紅の魔女編(2)
守護天使デーモンハンターや怪異ハンター達が属する組織、アニマは神嶋市に本部を構えていた。
街の中央にそびえ立つ白塗りの高層ビルが見えた。
街全体を見渡せる程高く、横に並び立つ複数のビルよりも頭一つ突き抜け、見る人を圧倒させる。
その巨大な高層ビルこそがアニマ本部であった。
最上階直行エレベーターの中に、守護天使の制服を着た舞姫と神威がいる。
「またあの悪夢ですか、舞姫さん」
「はい。しかも今回は新展開。新キャラで姉出てきました。わたし一人っ子なのに、何でぇーって感じで」
「フフッ。姉はさておき、悪い夢ほど縁起がいいと聞いた事ありますし。舞姫さん、そのうちいいことありますよ」
「宝くじでも買おうかなー」
「フッ。実に君らしい。当たったら、ご両親と家族旅行なんてどうです?」
「あははっ。その時は有休でお願いしまーす」
そう言えばと、わざとらしく舞姫は話題を変える。
「隊長の家は、奥さんと娘さんでしたっけ」
「ですね。早々と一緒になったので、娘は舞姫さんとそんなに年変りません」
穏やかな柔らかい表情で、ニコニコと幸せそうに神威は微笑む。
「聞きたいのは、僕の家族構成ではないでしょ?」
「あははっ。バレちゃいましたか」
「お兄……羅我さんって、妹さんと二人だけの家族って」
「そうですね。彼は美亜さんの治療費の為、守護天使に入隊を決めました。信じてみては?」
――あぎぃぃる。
舞姫の耳に未だ残る、獣の咆哮。
デビルウェポン・リリスが主の羅我と融合し、蛇腹の悪魔へと変化する姿を目の前で見て、死への恐怖をリアルに感じた。だが同時に歓喜で肉体は震えた。
この悪魔に食べられたいと、本心から願ってしまった。
ハンターになって沢山のデーモンと生死を賭けてきた。それでもそんな気持ちになったのは彼が、羅我が初めてだ。
たわわに実る乳房に牙を突き立て引きちぎり味わい、鋭い鉤爪で太ももを切り裂き流れ出る血を、ザラザラした赤い舌で舐めてほしいと、本気でそう思ってしまったのだ。
そしてあの時、羅我は舞姫を見て懐かしく感じた様に、舞姫もまた同じ様に羅我を懐かしく愛しく感じでいた。
「僕達守護天使は、運良くマザーから魔力を抑えたデビル・ウェポンを渡され悪魔化しなかっただけ……と言っても、当人の舞姫さんには酷ですよね」
エレベーターが目的地へ到着すると扉が開かれた。
「守護天使神威隊、隊長神威了入ります」
「守護天使神威隊、副隊長暁舞姫入りまーす」
緊張した表情で口をへの字にする神威と、それを表だって感じさせないニコニコと笑みを浮かべる舞姫が実に対称的だ。
少し肌寒いほどに空調が効いたフロアの中央には大きい穴があり、そこから大木を彷彿させる円柱が最下層から最上層まで伸びていた。
大木の表面を薔薇の蔓が絡み中心に巨大モニターが埋め込まれ、右側と左側に巨大な白い石像が設置されている。
石像は二つ共に猛禽類型の一対の翼を生やした屈強な鬼の姿で、悪魔を思わせる歪な獣を踏みつけている。右手で剣を握り左手に引きちぎった蝙蝠型の羽を掴む戦士の石像が、守護天使の象徴として設置されているのだ。
「――おはようございます。わたくしの可愛い子供達」
モニターが起動を開始しホワイトノイズが走ると、柔らかい声がホール内に響く。ノイズは消え、映し出されるは白いレースのカーテン。そこから長身の女性のシルエットが見えた。
彼女がアニマの管理者、マザー・ヴァク・イザナである。
舞姫はマザーの姿を知らない。
モニターから聞こえる声から予想するに、大人の女性という感じだ。
知ってるのはマザーは精神に作用する異能力を持ち、ストレスに苦しむ隊員のメンタルケアと魔武具と契約した仲魔をコントロールするという事だけ。だが不気味だとは思わない。思ったことすら無い。
自分達は悪異から人々を護る、怪異ハンターだ。悪異を狩ることに彼女の正体がなんであれ、支障はないのだから。
「おはようございます。マザー」
「おはようございまーす。イザナさま」
「あら。一人たりませんわね」
「えっ? それってまさか」
ドキドキ。舞姫の心臓が高鳴り、激しく鼓動がリズムを刻む。
*
「わりぃ旦那、遅れた。御門羅我入るぜ」
なんとかギリギリ間に合った。事情はあるとはいえ、勤務初日で遅刻は流石にバツが悪い。
「フフッ。連絡はもらってますし。美亜さんの所に、行っていたのでしょ」
穏やかな雰囲気で、羅我を迎えてくれる神威に安堵する。
「よぉ。お嬢ちゃんも、色々迷惑かけたな」
そう言って初めて見る舞姫の制服姿に、やはり懐かしさを感じてしまう。
「ひゃい!」
いきなり馴れ馴れしく声をかけたので舞姫は驚いたのか、カァッと顔がゆでダコみたいで真っ赤に染まる。無理もない。先日殺し合いをしたのだ。いきなり仲間になれといっても、心の準備が必要なのだろう。
「約束は守ったでしょ、羅我くん」
「ホントありがてぇ」
「僕ではなくマザーに」
「マザー?」
羅我はやっと、マザーの存在に気づいた。
「アニマへようこそ。わたくしがマザー・ヴァク・イザナですわ。新たな我が子サタンよ」
「っス」
モニターに映る神々しい輝きに慌てて頭を下げ、その体勢のまま舞姫に聞く。
「お嬢ちゃん、なんで俺サタン?」
「イザナさまは愛称つけるのが好きで、お兄さんは今日からサタン呼びです」
納得した。デーモン化したあの姿なら、そう呼ばれても仕方ない。
「あぁ。悪魔だからな」
「格好いい!」
「君たち」
神威は困った表情で頭を抱え、二人に注意する。
「すいません、イザナさま」
「悪い」
「くすくす。いつも笑顔がたえない素敵な部隊ですわ。ではレオ(神威)、あれをサタンに」
羅我は神威から先日の戦いで回収されたリリスを渡された。
「マザーの異能力で魔力を抑えてます。これで君も悪魔化を逃れられる」
「あぁ。二度とあんな思いしたくねぇ」
舞姫の血で紅く染まった掌を強く握る。
「……お兄さん、ていっ」
ぺしっ。肩を舞姫に軽く叩かれる。
「お兄さんもわたしも、やるべき事をやっただけですよ。もうシリアスモードはなし」
ニコッと笑う舞姫を見て、肩の荷がやっと軽くなった。
「あっ……おう」
「まぁそれでも一戦交えたいなら、夜のせっ――」
「そこまでじゃ小娘!」
リリスの蛇腹が素早く舞姫の口をふさいだ。
「くすくす。レオあとは任せます」
笑いながらマザーのシルエットは手を振り、モニターの電源は消えた。
「羅我くん。今日から君は舞姫さんとコンビ組んでください」
「はいよ。よろしくな。お嬢ちゃん」
「えぇーお兄さんと一緒! 嬉しーい……じゃなくて神威隊長は?」
「本音がもれてますよ舞姫さん。妻と娘が煩くてね。危険な仕事なので。まだまだ先の話ですが、そろそろ暇をもらおうかなと。有望な新人も入りましたし。頼みますよ、二人とも」
「はーい」
「はいよ」
有望かどうか、人を救う仕事が向いてるのかさえ自分ではわからないが、受けた恩は必ず返してみせる。
羅我はそう強く決意し覚悟を決めた。