3
寛人をじっと見つめた魔女は、
「うーん、今回のは天然か。前のとは方向性が違うわね…」
と腕を組んでぶつぶつ呟いた。猫がマカロン欲しいにゃーと魔女の胸元に前足を乗せる。
「はいはい、もう好きなだけ食べなさいよ。」
考えることを放棄した真里は、猫にマカロンの入った箱を差し出した。
「あっ、その子は数日前に入国したばかりなんで、まだあまり人間の食べ物は食べれないんですよ。セラ、言っただろう?一週間くらいはここの土地に慣れないとお腹壊すよ。」
いーやーにゃー、と言いながら身をよじるセラを抱き上げた寛人は、セラと目を合わると、特製のジャーキーあげるからね、と言いきかせた。
「ああ、そうか、ごめんなさい。すっかり忘れてたわ。この国の魔力に慣れないとだめだったのよね。」
「はい。規定では一週間となっているので…万が一にも猫にとって毒になるものがあるといけませんし。」
魔女はまた寛人をじっと見つめた。
「…あなたの名前は?私は真里。」
「あっすみません!1ヶ月前に派遣された菅野寛人と申します。一年間魔女様と猫たちのサポートをさせていただきますのでどうぞよろしくお願いします。」
寛人は頭を下げた。
「…どこかで会ったことがあったかしら?」
「いえ、お会いしていたら絶対に覚えていると思います。」
寛人はそう言いながらも、記憶の端に引っ掛かりを感じた。
何だ?前に好きだったアイドルとか?いや、でも僕は人生をほぼ猫に捧げていたからなあ。
寛人がぼうっとしている間に、いつのまにかソファーには猫がたくさん集まってきたらしい。
「魔女様がいらっしゃると猫たちがたくさん来てくれますね。僕一人のときとは大違いだ。」
寛人は嬉しそうに膝に乗った猫を撫でる。ぐるぐるぐると鳴き始めた猫を見て、寛人は目を細めた。
「あなたも十分好かれてるじゃない。前の職員はウザがられてたわよ。」
「うっ、僕もそうならないように気をつけているのです…ときどきそれでも撫でたくなってしかたなくて…」
寛人が手をワキワキさせる。エアー撫でをしているようだ。
「あなたちょっと変わってるわね。」
…ここの職員になる人はみんな変わってると思います。
寛人は曖昧に笑った。
にゃん国の職員になること。
これが寛人の長年の夢だった。
小さい頃に一度だけ会った魔女に、この国のことを聞いたのだ。
『猫がたーくさんいて、みんなとーってもかわいいのよ。いろんな子がいてね、いくらいても飽きないわ。』と。
『ぼくも行きたい!』と言った寛人に、『ダメダメ、あそこは魔女じゃなきゃ入れないのよ。』と言われた時のショックといったら。『じゃあぼくもまじょになる!』と言った寛人を見て、魔女はカラカラと笑った。
まじょになるんだ。まじょに会いたい。猫にも会いたい。
まじょ。猫。まじょ。猫。
ぶつぶつと繰り返す寛人を見て困った両親は、寛人に告げたのだ。男は魔女になれないんだよ、と。
寛人はショックで数日ご飯が食べられなかった。
高校生の時だったか。風の噂で、にゃん国に国連から派遣される仕事があるらしいということを聞いた。都市伝説並みの眉唾物だったが、それまで進路も決めずにふらふらしていた寛人はこの可能性にかけてみようと思ったのだ。
それから猛勉強を始め、難関の国立大に入ると、国際関係と猫の生態について学んだ。
放課後は猫シェルターのボランティアに参加し、虐待されている猫を保護しては心を傷め、里親が見つかった猫に喜び、猫と共に過ごした青春だった。
ときどきふらりと猫シェルターに現れる三毛猫がいた。額に淡い赤のハートマークがあったので、みんなは『らぶちゃん』と呼んでいた。
らぶちゃんはシェルターを我が物顔で見回っては、猫たちに教育的指導(猫パンチ)をして、最後に職員とボランティアの足の間をくぐり抜けていった。寛人も最初はにゃー!と威嚇されたが、何度か会ううちに警戒心を解いたらしく、最後には足に尻尾を乗せてくれるまでになった。
大学卒業後は国連の非正規社員として働いた。常用職員になれるのは至難の業である。空席募集があればそこを受けて、短期雇用で働くということを繰り返していた。
正社員でないことに親はいい顔をしなかったが、寛人が絶対に引かないことに折れた親は、寛人の意思を尊重しましょう、と見守ってくれるようになった。
にゃん国の情報はめったに外に出ない。それでも断片をかき集めては、にゃん国への想いを募らせていた。ネットオークションで、にゃん語のテキストを競り落とした時は、一生分の運を使い切ってしまったのではと怖くなった。