惨めな初陣
「森から現れたのは、大目玉に触手のは屋したような化け物ーーゲイザーだっただろうか?
醜悪なほど大きすぎる目玉の怪物で、赤黒い血が文様のように奔る、グロテクスな怪物だった。
それにつき従うように、蜘蛛の群れーーそして小柄なオオカミを引き連れている。
ゲイザーの巨大な目玉がぎょろりと動く。 その一瞥を受けた瞬間
――見つかった。狙われている。死ぬ。
心臓が凍りつくような視線が私を射抜いた。
喉がからからに乾く。 呼吸ができない。手が震える。魔法を収束させるはずの
指先の感覚が遠のく。
目の前の怪物は、私を「ただの獲物」として見ている――
息を飲み込んだ瞬間、ゲイザーの触手が一気に襲いかかってきた。
その一瞥を受けた瞬間、体が凍りついたように硬直した。 触手が蛇のようにうねり、獲物を捕らえようとゆっくりと伸びてくる。
背後には巨大な蜘蛛が複数、節くれだった脚をカサカサと動かし、周囲を取り囲んでくる。
既に周りは包囲されてきている。 陣形も奇襲だったためにバラバラで、あちらこちらにモンスターがいる状態だ。 戦闘するなという方が無理だと判断した。
そのため防衛戦に留める形で、魔法の準備を始める。
ゲイザーは、私が一番の弱者であることを理解したらしく、その大きな目玉をこちらへと向けた。
その瞬間身体の動きが鈍る。 魔眼ーーおそらく眼力による視えない楔だ。
モンスターにこんな能力があるなんて? 射すくめられて、背筋が凍るのを感じる。 初めての実践で呼吸は乱れる上に、足も震えている。 情けないーー、なんて齢のはーー!?
パーシヴァルは冷静に大剣を構え、一歩前に出た。 不動の力を持って立ち尽くす彼ーー
その背中はあまりにも頼もしく、アリエルは一瞬ーー周囲の恐怖を忘れるほどだった。
まずは機動力煮物を言わせたオオカミたちが、パーシヴァルに殺到する。
ーーが、それを的確に捌いていくパーシヴァル。
「蜘蛛の相手は、私たちでやるよ。
右はランディス、左はラヴィーナ! 後れを取るんじゃないよ」
エキドナの叱咤が響く。
が、彼女は指示を出すだけで、最低限の防衛以上のことはしないようだった。
三人が戦うなかで、徐々にモンスターの頭数が減っていく。 食うか食われるかの消耗戦だ。
それに感じながらもわずかに油断した瞬間、足に圧迫感を感じて振り返る。
「ーーそんな、もう一匹居たの!?」 大物からは距離が遠いそれで油断していた。
ゲイザーが私の足に触手を絡めている。 もはや逃げられない状況ーー!?
前線ではゲイザーはパーシヴァルの相手でこちらに眼力を飛ばすだけで精一杯だ。
だが、後ろから現れたゲイザーは、連携するように私を強襲てきた。 つがいだろうか?
二体のゲイザーはまるで意思を共有しているかのように動き、一体が弱点を見せた瞬間、もう一体がそれを補うかのように動いた。
その瞬間、触手が伸びた。 反応する――間に合わない!
ギチッ。 足に冷たい圧迫感。締め付けられる。
「そんな――くっ!」 動けない。
息が詰まる。視界がぐらつく。
触手がさらに絡みつき、体が宙に浮いた。
触手に足を絡め取られて、引っ張られる。 抵抗しようとするが、ゲイザーのちからが私のそれよりも強くーー振りほどけない。 恐怖に全身に魔力が駆け巡るがーー?
『いいかい、アリエル、王子の暗殺以外でお前の手の内を見せてはいけないよ!』
『任務以外での暗殺術の使用は禁止されてもらうよ』 そんな言葉が脳裏をよぎった瞬間。
ゲイザーにむかって収束していた氷魔法下級魔法、ブリザードをお見舞いする。
一般的な魔法であり、ある程度魔法に精通していれば誰でも使える物だ。
ルキアは魔法で発展した都市である。
公女であるエカテリーナがこれぐらいの、護身術を使えたとしても何ら問題はないはず。
だが、私の本流は闇の魔法である。
一般的な理の属性魔法はランクが低く、十分な火力を発揮しなかったようで、ゲイザーに致命傷を与えきれていない。 動きを妨害した程度にとどまっている用だった?
どうする? 闇魔法を使うべきかーー頭の中で警鐘が鳴り響く。『決して見せてはいけないよ』といういもしないエキドナの言葉が頭に響いた。
それが呪いのように心に絡みつき、思考を鈍らせる。
その間にもゲイザーの触手は容赦なく締め付けてくる。
触手がさらに締め付ける。その冷たい感触が、アリエルの足を容赦なく圧迫し、骨が軋むような痛みが走った。 触手はなおも、伸び続け次第に体中へと伸びてくる。
全身へと広がった触手がうごめく、瞬間ーーその冷たく湿った感触に背筋が凍る。
振り払おうと足を引くが、その力は恐ろしいほどに強い。
次の瞬間ーー針のようなものが皮膚を貫き、鈍い痛みが走った。
『やめて……痛いーー! このままでは毒がーー!? 何か対処法は?』
そのわずかな逡巡があだとなった。
その瞬間ゲイザーの触手から、針のような物が刺さったらしくわずかにチクリとした痛みを感じた。
その瞬間、力が抜け、身体が弛緩したように倒れる。 糸を切られたマリオネットのように力なくその場に倒れ込む。
大きな目玉がアリエルを射抜く。
意識を混濁させる魔眼ーーその視線は鋭利な刃のようで、神経を削ぎ落としていくかのようだった。
身体が言うことを聞かない。ダメーーこのままでは、やられるーー! やめてーー、助けてーー? お姉様ーー!?
「エカテリーナ様ーー! そうはさせん!」
パーシヴァルの叫びが響くが、彼は前方のゲイザー相手に動きを封じられているようだった。 相手として手間取るようにゲイザーも動いている。 まずは私から捕食するつもりだ!
ラヴィーナがすかさず駆け寄りながら叫ぶ。 だが、直接救出するにはまだ距離がある。
「何してるの! 闇魔法でも何でもいいから早く!」
ちぃ、雑魚共が、どけーー! ランディスが叫ぶーー彼は蜘蛛とオオカミの連携出て一杯といった感じだった。
三者三様の怒号が響く。
パーシヴァルは前方のゲイザーを相手にしながら、切り払い距離を取る隙を見つくると、器用に大剣を、上空へ放り投げる。 その瞬間のタイミング一瞬の隙をつき、彼は空いた両手を使い豪快に手斧を一閃ーー正確無比な軌道での投擲ーートマホークのように回転する刃が、アリエルの方へと飛来するーー!
それはアリエルの体中のの触手を断ち切り、彼女を救うだけでなく敵の動きを封じる完璧な一手だった。
それと同時にパーシヴァルは瞬時に跳躍し、宙に放った大剣を掴む。その動きには一片の迷いもなく、まるで戦闘そのものを芸術として体得しているかのようだった。
そのまま空中で一回転すると遠心力を纏った身体に重心をあずけ無駄なく一閃――圧倒的な剣圧がゲイザーを両断するーー!
こちらのゲイザーは触手が分断されて、アリエルから離れた。
瞬間に距離を取って解毒効果のある魔法、キュアを発動して身体から毒を排除する。
続けざまにブリザードを放ってけん制しつつ、ゲイザーの攻撃を俊敏な動きで回避する。
手の内をさらすことにはやはり抵抗があり、時間を稼ぐ選択をするしかない。
足を使っていき残るしかない。
闇魔法を使うことは、その瞬間ーー任務の崩壊を意味する。
王子暗殺のために築き上げた偽りの自分を、自ら壊す行為なのだ。
比較的距離の近かったラヴィーナの矢が続けざまにゲイザーを貫いた。
ゲイザーが崩れ落ちる。 前線のゲイザーもすでに両断されており、残った蜘蛛やオオカミはリーダーを失ったことで、ちりぢりに退散していった。
アリエルは安堵のあまりへたり込み、ふう、とため息をついた。
弛緩した空気に、全身のちからが抜ける。
駆け寄ってくる三人ーー傷がないか確認するラヴィーナと、手を差し伸べてくるパーシヴァル。
『脆そうに見えるが、芯のある瞳だな……』
一瞬そう思いながら、パーシヴァルはアリエルに手を差し伸べた。
ーー手を伸ばすべきか、迷った。 伸ばせば、彼の温かさを知ってしまう。
でも、伸ばさなければ……?
心がざわつく。 それが何なのか、まだ分からない。 私は……彼を、どう思っているの? 答えの出ない自問自答に既に深みにはまっていることをアリエルは気づいていない。
パーシヴァルの手が彼女を引き起こす。
その強い腕と落ち着いた瞳には、彼女がこれまで感じたことのない温かさが宿っていた。
(こんな人が、私を守ってくれるなんて…。)
心にわずかに灯ったその感情が、何なのか? アリエル自身まだ気づいていない。
俺の視界の端で、アリエルが――いや、ソフィアが微かに動いた。
瞳を震わせ、困惑したような表情で、パーシヴァルを見上げている。
その姿が、頭の中で重なる。
俺の記憶に刻まれた、最期のアリエルの姿と。
「――あの時も、こんな風に、誰かを見上げていたのか?」
「違う。いや、違わない。……クソ、俺は何を考えている?」
『俺は、ソフィアを……アリエルの代わりにしようとしているのか?』
そう思った瞬間かぶりを振るランディス、いつもの平静さを取り戻し、心を落ち着かせる。
「次は……自分で何とかしろ。」
そう言い捨てたが、その声はわずかに震えていた。 パーシヴァルの姿が目に焼き付いて 離れない。 あまりにも強く、あまりにも堂々とした存在感――
「俺じゃなくて、アイツが……守ったのか?」
その事実が、胸を抉るように痛かった。 彼はただの騎士。 俺は兄。
だが……妹の視線が、そちらに向いているのを知ってしまった。
「チッ……。」
ランディスは舌打ちをし、焚火の炎を睨みつけた。
内心では妹を無事に守れたことに安堵している一方、守られる妹の姿に彼の眉間の皺は深くなる。
自分の手で守るべき家族を、他人に頼ることへの苛立ちが嫉妬となり胸中をざわめかせていた。
ランディスは助け起こされるアリエルと、柔和に微笑むパーシヴァルを見ながら、わずかに試してみたくなった。
彼の実力と、意思をーー
俺の視界の端で、ソフィア――否、「アリエル」が微かに動いた。
あの時と、同じ。
……違う。いや、違わない。あの時のアリエルも、こんな風に誰かを見上げていたのか?
もし、俺があの時――間に合っていたら……?
そして今、間に合ったのは、俺ではなく "パーシヴァル" だ。
「……クソッ!」
反射的に剣を抜いていた。
ーー剣を振り抜いた。 自分が馬鹿なことをしようとしているのは分かっているつもりだ。 だがこれも男のプライドーー! 試さないわけには行かないーー!?
「ランディス、やめなさい!」ラヴィーナが気づいて叫ぶ。
だが、ランディスの剣はすでに鞘から閃いていた。
ーー「試すだけだ」と冷静に言う彼に、
エキドナがため息をつき、「全く世話の焼けるやつだ」とぼやいた。
瞬間、ランディスの剣の光沢の煌めき銀線とともにーーパーシヴァルを一閃した。
アリエルをも巻き込みかねない一撃ーー 会心とも言える手応え感じるランディスーー
ーーそれをパーシヴァルはかばうように前に立ち、空いた方の手で大剣を受ける。
危なげなどどこにもなかった。
剣を受け止めた手には微動だにしない力が宿っていた。
それはまるで嵐の中でも揺るがぬ大樹のように頼もしいとアリエルは感じた。
「何のつもりですかな、ランディス殿?」
「いいや、貴公も腕に覚えがあるようだからな、少し試してみたくなったのさ」
「……どうしても、試したいですね?」
パーシヴァルが静かに剣を構えた。
それを挑発と捉えたのかランディスは無言のまま剣を抜く。
互いに一歩踏み込む――緊迫した空気が、焚火の炎すら揺らした。
ランディスが踏み込む。鋭い閃光のような一撃。
だが、パーシヴァルはそれを――たった一本の指で止めた。 ナックルガードだ、だが底に当てるには、相当な実力差がいるはずーー!?
「……なにっ!?」
「俺は……こんなに弱いのか?」 まるで時間が止まったかのように感じた。
俺の剣は止められた――お遊戯とばかりにたったの指一本で。
ーーふざけるな。
貴族の家に生まれ、剣の技術もそこそこ磨いてきた。
それなのに、この男の前では――ただの子供の戯れのようだ。
何故だ? こいつは――ただの騎士風情が、こんなにも強いのか!?
胸の奥がズキリと痛んだ。 何が悔しいのか、分からない。
俺の弱さか? アイツの強さか? それとも――アイツの方を見ている、アリエルの瞳か?
一太刀で分かる。
奴が持つのは、儀式剣じゃない、実践で磨き上げられた実力だ。
そして同時に天性の才を持つ、クソ、俺は俺のできることはやってきたはずだ。
まだ、甘えがあるっていうのか?
アリエルが、妹が……アイツ(パーシヴァル)に惹かれていくのを知ってしまった。
『俺は、どうすればいい? 教えてくれアリエルーー?』
アリエルは血の気が引くのを感じながら、二人のやりとりを見守る。
「これぐらいでいいでしょう?
戯れはよしていただきたい。 やり過ぎではないでしょうか?
エカテリーナ様も巻き込むところでしたよ? 挑戦ならば正式な形でお受けします。
ですからこのような危険なことは、よしていただきたいーー!」
「試すなら正式な形で」と、パーシヴァルは静かに言った。
その声には、怒気も、侮蔑も、焦りもなかった。
まるで、そうなることが最初から分かっていたかのように、
ただ、「結果が決まった試合を見守る観客」のような態度だった。
「あなたが妹君を思う気持ちは、よく分かります。」
そう言いながら、パーシヴァルはほんのわずかに視線を落とす。
その仕草が、ランディスの心を逆撫でした。
『まるで、憐れまれているみたいじゃないか……! ふざけるな!』
パーシヴァルの強い意思をうけて、ランディスが下がる。
しかし、その意思を受けて逆にランディスが燃え上がっていることを、ラヴィーナだけが静かに気づいている。
冷静に言を続けるランディス、だが、その言葉の端にはラヴィーナしか分からない動揺が乗っている。
「なに、騎士殿が本当に我が妹を護れるのか、試したくなっただけのこと」
「それで結果は?」
「答えは出ている。それ以上に言うことは私にはない」
ーーと言いながら、ランディスは、その場を後にした。
「全く困ったお兄様ね」と、呆れ顔でつぶやくラヴィーナ。
「まあ、そう警戒することはない。 ランディスのいつもの気まぐれよ。
奴は結果を分かっておりながら、ああいう行動をした。
それでよかろう騎士殿も、剣を収めていただこうかの?
わしらに敵意はないさ。 さて、わしは、戦利品でもあさってこようかの?」
と一方的に言い放ったエキドナもその場を後しようとしたその時ーーふとエキドナは足を止めた。
「申し訳ありません、兄が大変失礼をーー!」
「いえ、私は貴女ーーエカテリーナ様を護るのが務め、ランディス殿も私がいいところを持って行ったのがすこし、面白くなかったのでしょう?」
そういって、傅くパーシヴァルに、私は咄嗟に手を差しだそうとしたがーー
「後ろから来たラヴィーナに、貴女は公女なのよ、しゃんとおし、
その言葉は自分が誰であるかを再び思い出させた。
そして、震える指先を自分の意志で引き戻す。ーー伸ばし掛けた手を引く」
パーシヴァルから身体と視線を外して、周囲の様子を見渡す。
そんな煮え切らないやりとりを遮るようにエキドナの声が響いた。
「待ちな、良くない気配じゃ、底に潜む者? この匂いは同業者かの? 出てきなーー出てこなければ、ろくな目には遭わんよ!?」
ふと、"影" に違和感を覚えた。 どこか、何かが、ほんの僅かに "揺らいでいる"。
――いや、"違う"。 影ではない。 これは "何か" が"隠れている" 気配だ。
その瞬間、"揺らぎ" が輪郭を成す。