどいいわ、例え相手が女中だとしても!
そこでエミリーは部屋の掃除に現れた若い二人の女中に、
「この辺の娯楽って何があるの?」
と聞いてみた。
「そうですね、本とか……」
「本はナシよ!」
エミリーがぴしゃりと遮ったので、二人の女中は面食らってお互い顔を見合わせたが、
「じゃあ、音楽とかですかね。たまに楽士を呼んで演奏会したりするんですよ。旅の楽士が訪れることもありますし」
と言った。
「まあ、旅の楽士? 響きが素敵ね。イケメン?」
「イケメンの人もいますね。奥様が敷地を解放して楽士の音楽会とか設けると、近場からたくさんの人が聞きに来ますよ。イケメンの楽士とかだと黄色い声援があがったりして。旅の楽士の場合は各地の話もしてくれるので盛り上がります」
女中がそう答えると、エミリーの目がキランと光った。
「あら、イケメンなの。それはいいわね。近々そういう音楽会の予定はないの?」
「奥様からは聞いていませんが……」
「じゃあ、あたしが開くわ。この辺の領地にイケメンの楽士はいたりしない?」
「は?」
「あたし、お金はいっぱいあるもの。スピンク男爵家はお金持ちなのよ。あたしをこの地に匿ってくれてるお礼にもなるし、あたしがイケメンの音楽会を開くわ!」
エミリーの宣言に女中たちはまた顔を見合わせた。
「そりゃ、まあ、私たちも嬉しいですけど。奥様に許可をいただかないと……」
「それは許可を取ったらいいわ。でもまずはイケメンオーディションね! イケメンじゃなかったら音楽会を開く意味ないもの。クレア夫人の許可はオーディションの後でいいと思うの。どれだけのイケメンかで音楽会の開催を決めるわ!」
エミリーはふふっと笑顔を向けた。
「ええ……イケメン限定ですか? 私たちは素敵な音楽なら別にイケメンに限らないというか……」
「あたしがお金を出すんだからイケメン限定よ! それは譲れない」
「はあ……」
「オーディションにはあたしとのデート審査も入れようっと。ふふっ。楽しみになって来たわねーっ」
エミリーはうきうきしている。
女中二人はそんなエミリーの発言にドン引きしていた。
え……この人ただの男好き?
するとそこへ女中頭のマリアが入って来た。
「ちょっと! 仕事が遅れていますよ」
二人の女中の手が止まっているのを咎めに来たのだ。
マリアは若いわりにとてもしっかりしていて、それなりの教育を受けている者のように見えた。
「ああ、すみませんっ!」
女中たちは我に返ってパッと仕事に戻った。
それから、女中頭のマリアはエミリーに向かって言った。
「少し話が聞こえてきましたが、奥様はそのようなオーディションはお認めにならないと思います。というか、エミリー様はご病気ですよね? そのようなことをしていては治るものも治らないのではないでしょうか。療養に集中して早く治さないと。縁談がお待ちと聞きましたよ」
「なぜそれを!」
エミリーはマリアを睨んだ。
忘れていたかったことなのに!
そのエミリーの様子を見て、マリアははあっとため息をついた。
「まさかとは思っていましたが、エミリー様は縁談がお嫌なのですか? それで逃げて来たとか?」
「悪い?」
エミリーが開き直って口を尖らせる。
「イケメン楽士などと騒いでおられましたが、サルヴァン男爵様は真面目でよい方と評判ですよ」
「真面目でよい方とか別にいらないの、あたし。うっとりするようなイケメンがいいの。そうでないなら唸るくらいのお金持ち。もしくは古くから伝わる名家ね。あたしに釣り合うくらいのイケメンか、あたしの持ってないものを与えてくれる人。そういうのがいいの」
エミリーはふんっと鼻を鳴らした。
それを聞くとマリアは残念そうな顔をした。
「そうは仰ってもサルヴァン男爵との結婚はもう決まったものなのでしょう。イケメン楽士なんかを探すより、少しは領地経営の勉強でもなさって、良き妻となられるよう努力なさるべきかと。少なくとも、イケメン楽士オーディションのことは奥様に報告しておきますから、あまり勝手な真似はなさらぬよう……」
「なによぅ! つまんなーいっ!」
エミリーはきーっと怒った。
そして今度はマリアに聞く。
「そもそもここは娯楽が少なすぎるのよ! クレア夫人だってからっきし社交界から離れているわけじゃないんでしょう? パーティとかないの?」
「近隣のヨランダ・ミズーリ夫人とお茶会をなさるそうですけど」
「まあ、誰が来るの?」
「ヨランダ様だけですが?」
「そーいう女だけの会じゃなくって、男の人も来るような夜会は!?」
「……」
マリアは黙っていたが、エミリーはハッといいことを思い出した。
「あっ! キルホム家の夜会は? ここらじゃ有力な商家なんでしょう? きっと華やかな夜会に違いないわ!」
「華やかではありますが、少し品のない催しもされるので奥様は距離を置いていらっしゃいます。夜会はおやめなさいませ。昼間のお茶会などには顔を出したりはいたしますが……」
マリアが慌てて止めるが、エミリーは聞く耳を持たない。
「クレア夫人はお堅いものねぇ。未亡人なんだから、そういう会に出て行って新しい相手を見つけたっていいのに。あたしが代わりに出席してトロード家として挨拶してくるわ」
「おやめくださいっ!」
マリアが必死で止めるが、エミリーは知らん顔をした。
しばらくしたある日、クレア夫人が晩餐のテーブルに着いたとき、給仕をしてくれる女中が少ないので執事に聞くと、執事は困った顔で、
「今日はエミリー様が人手が欲しいと何人か連れて行ってしまったので」
と言う。
「人手? 何かあったの?」
「それが、キルホム家の夜会に行ってしまったのです。私どもは何度もお止めしたのですが……。それに、告げ口は許さないとまで言われてしまいまして……。告げ口というのはいったいどういうことかと考えているうちに報告が遅くなりました。職務怠慢でございました、申し訳ございません」
執事は心から申し訳なさそうに深く頭を下げた。
それから、胸元から数枚の紙を取り出し、
「こちらを一時的に立て替えてくれとも頼まれまして。数日以内に払うからと言うのですが」
とクレア夫人に見せた。
その紙は馬車の賃貸に関する請求書だった。
問題はその金額! いったいこんな田舎でどれほど豪華な馬車を借りたのだというくらい高額な利用料金だった。
久しぶりの夜会でエミリーは張り切り過ぎてしまったのだろう。
「こんな田舎じゃ夜会なんて頻繁に行けるものじゃないのだから、どうせなら最高級でそろえるわ! 馬車だって都会仕様でみんなの度肝を抜いてやる。あたしに相応しいってこういうことを言うのよ。スピンク男爵家を舐めるんじゃないわ」
と勢い込んでいたのだ。
「何ですか、これは!? 馬車にこんな金額? 見たことありませんよ! これをうちが立て替えるの? ばかばかしい!」
クレア夫人は苛立った。
そして、執事に、
「うちが立て替えることありません。業者にはスピンク男爵に直接請求するように言いなさい。それから、スピンク男爵にはエミリーを連れ帰るよう言います。キルホム家の破廉恥な夜会に行けるくらいならエミリー様は病気じゃありません。うちに置いておく理由はありませんからね」
と厳しい口調で言った。
「そうですね」
執事はすぐさまスピンク男爵へ連絡し、エミリーはスピンク男爵家へ連れ戻されることになったのだった。
【3.修道院】
「エミリー! ばかもん!」
父スピンク男爵はトロード準男爵領から帰って来た娘の顔を見るなり、大きな声で雷を落した。
しかしエミリーはつーんとしたままだ。
「何よ、うるさいわね」
「うるさいわねじゃないっ! 儂の再従妹のクレア夫人にまで迷惑かけて! あの辺は田舎だからな、おまえの悪評は瞬く間に広まるぞ!」
「知らないわよ。あたしは地元の有力な商家の夜会にちょっと豪華な馬車で出かけて行っただけなのに。何が悪いの? だってあたしは、とっておきのマルフィーネ商店のドレスに宝飾品で着飾ってたのよぅ。最高級でないと馬車が釣り合わないじゃない」
「田舎で目立つなっ! その土地その土地で暮らしぶりってのがあるんだ。思慮が足りん!」
「くっだらない!」
「反省もしてないのか! おまえなんて神殿の修道院にでも入っとれ! 急いで結婚の日取りを決めるから……! ああ、もう! 娘の体調が悪いから結婚を延期してくれって頼んだばかりなのに、恥ずかしくて死にそうだ!」
「一度死んだらいいのよ、お父様は! 頭でっかち!」
「親に向かってなんてことを言うのだ!」
スピンク男爵は額に青筋を立てて怒った。
しかし、エミリーは父の言ったことが意外といいかもと思った。
神殿の修道院か~。
結婚の日取りが決まったとしても、真面目に修行してるってことにすれば「ちょっと待ってください」って結婚延期を要求できるかも。そのままずーっと待ってもらってたら、そのうちサルヴァン男爵も諦めるでしょ。
「いいわよ、お父様。あたし神殿の修道院に行くわ」
「は!?」
娘の態度の変わりっぷりに、思わずスピンク男爵は変な声が出た。
「おまえ、また何か企んでるんじゃないだろうな!?」
「まさか~。神殿の修道院に行けって言ったのお父様じゃない。お父様だってあたしに大人しくしててもらいたいんでしょ?」
「そ、そりゃまあそうだが……。だが、行くのは修道院だぞ! 夜会とか豪華な馬車とかとんでもないからなっ!」
釘を刺すことを忘れないスピンク男爵だったが、エミリーはふんっとそっぽを向いた。
「分かってるわよ。じゃあ、行って来るわね」
「本当に分かってるんだろうな!?」
「うるさいお父様ね……」
そしてエミリーは、父に手続きをさせると、さっさと神殿の修道院に入ってしまった。
一応真面目に修行するという名目で結婚回避を狙っているので、地味な服装に地味な馬車だった。
しかし、いざ神殿の修道院に入ってみると、思っていたよりずっと質素な環境で、エミリーは「げっ」と思った。
まず、通された部屋は非常に狭く簡素な造りになっていて、蝋燭も無駄遣いのないように薄暗いのだった。ベッドも固く布団は薄っぺらい。こんな小部屋で寝起きするのかとエミリーはぞっとしてしまった。
そして、持ち物の制限があった。
エミリーは神殿の修道院での暮らしが不便なものにならないように身の回りの物をいくらか持ち込もうと思っていたのだが、そのほとんどを院長に没収されてしまった。
「清貧の精神です」
と院長は言う。
他の修道女たちは地味で、地味であることを誇りに思っているような様子で、とてもエミリーと話が合いそうにない。
よく見れば美人だっているのだが、競って清貧と貞潔を体現しているので、エミリーには理解ができないのである。
食事の時間も決まっているし中身も粗末なものだし、掃除に地域活動にお祈りと、エミリーにはとてもじゃないけど我慢できるものではないのだった。
何より神殿の修道院内は男子禁制だった。
トロード準男爵家は田舎とはいっても、一応使用人含め男性はいた。しかし、ここは本当にいないのである。
修道院の横には神殿が併設されており、そこは一般用に開放されているため、神殿を訪れる男性と一緒に祈りを捧げたり、修道院の外で日常生活を営む男性を柵の内側から声をかける分には接触があるが、ほぼそれくらいなのである。
男好きのエミリーとしてはとても退屈で堪らないのだった。
――しかしここを出て実家に逃げ帰れば縁談待ったなしである。
エミリーはひどく迷った。
ここでの生活はエミリーにとっては屈辱的なほど嫌なものだ。しかしド田舎の堅物地味眼鏡との結婚も嫌だ。
エミリーはうーんと考えた。
結婚してしまえばそれが一生続く。しかし、ド田舎堅物地味眼鏡がエミリーとの結婚をあきらめてくれさえすれば、エミリーは大手をふって実家に帰り、また元通りに贅沢で華やかな生活ができるのだ。(※父に別の縁談を決められない限り。)
つまり、ド田舎堅物地味眼鏡が自分との結婚を諦めるまで、その間だけ、神殿の修道院で我慢すれば、後は元の生活だ!
そこでエミリーは少し我慢をして神殿の修道院で暮らしてみることにしたのである。
しかし、男好きで怠惰なエミリーはやっぱり3日で辛抱できなくなってしまった。
「もう無理っ!」
エミリーが誰にともなく大声で叫ぶと、周りにいた修道女たちは皆びくっとなって驚いた。
「どうなさったの、エミリー様」
さすがのエミリーもここで「男としゃべりたい」とは言えず「むぐっ」と口を噤むのだが、そこでエミリーはハッといいことを思いついた。
神殿へ祈りに来る男性を意識して愛でればいいんだわっ!
チャンスがあれば触ってみるとか、そんな楽しみもあるんじゃないかしら!
そう考えるとエミリーは何だか誰にも知られてはならない自分一人のゲームを見つけたように急にワクワクしてきた。
「ふふっ! 粗末なベッドには閉口するけど、まさかあたしが清貧ぶって心の中じゃ男狙ってるなんて誰も考えないでしょ。楽しくなってきたわ! 周りの修道女たちに気づかれないように男を誑かすのよ、いい遊びを見つけたものね!」
その日からエミリーは誰よりもうきうきで神殿への奉仕に出かけた。
目的はもちろん祈りに来た一般人の男性の中からイケメンを探すことだ。
神殿での雑用をしながら、エミリーはこっそり祈りに来た男性に視線をやる。
あの人はまあまあの顔立ちだけど少し歳を取り過ぎているわね。こっちはかわいい顔をしているけど若すぎるわ、まだ子どもじゃない。うーん、あの人は背筋がピシッと伸びてていい感じだけど、ちょっと痩せすぎね、神経質そうにも見えるわ。あの人は……。
こんな具合にエミリーは訪れた男性たちをひとしきり採点してみるのだった。
そのうちエミリーは採点するだけではつまらなくなった。
中にはエミリーの中で及第点の容姿の男もいる。もちろんこの神殿に祈りに来るのは庶民ばかりなのでお金を持っていないのは初めから仕方がないのだが、まあまあの見た目ならエミリーの食指も伸びるというもの。
そもそも貞操観念が低く、イケメンで自分を慰めてくれる男なら大歓迎なエミリーである。
エミリーは遊びを少し発展させることにした。
あの男の人。名まえはケイン・ハートネット。毎週金曜日にお祈りに来るわ。まあまあかわいい顔立ちなのよね。年は20歳そこそこかしら。背は低めだけど、肌艶は悪くないし、清潔感はある。
いつも一人で来るからまだ伴侶はいないとみた。
よし、今度、偶然を装って手を重ねてみようっ!
でもダメよ、絶対に他の修道女たちに見つからないようにやるのよ。
あの女たちはそういうのを見咎めると鬼の首を取ったかのように大騒ぎするんだから! 本当モテない女ってうるさいのよ。バレたら院長に追い出されちゃう!
でも、あたしならうまくできるわ……。男の人の手に触れるなんて楽しみね。
次の金曜日、エミリーはケイン・ハートネットが神殿へ来るのをワクワクしながら待った。
ケインはいつものように現れると、帽子を脱ぎ、祭壇の前に何列も並べられた長椅子の一つに腰かけた。
そして前の長椅子の背もたれの上で両手を組み、その組んだ両手の上に頭を垂れた。
これが彼の祈りのスタイルなのだった。
エミリーは心の中でニヤッと笑った。
あの手の上にあたしの手を重ねてみよう。ちょうどいい感じで長椅子の背もたれの上に置いてくれてるじゃないの。
ゴツゴツとした男の人の手。生温かい体温。ちょっと湿っているかもしれないわね。それが余計に男女を感じさせるのよ。ふふっ。
とはいえ、今日の神殿への奉仕活動には修道女が10人は来ている。
変な動きをしたり、触られたケインが驚いた声を上げようものなら、一気にお縄だわ。
エミリーは平静を装い、明後日の方向を見ながら、ゆっくりとした動作でケインに近寄って行った。
そして通り過ぎるかといった瞬間に、さっとケインの手に目を落とし、さも自然な動きかのように手を差し伸べると、両手で、ケインの両手を包み込んだのだった。
祈りのために組まれたケインの手。
それに覆いかぶさるエミリーの両手。
頭を垂れて一心に祈っていたケインは、異変を感じてパッと目を上げ、エミリーが自分の手を包み込んでいるので「ぎゃっ」と思わず短い悲鳴を上げた。
周囲の修道女たちは驚いてケイン・ハートネットの方を向いた。
そして、ケインの組まれた両手の上に、エミリーが両手を重ねているのをはっきりと見た。
「何をしているのっ!」
修道女の一人が叫んだ。
ケインは訳が分からず、包まれた両手を眺めながら放心している。
「エミリー様! なぜ手を握っているのです?」
修道女たちが駆け寄ってきた。
エミリーはここが演技の正念場だと思った。そして平然と言ってのけた。
「クモが歩いていたのですわ。この方の手にのぼったので捕まえようと。だって神殿で殺すわけにはいかないでしょう?」
「クモ!?」
ケインが慌ててもぞっと手を動かしたので、ようやくエミリーは包んでいた両手を離した。
「クモなんかいないが……」
ケインが両手をくるくる表裏させながら戸惑ったように言うと、エミリーは悠然と微笑んだ。
「あら、逃げてしまいましたのね。あたしったら運動音痴なんだからぁ」
他の修道女たちは何となく変だなと思いながらも、エミリーの言うことを否定する根拠もなく、腑に落ちない顔をしながらまた自分の雑用に戻っていった。
ケインはしばらく自分の手とエミリーの顔を見比べている。
エミリーはにっこりと笑い返した。そして、心の中で呟く。
「ごちそうさま」
エミリーはこの悪戯にすっかり満足していた。
ああ、男の人の少し大きな手。伝わって来た体温! 彼の手があたしの掌の下でもぞっと動いたのよ。触れるだけでこんなに楽しいなんて……。
エミリーはうっとりとした。背徳感も堪らない!
次は?
すぐさまエミリーは次のターゲットを物色し始めた。
次はあの男にしよう。名まえはコーネル・リーヴェンス。
手に触ったケイン・ハートネットよりは貧しそうだけど、真っ黒で長めの前髪がミステリアスな雰囲気なの! 背も高いし鼻筋がきれいなのよね。いつも一人で来るし。
彼にはそうね――お尻でもつねってみようかしら。
そしてエミリーはコーネル・リーヴェンスが神殿にやってくるのを今か今かと待った。
コーネルは決まった曜日に来るわけではない。来たときが勝負!
ある日、コーネルは汚れた作業着を着たまま神殿にやって来た。
神殿の祈りの場の入口で、長い前髪をかき上げながら、敬虔な瞳で祭壇の向こうの神の像を仰ぎ見る。
ちょうど入口付近の長椅子の掃除をしていたエミリーは「来たっ!」と思った。
そして、お尻をつねるにはコーネルが長椅子に座るまでが勝負だと思った。
とはいえ、今日もそこそこの数の修道女たちが一緒に奉仕に来ているのだ。一般客だってそこそこいる。
冷静に、堂々と、事を遂行しなければ。
修道女たちに不信感を与えてはいけない。
エミリーはさささっと足早にコーネルの背後に近づいた。
そしてコーネルが前の方の長椅子に座ろうと歩き出したところ、いきなり後ろからきゅっとお尻をつねった。
「うわっ!?」
コーネルが驚いて小さく叫び声をあげる。
そして脊髄反射のようにパッと動くと、左手でパシッとエミリーの右手首を掴んだ。
その声に、近くにいた修道女たちが振り返る。
見れば、エミリーの手が男性のお尻付近にあるではないかっ!
しかもその手首を男性ががっしり掴んでいる!?
「何をしているんです、エミリー様!?」
修道女たちは声をあげた。
「またあなたなの、エミリー様」
という声も聞こえる。
院長が近寄って来た。エミリーの手がコーネルのお尻の付近にあるのを汚らわしいものを見る目つきでちらりと見た。そして、
「これはどういう状況ですか?」
とコーネルとエミリーに説明を求める。
「あ、この修道女が俺の尻を触ったので……。思わず掴んでしまいました」
コーネルはそう説明してから、パっとエミリーの手首を放した。
「お尻を、触った……?」
院長が信じられないといった顔をする。
エミリーは手首を掴まれたのは想定外で「しまった」と思ったが、一呼吸おいて、わざとゆっくりと言った。
「あ、いえ、院長様。お尻を触っただなんて! ほら、この方のズボン、お尻らへんに穴が開いているでしょう? 恥ずかしいので隠して差し上げようかと思ったんです」
「手で?」
院長が不信感たっぷりの目で聞くので、エミリーは純粋そうに目をうるうるさせて言った。
「あんまり急だったので、他に思いつかなかったんです。とにかくなんとかしなきゃと……」
「院長様、この方、ズボンに穴など開いていませんけど!」
と、一人のお節介そうな太った修道女が甲高い声で言うので、エミリーはチッと聞こえないように舌打ちしたが、
「あら、あたしったら。ズボンの汚れを穴と勘違いしちゃったのね。ほんっとあたしったら早とちりのドジなんだから」
と、てへっと首を竦めて見せた。
院長はちらっと疑い深い目でエミリーを見てから、祭壇の向こうの神の凛々しい像を眺め、そして目を瞑った。
何か考えているようだった。
それからすぐに「ふーっ」とため息をついて、
「エミリー様。あなたの説明に淀みはありません。前回のときといい何か変だなと思わなくもありませんが、信じましょう。しかし、もうこれ以上祈りに来た方にむやみに触れるのはやめていただきたい。我々は修道女。男子禁制で活動をしているのですから」
と言った。
「はい、分かりました!」
エミリーはすぐさま返事した。そしてにっこりコーネルに微笑みかける。
「すみません、変なとこ触っちゃって」
「あ、いや……」
コーネルは変な顔をしながら、なんだか祈る気分を削がれたのかそのまま神殿から帰って行った。
院長が何かしらの判断を下したし、当事者のコーネルが帰ってしまったので、修道女たちはこれ以上騒ぐのもなんだか気が引けて、それぞれまた神殿内の雑務に戻っていく。
エミリーは咎められずに済んだと心の中でほくそ笑んだ。
もちろんこれでやめる気はない。
次はキスでもしてみよう。誰かいい男の人いないかしら?
エミリーはしばらく神殿に祈りに来る男性を静かに物色した。
そして一人の男に目を付けた。テッド・ブロック。
浅黒い肌が健康的で、目の大きな金髪の男。肉体労働でもしているのだろうか、筋肉モリモリだった。でも笑顔が可愛いの。
さて、彼にはどうやってキスしようか。
彼は仕事終わりの夕方にふらっと一人で立ち寄ることが多い。お祈りにもあまり時間をかけない。長椅子に腰かけることは少なくて、祭壇の前に跪くと祈りの言葉を短くぶつぶつ言って終わり。
どうやってキスするか、少し考えるわね。
エミリーは、心の中で「テッド・ブロックが来ないかな~」と首を長くして待っていた。
そして、ある日、ついにテッドが来た。また仕事終わりにふらっと立ち寄ったようだ。
エミリーは「よしっ」と気合を入れた。
今回も目標はキス! 手を重ねるとかお尻をつねるとかより難易度が高いのだ。
エミリーは横目でちらちらテッドの動きを観察しながら、こっそり自分も祭壇に近づいて行った。まるで祭壇の近くで雑用でもあるように振舞いながら。
そしてテッドが近づいてくるのを待った。
テッドは何の疑いもなくまっすぐに祭壇に近づくと、いつものようにさっと跪いた。
さあ、やるぞ!
エミリーはさーっとテッドに近づき、テッドの横に屈みこむとそーっとテッドの顔の下から入り込んだ。案の定、テッドは祈りのために目を閉じている!
エミリーはこれはチャンスとばかりにささっとキスをした。
テッドが違和感でパチっと目を開ける。すると自分の顔の真下に潜り込み、唇をくっつけている修道女がいるではないか。
「う、うわああああっ!」
テッドは驚いて大声を上げた。
「まあたエミリー様ですか! 今度という今度は許しません! 先日、祈りに来た男性には触らないと約束したばかりではありませんか!」
院長が鬼の形相で飛んできた。
「事故です!」
とエミリーは言い張った。
「どんな事故が起こったら唇がくっつくんでしょうか」
院長は腰に手を当てて呆れたように冷たく言い放った。
「あたしは、この祈りの男性がちゃんと祈っている間に目を閉じているのかどうか調べてたんですわ! 祈りの言葉は目を閉じてというのが経典に載っていますでしょう? この方はいつも時短で、ちゃんとしたお祈りを捧げないので、あたし、祈りが通じているのか心配してました! だから顔を覗き込んだんです。ちょっとたまたま足がふらついて間違って唇がくっついちゃいましたが、これはキスじゃないです!」
そうエミリーが言い訳をすると、院長はうんざりした顔になった。
「エミリー様。うちの神殿ですけどね、最近セクハラ神殿って噂が出始めてるんですよ。誰が言いだしたのか分かりません。こないだの男性方かもしれないし、もしかしたら修道女の誰かかもしれない。何やら怪しい女がエミリー様のセクハラの噂を調べて回っているとも聞いています。そんな中で祈りに来た男性の唇と修道女の唇がくっつく? そんな事態、厳格な神殿長が聞いたら見過ごしはしないでしょう」
「えっと、神殿長?」
エミリーはさすがにまずったなと思った。神殿長まで話が行ったら父スピンク男爵に話が伝わってしまう。そこまで事態が大きくなるとは……。
「もちろんあなたの言う通り事故かもしれません。しかし、事故だとしても、こういったことが何回も続けば処分しないわけにはまいりません。つまり、あなたをこの神殿に置いておくわけにはいきません。もちろん修道院にも。修道女には貞潔が求められていますからね。あなたは修行なさるおつもりがないと判断せざるを得ません」
院長は淡々と説明した。
「え、じゃあ……」
エミリーはごくりと息を呑んだ。
院長は大きく頷いた。
「あなたには出て行っていただきます!」
「ええ~~~~」
エミリーは抗議の声を上げたが、エミリーを擁護する者は誰一人としていなかった。
エミリーのセクハラ疑惑はこの周辺の地で瞬く間に広がった。多くの人がこの話題を口にし、何やら怪しい女がセクハラを受けた男性に何があったのか聞きこんでいる姿も見られた。
こうして、エミリーは修道院も追い出され、またしてもスピンク男爵家に戻ることになったのだった。
【4.縁談の拒否】
それからしばらくした頃、ダニエル・サルヴァン男爵は邸の居間で「はあー……」と大きなため息をついた。
ダニエル・サルヴァン男爵は黒髪短髪に眼鏡、長身細身の機敏な印象を与える男だ。それなりのものを身に着けているとはいえ、身なりは地味で機能的なものを選んでいた。
ため息の原因は、婚姻のためにこの地にやってきたエミリー・スピンク男爵令嬢である。
エミリーが後妻に来てくれるという話は纏まっていたものの何かと理由をつけて延期されていたのだが、ようやくエミリーが嫁ぎに来てくれるということになったのだった。
ダニエルは、誠意を込めて来るべき婚礼に向けての準備をしていた。
北の端の海沿いの領地だ。山を削ったような入江は入り組んでいて、大規模な農地は作れないため人々は細々と農耕をしていた。しかも北の海からの風はときに冷たく吹き付ける。裕福な土地ではないので、土地柄素朴で辛抱強い人が多かった。
ダニエル自身も贅沢は好まない性格だった。しかし、このたびは王都から金持ちの男爵令嬢を妻に娶るというので、精一杯のもてなしをしてあげたいと思っていた。それで準備は念入りに進めていたのである。
しかし、いざエミリーがここサルヴァン領に到着してみると、田舎っぷりに露骨に顔を顰め、
「こんなところでは暮らせないわっ!」
と一言、ダニエルとの挨拶も拒否して用意された客室に引っ込んでしまったのだった。
ダニエルは、エミリーのあまりの態度に呆気に取られてしまった。
「スピンク男爵といえば商売上手のお金持ち。王都に構えた大邸宅はそうとう煌びやかだと聞く。そりゃあ、エミリー嬢は急にこんな地に嫁いでこればだいぶ戸惑うだろう。できるだけ居心地よくしてやりたいと思っていたのだが、そんなにもてなしがダメだったのだろうか……」
すると、柔らかい印象を与えるサルヴァン家の老執事が、穏やかな口調で言った。
「ダニエル様、きっと大丈夫です。そりゃ王都とはだいぶ違うでしょうが、この地にも住む人間はいるわけで、生きる分にはなんとかなります。すぐに慣れてくれるとよいですね」
ダニエルは老執事の慰めに少し顔を緩めたが、
「ああ。しかし、あのような態度を取られると心配になるな。まあそもそも変だと言えば変だったのだ。なぜスピンク男爵家の娘がこんな田舎の地味な男爵家へ嫁いでくれることになったのか。スピンク男爵家ならうち以外にもいくらでも選択肢はあっただろうに……。もちろんこちらとしては王都に繋がりもできるし、経済的な後ろ盾を得ることもできてありがたいばかりだが」
と不安そうに言った。
「まあまあ。それは今マイケル様が王都で調べてくださっているでしょう」
老執事がゆっくりとした口調で、そうダニエルを宥めたとき。
ちょうど王都でエミリーについて情報を集めていたダニエルの弟マイケルが、大急ぎで邸に帰って来た。
「すみません、兄上。遅くなりました。もうエミリー・スピンク男爵令嬢はこちらに着いているとか」
「ああ。おかえり! ちょうどおまえの話をしていたところだ。疲れたろう。エミリー嬢はちょっと気分がすぐれないようで、すぐに客間の方に入り休んでいる。まずはおまえの話を聞こう」
兄の言葉を聞くと、マイケルは「やはり」といったような微妙な顔をした。
「もしかして、エミリー嬢は兄上やサルヴァン男爵家に不満があるのではないですか? 王都でいろいろ話を聞いてきました。エミリー嬢ですが、なかなか厄介なご令嬢みたいです。やはり、今を時めくスピンク男爵家からうちなんかに嫁いでくるんだから、それなりに理由がありました」
「どういうことだ、マイケル?」
ダニエルはハッとして聞いた。
「エミリー嬢は、アーゼル・ワートン公爵令息とリリエッタ・マクファー伯爵令嬢の婚約を破棄させています。エミリー嬢がアーゼル殿と恋仲になったせいです」
「は? 婚約者がいる男性と恋仲に……?」
ダニエルは目を見開いた。
マイケルは頷いた。
「まあ、婚約破棄させた問題については、スピンク男爵がマクファー伯爵家に慰謝料を払って話は済んでいるようですけどね」
「話が済んでいるならまあいいのか……? だが、なるほど。そういった経緯でスピンク男爵もエミリー嬢のことは名家には堂々と娘を嫁がせられなかったのか……。それでうちに……」
ダニエルが戸惑いながらそう言うと、マイケルは小さく首を横に振った。
「それだけじゃないですね」
「それだけじゃない?」
ダニエルは驚いて聞き返す。
「ええ、兄上。そのアーゼル殿ですが、家中の者が王都の地下犯罪組織と繋がっていたようで、財産を盗まれたそうです。そして廃嫡。息子の不甲斐なさに怒ったワートン公爵夫人がエミリー嬢との結婚を認めないと宣言し、不名誉な話とは縁を切りたかったスピンク男爵家もそれを喜んで受け入れたとのこと」
マイケルが呆れたように説明すると、ダニエルは手を挙げて制した。
「え……? ちょっとちょっと、待ってくれ。情報が多すぎてついて行けない! エミリー嬢はそのアーゼル殿の財産の盗難事件に関わっているのか?」
「一応関わってないです」
「そうか」
ダニエルは少しほっとした顔をした。
「では、別れた理由はアーゼル殿が廃嫡されたから? ワートン公爵夫人が認めなかったから?」
「まあそんな感じですね」
「そうか……。ということは、話をまとめると。エミリー嬢は婚約者のいる男を略奪した女ってことでいいのかな? 人の婚約者を奪うというのはいただけないが……。ただまあ、解決しているというなら許容範囲だろうか……? うーん」
「ええ、兄上。王都の金持ち男爵令嬢がうちのようなド田舎の男爵家に来てくれるというのは、けっきょくそういうことだったようで」
「ショックだったが、ありがとうマイケル。まあしかし、結婚の話になって本人もここに到着しているし、略奪経験のある女と言う程度では、今更うちから断るわけにもいかないな……」
「兄上。そのことですが、スピンク男爵家と繋がれるというのはいざというとき頼りになります。そう思って、この結婚を前向きに考えましょう」
「そうだな」
そうやって兄弟がエミリーを受け入れる覚悟について話していたとき。
そこへマリアという女が訪ねて来た。
先程の老執事がマリアをダニエルとマイケルの前に通す。
ダニエルは突然の訪問者に驚いた。老執事とマリアを見比べながら、
「どちら様かな?」
と聞いた。
「私はリリエッタ・マクファー伯爵令嬢のおそばで長く働き、リリエッタ様に忠誠を誓っている者です」
とマリアは自己紹介した。
スピンク男爵の再従妹クレア・トロード準男爵未亡人の邸で女中頭として働いていた女である。
「リリエッタ様……。ああ、エミリー嬢のせいで婚約破棄されたという?」
とダニエルが確認すると、マリアは大きく頷いた。
「そうです。私はリリエッタ様をあんなに悲しませておきながら、慰謝料ぽっきりで反省していないエミリー嬢が許せず、彼女の素行を調べていました。あんまりひどいのでリリエッタ様にも報告し、スピンク男爵家へ圧力をかけるつもりおりますが、この話はあなたお耳にも入れるべきかと」
そう言ってマリアはクレア・トロード準男爵未亡人の家で起こったことや、エミリーが修道院でしでかしたことを淡々と説明した。
ダニエルは茫然とした。
あまりの内容にマリアの作り話ではないかと思ったくらいだ。
「それは本当か? 超高額な馬車など、うちでやられては困るし、何より庶民の男性にちょっかいを出すなど……」
「そうでしょう?」
マリアの口調からも憤慨しているのが感じ取れる。
「婚約は断固として破棄させてもらわなければ!」
ダニエルがマイケルの顔を見ながらきっぱりと言うと、マイケルも大きく頷く。
「ええ! それが賢明かと」
するとそこへ、とぼけたような可愛らしい声が響いた。
「あら、嬉しい! 婚約破棄してくださるの?」
エミリーだった。客間から下りて来たらしい。にっこにこだ。
そして、エミリーはマリアの顔を見て眉を顰めた。
「あら、あなた……」
するとそこへ、マリアを通した後部屋を退出していた老執事が、
「失礼いたします」
とまた顔を出した。
「どうした?」
とダニエルが聞くと、老執事は一人の男性訪問客を案内した。
それは、アーゼル・ワートン公爵令息だった。身なりはまともなのだが、どことなくみすぼらしい空気を纏っている。
アーゼルが自己紹介すると、ダニエルは驚いた顔をした。
「あなたはエミリー嬢の前の恋人……? いったい何しにここへ……」
「エミリーが結婚すると聞いたので。自分だけ何もなかったような顔をして、堅実な男爵家で静かに暮らす気だったら許さないぞと」
そうアーゼルが鋭い目でエミリーを見ながら言うと、エミリーはふんっと鼻を鳴らした。
「バカなこと言わないで! あたしはこんなド田舎でおとなしくしてるつもりはないのよっ」
ダニエルは、そんなエミリーの言葉は無視してアーゼルの方を向く。
「アーゼル殿、それを言いにわざわざ?」
「いや、エミリーの身柄を引き渡してもらおうとね」
アーゼルはダニエルに対しては少し大人な態度を取った。
身柄を引き渡すと聞いてダニエルはどういうことかと驚いた。
「え? いったいどういうことですか?」
「エミリーは、俺の家で起こった財産盗難事件の関係者だったのでね」
アーゼルが短く説明すると、それをきいてエミリーが叫んだ。
「は? あたしが? 何言ってるの。あれはあなたの執事ショーンが勝手にやったことでしょ!?」
「ああ。だがその執事を雇う時の身元確認書類が偽造されてたんだ!」
血走った目でアーゼルはエミリーを睨んだ。
エミリーはギクッとした。
その様子を見てアーゼルが鋭く聞く。
「身に覚えが?」
「な、ないわよ……」
エミリーはそっぽを向いたが、アーゼルは問い詰めるのを緩める気はなかった。
「そうか。じゃあ俺が説明してやる。おまえ、あの執事ともデキてたんだろ?」
ギクッ
エミリーの額につーっと冷や汗が流れた。
アーゼルの言葉や、何やら身に覚えのありそうなエミリーの様子にダニエルはぽかんとした。
「はあ?」
アーゼルはじっとエミリーを見つめている。
「あの執事は、真面目に礼儀正しくしていたがよく見れば女顔で物腰柔らかで顔も整っていた。俺は思い出したんだ。あいつを雇用するときの身元確認書類におまえのサインがあったことを! それでおまえの身の回りの世話をしていた侍女に話を聞いたんだ」
ギクッ
『身の回りの世話をしていた侍女』と聞いてエミリーに何か焦りが見られた。
アーゼルはエミリーから目を離さずに言う。
「おまえはどこぞの街角であいつに声をかけられデートを楽しんだ。その流れで、『ワートン公爵家の執事に応募したいから身元確認書類にサインしてくれないか』って頼まれたんだ。俺とおまえが付き合いだした頃の話だそうだな。そしておまえは、俺と付き合うついでに、デートしたイケメンと俺の邸で会えるのも悪くないと思ったんだろう。偽造書類にサインした」
「サインしたかなー。どーだったかなー。でも、当時は別に立派な執事がちゃんといて、彼は執事見習の立場とかだったはずでしょ?」
エミリーはすっとぼけて話を逸らそうとした。
「ああ。そのときはな。そして俺の父が大病を患い母と一緒に領地に引っ込むときに、そのときのメイン執事が父と母の方についていったので、ショーンがうちの王都の邸の執事に昇格したんだ。そして財産の盗難が始まったのもその頃だ」
アーゼルは説明した。
「でも、それってやっぱりあたし関係なくない? いくらあたしが身元確認の書類にサインしたからって、雇うと決めたのはあなたで、財産を盗んだのはショーンでしょ?」
エミリーは口を尖らせた
「だが、身元確認書におまえのサインがあったから俺はショーンを雇ったんだ。俺はおまえと付き合ってたんだから!」
アーゼルが苦々しそうに言うと、エミリーは納得がいかない顔で食い下がった。
「そんなのあなたの勝手でしょ? あたしのサインがあったからって雇わなきゃよかったんだもの。あたしの責任とまでは言えないわ!」
「文書偽造で俺がおまえを訴える」
アーゼルはきっぱりと言った。
アーゼルのきっぱりとした口調にエミリーは青くなった。
「何ですって?」
「身元確認書には嘘がたくさん書かれていた。それにおまえはサインした。おまえは牢屋に入れ」
アーゼルの目は冷たい。
「そんな……!」
エミリーの目に涙が滲んだ。
アーゼルは嘲るようにゆっくりと言った。
「サルヴァン男爵は有能と評判で信頼が厚く、この地方の領主の中では盟主のような立場。だから、そこの奥方になってるようじゃサルヴァン男爵家を擁護する声もあってやりにくいかと思ったんだが、幸いお前はまだサルヴァン男爵家に嫁いでいなかった。それどころか、お互い結婚を拒否するような感じみたいだな。それならサルヴァン男爵家に遠慮はいらん。心置きなく訴えられる」
アーゼルはちらりとダニエルを見た。
「訴えるなんてイヤーっ! あたしはただ紙にサインしただけじゃない!」
エミリーは叫んだ。
しかし、この状況でエミリーに同情する者は誰もいなかった。
「連れて行ってくれて構わない。私はエミリー嬢とは結婚しない」
ダニエルも冷静に言い渡した。
アーゼルは小さく肯くと、自分が連れてきた従者たちにエミリーの身柄を確保するように命じた。
「お父様に言いつけてやるっ! あたしをこんな目に遭わせてっ!」
エミリーは喚いたが、
「スピンク男爵にも事情は説明済みだ」
とアーゼルは冷静に返答した。
こうして、小悪女エミリーは捕らえられ、王都でしっかりと取り調べを受けることになった。
エミリーを牢屋にいれないためにスピンク男爵がお金を払うかどうかは、またこれからの交渉次第。
少なくとも今のエミリーは生きた心地がせず、自分が何をしでかしたのか考える羽目になったのだった。
(終わり)
お読みくださいましてありがとうございます。
自分で書いておいて一言、これは痴漢では……?(;´Д`)
言っておきます、決して作者は欲求不満ではありませんっ!
あくまでエミリーの暴走です……っ!
さてさて、こんな変態作品ですが、少しでも面白いと思ってくださいましたら、
ブックマークや感想、ご評価★★★★★の方いただけますと、
作者の励みになります。
よろしくお願いいたします!
【補足】
本作は、『(短編)婚約破棄の慰謝料が石ころだった件。あなたたぶん破滅するわよ。私は最愛の人がそばにいてくれて幸せだけど。』(https://ncode.syosetu.com/n5174kt/)
の続編ですが、こちらを読まなくてもいいように書いています。主人公も違います。