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第八話 十歳の朝。

 母のエリシアに似て、すべての人に優しく面倒見の良い姉テレジアは、初頭学舎から中等学舎に至るまで誰からも好かれている。ウィンヘイム伯爵家を名を汚すまいという気概があるので、見本になるべく頑張っている。


 ただ、負けず嫌いな性格もあって、授業について理解できない部分があったとしても、教諭に質問することができない。


「アーシェ、ちょっといいかしら?」

「どうしたの? お姉ちゃん」


 アーシェリヲンはまだ本を読み終わっていないようだが、先日魔力の枯渇で心配をかけて以来、話だけは聞くようにしている。


「おね――まぁいいわ。アーシェ、ここなのよ。どうしても理解できなくて」


 アーシェは知識欲の塊。テレジアの口ぶりから中等学舎でなにかわからない問題を持ってきてくれた。書物から得た知識はあっても、現場となる学舎でどのような問題として出されるかまでは書かれていない。だから、そこに興味はあった。そう思ったからか、本を読む手を止めてくれたようだ。


「どれどれ、……あ、ここはね。んっと、……あったあった」


 椅子から立ち上がって書棚を物色。すると目的の本を見つけ出してまた椅子に座った。


「確かこの本の、そうだここだ。この部分を参考にしたらほら」

「あ、そういうことなのね。アーシェったらうちの教諭よりもわかりやすい教え方をするのよね……」


 学舎の教諭は、広く浅く授業を進めないと時間通り終わらずに予定を消化できない。理解度の差が発生している生徒すべてに合わせた授業など、できるわけがない。

 授業の後に聞きにいけば、ある程度は教えてくれるだろう。だが、生徒が理解できるかどうかは別だ。理解できるまで教えてくれるわけではないのだから。


 結局、授業で理解できない問題を持ち帰り、家で復習をするしかない。ただし、学舎では再び同じ場所を教えるわけではない。

 理解できているかどうかの確認は、試験の結果でしかわからない。学舎ではその結果を家に直接送るという、実に厳しい仕組みになっているのだ。


 貴族の家々では、学舎で教える範囲の知識を持ち合わせた家庭教師を雇っているところもある。そうしないと、学舎での授業についていけなくなってしまう。案外シビアな場所だったりするのだ。


 ちなみにウィンヘイム家の家庭教師をしている従者はあくまでも兼業。本来は屋敷の書類関係を処理するのが専門。だから、初頭学舎へ入学して学んでいけるだけのことを教えなくていいとフィリップは考えている。


 テレジア派来年中等学舎を卒業し、高等学舎へ上がるため学力はあり、成績も残せている。だが、ウィンヘイム伯爵家の名を汚さないと、更に上の順位を目指している。だからテレジアは、頑張っていたのだ。

 教諭に教えてもらってもし理解できなければ恥を掻く。それならば、アーシェリヲンの手を借りてでも負けるわけにはいかない。これが負けず嫌いなテレジアの学舎生活なのである。


 結果的に、アーシェリヲンはテレジアに頼りにされている。もし彼がこのまま初頭学舎へ入ったとしても、受ける授業は退屈そのものになってしまうだろう。それ故に、テレジアの持ってくる問題は、本から得た知識が正しいかの答え合わせをする遊びのようなもの。彼も難しい問題が解けて嬉しいのである。

 結果、姉弟(きょうだい)の間とはいえまさにお互い様、相互利益といえるのだろう。


 弟、フィールズにはアーシェリヲンと違って剣の才能がある。それは二歳年下とは思えないほどの差であり、アーシェリヲンは彼に勝った試しがないのである。もちろんそれは父フィリップもわかっている。


 フィリップの見ている前で、フィールズと木剣を持って手合わせをすることがある。アーシェリヲンは、自分が負けることがわかっていても断ることをしない。打ち合っても負けてしまうことがわかりきっていたから、フィールズの木剣を自分の木剣で受けるようなことはしない。

 自らの動きは最小限にして、フィールズの動きを予測しつつ、皮一枚の間合いでひたすら避けきってしまう。


 最終的にフィールズは、ぐずってしまって勝負はお流れになる。それでもすべて避けきれるなら勝てないまでも負けることはない。最近は、そうしても構わないとフィリップに許可をもらったからこうするようになった。フィールズの鍛錬にもなるからと、アーシェリヲンに許可を与えたのである。


 アーシェリヲンは結局、一度もフィールズに勝てていないにもかかわらず、彼からなぜか尊敬のまなざしでみられてしまう。


 父フィリップは、アーシェリヲンに剣を教えるのは難しいだと悟っていた。だから騎士団に入団させて無理に自分の後を継がせようと思ってはいない。幸い、弟のフィールズに剣の素質があることが判明し、彼もフィリップのあとを継ぎたいと言ってくれている。


 アーシェリヲンは頭脳明晰、魔力も底がみえないほどであることから、ゆくゆくはエリシアは自分やテレジアのような魔法使いになってくれると信じている。フィリップも最近は、アーシェリヲンをエリシアの思うように育ててみようという気持ちになってくれていた。


 まもなく十歳になるアーシェリヲンは、洗礼が終われば外へ出られる。外へ出たなら、その日のうちに『れすとらん』へ連れて行ってもらうべく、ちょっとだけおねだりをしてみようと思っている。


 あまりにも楽しみで、前の晩はなかなか寝付かれなかった。だから遅くまで本を読んでしまって、テレジアに(たしな)められてしまった。


 アーシェリヲンの生家であるこのウィンヘイム伯爵家の屋敷には、執事がいて、複数の侍女もいて、家庭教師をしてくれる文官の従者もいて、中庭などを管理してくれる使用人たちもいる。皆が皆、アーシェリヲンが十歳になることを喜んでくれるのだろう。 


 ▼


 翌朝、アーシェリヲンは目を覚ます。彼は今日から十歳だ。

 貴族や王族の子たちは、今日の日を待ち望んで育っていく。なぜなら、生まれて初めて屋敷の外へ出られるのだから。とはいえ、歩いてではなく馬車でということにはなるのだが、それは仕方のないことだろう。


「今日で僕も十歳かー」


 窓を開けて外をみる。中庭の先に広がる、父フィリップが治めるウィンヘイム伯爵領の港と海。

 いつものように椅子に座り、本を開いて読もうとするのだが、なかなか頭に入ってこない。その理由は、待ち望んで日だったからだ。


(町を歩ける。海を見に行ける。それよりそれより、『れすとらん』だよね)


 これから授かるはずの、加護への期待よりも、知識欲と『れすとらん』で頭がいっぱいになってしまっていた。


「アーシェ、起きてる?」

「はーい」


 耳に慣れた声に振り向くと毎朝呼びに来る姉の姿。いつになく弾む声に聞こえるのはきっと、アーシェが十歳になったことを知っているから。


「アーシェ、十歳になったわね。おめでとう」

「ありがとう、お姉ちゃん」


 いつもなら『そこはお姉様でしょう?』というツッコミが入るところだろうが、今朝はそれがなかった。


 テレジアに連れられて母エリシアの部屋へ。ここにアーシェリヲンが袖を通す、今日この日のためにあつらえた服が用意されていたのだ。


「アーシェ、おはよう。十歳の誕生日、おめでとう」

「ありがとう、お母さん」


 やはり『ここはお母様でしょう?』というテレジアのツッコミがない。ちょっとばかり面を喰らうアーシェリヲンだった。



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