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「僕は猫が好きで、猫のために何かをしたいと思ってここで働いているだけですよ。」
寛人は猫じゃらしに猫パンチをしているミケと遊びながら、真里に言った。
「まあ、ここの職員になるにはみんな猫好きなんでしょうけど、もっと身勝手な人もいるわよ。」
「身勝手?」
「ええ、自分の部屋に猫を閉じ込めたり、ひどい人なんて攫っていこうとするから。」
「それはひどいな。職員としてあり得ません。僕ら職員はみな猫の下僕ですから。」
寛人が怒ったように言う。
初めて険しい顔をした寛人を見て、真里はふーんと言う。
「じゃああなたならそういうことはしない?すごく可愛くて、運命を感じちゃうような猫に出会っても。」
「うっ、それは確かに心が揺らぎますが…いいえ、いいえ、ダメです。猫は自由な生き物ですから。のびのびと気の向くままで生きてくれるのが一番です。」
ふぅーん、と真里は寛人に近づく。
え、近いな、魔女様。
寛人は思わずソファーの端まで寄ってのけぞったが、真里は構わず距離を詰めた。そして寛人の顎の下に細い指を当てると、
「あなた私の下僕になる?」
と寛人の顎をクイと持ち上げた。
「ええ!魔女様の下僕ですか!?僕でなくても、あなたのような美しい魔女様の下僕になりたがる男はいくらでもいるのではないですか?」
寛人は目を白黒させながら答えた。
目の前にいる魔女様は本当に美しい。キラキラと光る大きな瞳。少し吊り目で、意志の強そうなしっかりとした眉をしている。唇は美く弧を描いている。透き通るように白い肌。ウェーブのかかった長い髪は、光を受けて金色に輝いている。
「まあ、いるっちゃいるんだけど。みんな面倒なのよ。最初は『貴女が僕の全てだ。僕の全てを捧げる』とか言うくせに、そのうち私を思い通りに動かそうとするのよね。お前の所有物になったつもりはないっつーの。」
真里は肩をすくめた。
「魔女様はお美しいですから、男は心配なのではないでしょうか。どこかでこの美しい人を奪われたら、と。」
「私は魔女よ?どんな男も返り討ちにできるし、その辺の男よりよっぽど強いわ。勝手にか弱い女扱いされても迷惑よ。結局男は自分の見たいものしか見ないのよね。」
はあーと真里はため息を吐いた。
「魔女様はお優しい方ですね。」
寛人はふふふと笑った。
「…何よ?嫌味?」
「とんでもない!言葉通りです。」
だって、本当にそう思うのだ。魔女様は確かに強いのだろう。僕ではきっと力でも頭でも負けてしまう気がする。でも相手の気持ちを汲み取って、相手の望む姿に極力合わせてきたのではないだろうか。
もし魔女様が傲慢な方なら、僕のこともモノ扱いしてもいいはずなのに。魔女様はきちんと僕の目を見て、僕の話を聞いて、話してくれる。猫も魔女様の優しさが分かるのだろう。彼女の周りには猫がたくさん集まっている。
真里はほんわかと笑う寛人を見ていたが、またはあーと息を吐いた。
「あなたをを見てると毒気が抜けるわ。天然って恐ろしいわね。」
「あの、なにか気分を害するようなことを僕はーー」
グーーーッ
寛人が言いかけると、寛人の腹が盛大に鳴った。
「……」
「……」
「あ、いや、その…」
寛人は腹を押さえながらごにょごびょと言った。
「どうしたの、お腹空いてるの?外からの食料が足りない?」
「ええと、その…」
実は寛人はここに来てからまともな食事はあまり食べられていない。というのもーー
「ああ、猫の意地悪ね。ずっと前の職員が猫が好きすぎて、猫の肉球を口に入れようとしたんですって。それ以来、お腹が空いても猫を食べないか新人は試練を受けているって聞いてたけど。冗談かと思ったら本当にやってるのね。」
真里は感心したように寛人を見た。
「で、あなたはひもじい思いをしながらも猫のご飯はしっかり用意してあげてるのね。」
「それが僕の仕事ですから。」
にゃーと猫が鳴く。
『そうだにゃん、それがコイツの仕事だにゃん、真里。』
ちなみに、職員は猫語をマスターするように義務付けられている。でも猫が面白がって、わざと意味不明なことを言ったりするので、役立っているかは微妙なところだ。
「しょうがないわね、私がなんか作ってあげる。」
「いえ、そんな!魔女様のお手を煩わせるわけには!」
「真里よ。」
「はい?」
「だから、真里よ。名乗ったでしょう?魔女様はやめて。」
「すみません。では失礼して…こほん、真里様。」
こんなに綺麗な魔女様の名前を呼ぶのは照れるな。
「様もいらないわ。真里、分かった?」
「はい。…真里さん。」
寛人は嬉しくなってへらりと笑った。
「っ!もう!行くわよ!」
真里は赤くなりながら勢いよく席を立った。
「あの。僕のご飯より、魔女…真里さんにお手伝いしていただきたいことがあるのですが。」
「いいわよ、何?」
即答。真里さんは優しいな。
「トウタの上の方が少し痛んでいまして。はしごだと届かないのでお力を貸していただけませんか?」
「いいわよ。上の方を直せばいいのね。」
「いえ!力仕事は僕がやりますので、その…」
寛人はごくりと唾を飲み込んでから言った。真里さんのホウキに相乗りして飛んでいただけませんか、と。