第一話
魔法使いのカイ・オーミルと言えば、最年少宮廷魔法使いであり、数々の発明を世に送り出してきた天才魔法使いである。少なくとも、カイと親しくはないが面識がある程度の人間からはそのように見られている。
「…また手紙か」
カイ本人は、全くそのように感じていない。そのため、しょっちゅう送られてくる支援要請や婚姻関連の手紙には辟易していた。
自分自身でできることしかしない。他人は信じられない。そうした天才肌な雰囲気を漂わせるのはその風貌のせいかもしれない。珍しい白髪は左目を完全に隠し、それすらも隠そうとするかのように大きなローブを被っている。ローブに巻き付けられた宮廷魔法師の証であるスカーフがなければ、不審者だと思われて終わるだろう。
「よくこんな見た目の奴に自分の大切なもんを押し付けようとしてくるもんだ」
カイは空に浮かした手紙を一瞬で灰にした。そして王から下賜された王城の片隅にある塔に帰ろうとしたその時。一枚の紙が魔法で作られた鳥によって届けられた。また手紙かと思ったが、封もされていない一枚の紙だったため、作り出した火は消した。そもそもこの手の城内報せの紙は燃えずに水にのみ溶けるようになっているため気付くが。
『明日から王城前広場にて二年に一度の王令奴隷市が開かれます。』
たったそれだけの簡潔な内容の手紙。
前回の奴隷市には参加しなかったな。確か知らせは届いたが研究に没頭するあまり徹夜して日程を逃したんだったか。王公認の奴隷市なのだから、一度くらい様子を見てみてもいいだろう。違法奴隷市よりもずっと治安がいいらしい。奴隷を買う気はないが、知らないままで放置するのはあまり良くない。
そうしばし思考して、カイは手紙を溶かすべく水を作り出した。彼が去った後には灰で濁った水たまりができていた。しばらくすれば植物のいい栄養になるだろう。
生活感の薄い塔の中、カイは沈む夕日を眺めていた。魔法学院に通っていたころから変わらない、人と深く関わらないためのローブはそこでもとらなかった。
翌日。王城前広場には商人とその商品である奴隷たち、そしてそれを買い付ける貴族や大商人などがひしめき合っていた。城からやっとの思いで外に出てみれば、そこはまるで幼い日に見た港町の露店のようだった。ちょうど日差しの強い日だったから、商人も客も、商品も仮設のテントの下にいる。それが人々の喧騒に紛れている様子が港町の様子にとても似ていて、けれど潮の香りはしなくて、不思議な感覚だった。
「さあさ、うちのは美形ぞろいですよ!」
カイに程近い商人が大声で喧伝する。カイは己の審美眼に疑いを持つほど美的感覚に疎かったが、どれとその商人が連れてきたであろう奴隷たちを見た。
なるほど、淡い色合いの髪を持つ少年に、漆黒の髪を持つ少女、茶の髪をうねらせた女性、線は細いものの美しいと言えるのだろう男性まで、若年層を多めに取りそろえた構成だ。美を売りにするならそう金をかけられない奴隷には若くあってほしいだろう。
「ほう、私は若くて綺麗な話し相手が欲しいのですがね。言葉が話せる奴隷はおりますかな?」
貴族と思われる初老の男性が商人に近づき、話しかける。
「はい、でしたら十五歳の僕か十三歳のエセルがいいかと思われます。僕たちは文字も少しなら読めます。エセルはあまり活発ではありませんが、聞き上手ですよ」
答えたのは、商人ではなく年より幼く見える奴隷の少年だった。奴隷が貴族に自ら話しかけるなんて、そんな勝手は許されない。当然のように商人は「この、勝手に話すんじゃない!お相手はお前などとは格が違うお方だぞ!」と言い、鞭を取り出した。
しかし、その鞭が少年奴隷に届くことはなかった。間にカイが入り込み、土壁で防御したからだ。
「この奴隷は俺が買う。異論は認めねぇ」
奴隷商人は顔を引きつらせて、「あのね、君のような幼い子が奴隷を買えるわけがないんだよ」と優しそうに声をかける。しかし、そんな奴隷商人の態度を一変させたのは、先程まで相手にしていた貴族の反応だった。
「も、もしやあなたは宮廷魔法使いのカイ・オーミル殿では?カイ殿が買うと言うならば私は身を引きましょう、宮廷魔法使いは奴隷を多く必要とすると聞きますから」
「ああ、このスカーフで気が付いてくれたか。ありがてぇな。ほら、俺は宮廷魔法使いだからよ、奴隷が必要なんだ。こいつを買ったっていいだろう?」
商人は態度を豹変させて「ええもちろんですとも!こちらが奴隷譲渡証の番号です」と番号札を渡してきた。
「おう、そうだな、こいつ貰ってくれや、迷惑料だ」
カイはそう言うとシルト銀貨を差し出した。商人は「これはこれは、お気遣いありがとうございます」と言って袖の下に隠すようにささっとそれを受け取った。
「来い。今日からお前は俺のもんだ」
そう言って繋がれた紐をクッと引っ張ると、少年は大人しく付いてきた。
「…お前、名前は?」
「リヴィアです。姓はないです」
「そりゃ奴隷に姓はねぇだろうさ。そこまでは聞いてねぇ。そのままリヴィアって呼べばいいか」
「は、はい」
「お、ここが交換所か。手続してくる」
カイはそう言って、リヴィアの話を断ち切って交換所に札を投げた。札は受付の前でふわりと浮遊し、番号をまざまざと見せつけていた。
「…どうもこういうのは距離感がつかめねぇな。わりぃ、ふざけが過ぎたな。受付さん、こいつを交換させてくれ」
「は、はい、2500シルトです」
「なんだキリの悪い…3000シルトにできねぇか?」
「値下げはできませんが…値上げなら、一応できます」
「じゃあそれで頼む」
カイは銀貨を三枚、亜空間から取り出して渡した。それが受付の奴に横領されようが正しく奴隷商に渡ろうがなんだっていい。
「こちらが解錠用の紋です」
「…おう。記憶した。これでいいか」
その紋を受け取ることなく、カイはリヴィアの手枷と足枷を取り払った。
「…えっと、この紋は…お渡ししなくていいですかね?」
「おう。ん?もしかしてそれ使うべきだったか?」
「い、いえ、この場で外されると思っておらず…」
カイは少し思案した後、ようやく理解した。そもそも脱走する可能性のある奴隷を契約前に解錠して自由にすることはまずないし、多くの買い付け人が王城前広場からは遠い所で奴隷を欲している。王城で暮らすカイにとってみれば些末な問題だが、地方の貴族からすれば気を付けるべき行為だったのだ。
「そうか、俺はすぐそこで暮らしてるから問題はない。これで取引は終わったんだよな?」
「はい、番号札と共にシルト銀貨が渡りますので」
「そうか。じゃあ、行くか。ついてこい」
カイはリヴィアにそう言い、自らはさっさとその場を離れようと王城門へと足を向けた。
木靴が石畳を打つコツコツとした音がして、カイは振り向いた。そこには少し疑問を持ったようにしたリヴィアがいた。息が少し上がっている。走ってきたのだろう。
「どうした。何か気になることでもあったか」
「え、っと、ご主人様に聞くことなんて…」
「俺は確かにお前を買ったが、お前の尊厳まで俺の所有にしたつもりはない。お前のしたいことは、脱走以外なら大抵叶えてやる」
カイは自分が言っている言葉が信じられなかった。これまで長らく無欲に生きてきたというのに、この少年を前にすると少年のために何かしたいという欲望に駆られる。
「質問も、いいんですか」
「あーいいぜ。全然構わねぇ。むしろ分からないことはどんどん聞け」
「じゃあ…どうして、所有奴隷紋をつけないんですか?それこそ、脱走できてしまいます」
所有奴隷紋は、魔法使いなら己の魔力の波長、そうでないなら特注の魔法石の波長に合わせてつけられるもので、奴隷に対し脱走の禁止や労働の基本を染み込ませるためのものだ。
「…捜索魔法って知ってるか?普通は全方位に対して魔力を探知して人や動物、魔石を探すものだ。俺は魔力の大きさを個人レベルで見分けることができるから、お前が脱走したらすぐに気がつく。人混みに紛れようと、お前の足首に土枷をかけて転ばせることができる。それに、ここから脱走したってすぐに周囲の衛兵に捕まるし、例え隅だろうと王城暮らしの方が逃亡生活よりずっと安定してることは分かるよな?」
カイはそこまで説明すると、再び王城門へ向かい始めた。リヴィアはその後を追っていった。
王城門に着くと、奴隷市で購入したであろう奴隷を引き連れた背の高い男性と鉢合わせた。紫色に金の模様のあるスカーフが、彼が宮廷魔法使いであることを示していた。彼の連れている奴隷たちは皆、これまで酷い目に遭ってきたのか、やつれて髪の色が失われている。
「おや、カイ・オーミル殿ではありませんか。奴隷を購入したのですかな?一人で、しかも子供とは…魔法研究の手伝い用ではありませんな。もっと宮廷魔法使いらしくあるべきですよ」
「はは、私は手伝い用に彼を選んだわけではありませんよ。一人ですとあまりに喋ることがございませんもので。彼がいれば多少は話す機会も増えようと思ったまでですよ、イーハン・ラディウス殿」
僅かにイーハンの頬が引き攣ったように見えたが、それを隠すように「では、また次の定例会で」と言ってイーハンは王城へ向かった。カイはそれを少し見送り、王城庭園へと向かった。
王城の庭園にある小道を歩きながら、カイは「久しぶりにこんなに喋ったな」と口にした。
「あの…もしかして、お友達とか、いらっしゃらないんでしょうか」
「いねぇな。そうだな…昔はいた。今はもう連絡も取り合ってない。その程度の関係がいただけだ」
「あの、ご主人様」
「そのご主人様ってのやめろ。俺のことはカイでいい。様もいらねぇ。お前とは…対等でありたい」
「で、でもそれだと奴隷契約が…」
「所有奴隷紋は刻んでねぇだろ。お前がすべきことは今一つだけだ。俺のそばで健康に生きろ。お前は年にしちゃ小さすぎるんだ」
リヴィアの見た目は十歳程度にしか見えない。本人は十五歳と言っていたにもかかわらずだ。カイはそれがたまらなく苦しかった。
「…わかりました」
「敬語もいらねぇ。言ったろ、対等になりてぇんだ。そのためにまずは…お前の見た目を変えなきゃな。奴隷然としすぎてんだ」
ぼろ切れのような服に、伸びたまま洗われているのかもわからない髪。それらを整えねば対等な関係と周囲に知らしめることはできないだろう。何より、そんな風体でいられるのは心苦しいのだ。
「…まあ、同情心でお前を買ったことは否定しねぇ。だが、俺は一人に慣れ過ぎたんだ。このままじゃダメだってことくらいはわかる。人と接することで必要になる魔法具も分かるかもしれねぇしな」
「…つまり、僕じゃなくてもよかったのかな…」
「…さあな。だが、俺はお前を選んだ。今はそれだけでいいだろ。そもそも奴隷を買うつもりなんてなかったんだからな」
「そうなんですね…あ、そうなんだ」
「…ふ、お前、賢いんだかバカなんだか分からねぇな。ま、人と過ごしてりゃどっちかわかるだろ」
カイはそう言って、庭園の隅にある塔の魔法錠を開けた。
「後でお前も開けられるようにしてやる。とりあえずは湯浴みでもしろ。方法は分かるか?」
「は…あ、うん」
「そこの裏口はただの鉄錠だから、そっから出てすぐの井戸から水を汲むんだ。そしたら半地下になってるこの浴室のあの桶に水を入れると、そう時間がかからずに人肌の温度になる。ああ、井戸の水が汚れてっかもしれねぇな。普段使わねぇから…」
カイは説明しながら、井戸に向けて浄化魔法を使った。井戸の屋根付近に、球状の塊が現れる。
「カイ、あれは…?」
「ああ、汚れが固まったものだ。しばらく雨風にさらしときゃ自然に崩れて土に還る。とりあえずこれで井戸の水は綺麗になったぞ」
カイはそう告げて、その汚れの塊を魔法で庭の隅にある土の山に投げつけた。全て、指一本も動かさずに成された。
「…天才って噂は本当なんだな…」
リヴィアが呟いたそれは、階上に向かうカイの耳には届かなかった。
しばらく経って、カイはようやくリヴィアに合いそうな服を見つけ出した。自分がリヴィアくらいの身長だった年頃の服は捨ててしまっていたので、調整の効く服を片っ端から探す羽目になったのだ。カイは浴室のドアを少し開け、隙間から棚に服を置いた。
「おい、リヴィア、服ここに置いとくぞ」
「あ、ありがとう…ございます」
「敬語はやめろって…まあ、他所に失礼じゃあなけりゃいいか」
カイはそう言ってドアを閉める。失礼がないように、なんて、今までの自分からは考えられない。年上だろうと同格でなければ荒々しい発言も多かったというのに。
カイはそのまま、ドアから見える位置にある階段に座って暇つぶしにと研究資料を書き始めた。
程なくしてリヴィアは着替えて浴室から出てきた。髪は完全に乾ききっておらず、リヴィアが手で持って服を濡らさないようにしている。
「…そうか、髪を乾かす方法もわからねぇもんだったか。ほら、こっち来い。乾かしてやる」
リヴィアはおずおずとカイに背を向けるようにして髪を差し出した。カイは風魔法でその髪を乾かしながら、自分に研究より優先するものができたことを内心喜んだ。
リヴィアの髪は淡い金髪で、長く伸びてはいるが髪質も悪くない。整えればそれこそ普通より一段上の見目になるだろう。服だってぼろ切れからシャツに着替えただけできちんとした見た目になる。奴隷服を着ていた時から肉付きが薄いとは思っていたが、きちんと食事を食べれば貴族の子供と言われても信じるような風貌になるだろう。
「…お前、これからはちゃんと食事出してやるから食うんだぞ」
「え?あ、うん」
「ここには食事を分ける奴もいないし、取り上げる奴もいない。十分すぎるくらいやるからな」
「そんなに、食べきれるかな…」
「余ったら俺も食う」
「え、カイもちゃんと食べてよ、余り物じゃなくて」
「そりゃ当然だ」
風魔法でだいぶ髪が乾いたので、カイは魔法を止めた。すると、二人の腹から同時に音が聞こえた。
「…同時だね」
「…そうだな。飯作るか…」
「作るの?」
リヴィアは立ち上がったカイを見上げるようにして聞く。
「そうだが…何かおかしいか?」
「王宮に住んでる人って、料理人がいるんじゃないの?」
「あー、あれは食堂で食べるか自室まで運んでもらうかする必要があるんだが…俺はこんな隅に住んでるし、どっちも面倒だから自分で作るんだよ。そっちの方が合理的だろ?市場も近いしな」
リヴィアはそう言うと、二階に上がって、台所に置いてある食材を魔法で刻み始めた。刻まれた食材はあるものは鍋へ、あるものは揚焼鍋へ入っていく。今日はいつも食品市場が開かれる王城前広場が奴隷市で埋まっているため、新鮮な食材は少ない。
「苦手な食いもんはあるか?」
「え、うーん、ないと思う」
「そうか」
カイはそれ以上あまり喋らずに鍋に水魔法で生成した水を入れ、火を魔法で起こして維持しながら揚焼鍋をかきまぜた。その手つきは慣れたもので、いままでここで一人で暮らしてきたことがよくわかる。カイは器を取り出してできあがった料理を注いでいく。
「ほら。あー、野菜とベーコンのスープと、なんか…野菜の炒め物だ」
「おいしそう」
「味見してねぇけど多分いつもの味だ、食える」
「…味音痴だったり、しない?」
「わからん」
カイは毅然とした態度で告げる。リヴィアは少し不安そうにカイを見たが、温かいスープの香りに負けたようにスプーンを持って食べ始めた。
「…あったかい」
「ああ、奴隷商では冷たいもんしかなかったか?」
「うん。すごい久しぶりに食べたよ」
「そうか。…いつかお前の生まれ故郷の料理も作ってみるか」
「あ、うん…ありがとう、でも気持ちだけでいいよ」
「そうか…ま、おいおいだな。俺も食べるか」
「うん、ここに座っていい?」
「ああ、椅子一つだったな」
カイはそう言うと、土魔法で椅子を作った。もちろん両手に器を持っているので、手を動かしたりはしない。わずかに目を動かした程度で、その目も魔法の出来を確認するだけのものだ。
「…魔法使いって、腕を振ったり詠唱したりするって想像してたんだけど、カイはしないの?」
リヴィアは椅子に腰かけながらカイに聞く。カイは小首をかしげる。
「さあ?俺は昔から無詠唱だし、緊急時にいつでも手が使えるとは限らないから手も使わなくなったな。それに、動きたくないとき便利だろ」
カイはそう言ってしみじみと「熱が出た時はだるくて何もしたくなかったな」とつぶやく。リヴィアはスープと野菜炒めを食べながら、カイの魔法をもっと見たいな、と思った。