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「それはだめですよ、真里さん。」
寛人は思わず口を挟んでしまった。
「もっとご自分を大切になさらないと。知り合ったばかりの僕が言うことではないですが、真里さんは好きな方と一緒になって幸せになるべきです。貴女にはそれがふさわしい。」
「うるさい!どうせあんただって先に死ぬくせに!パパだって先に死んじゃうんだから!私はただ、パパに孫の顔を見せてあげたいだけよ!」
「ご病気なんですか?お父様。」
寛人は血の気が引いた。
僕はなんて失礼なことを。人の事情なんてそれぞれなのに。
「違うわよ。」
「もうお年を召してらっしゃる?」
「まだ現役で働いてるわよ!あんた私のこといくつだと思ってるのよ!」
魔女は長寿だと聞く。真里さんも長く生きていらっしゃるのかと思ったが、お父様が現役ということはまだお若いのだろう。お父様思いの方だ。
「よかったです。それなら、お子さんはやはり好きな方とお作りになる方がいいのでは。」
「私は恋なんてしないの!パパが死んでも、ママは若いままなのよ。そのあとどう生きればいいのよ。また恋をして?他に恋人を作って?年老いて先に逝く男達を見送る人生なんて私は嫌よ!いや!私は恋はしないの!」
真里が爆発したように叫んだ。
「真里さん…」
ああ、この方は本当に愛情深い人なのだ。愛する人と添い遂げられないことをこんなにも悲しんでいる。
「…それでも、生きているうちは全身で愛しますよ。奥様を愛して死ねるならお父様はきっと幸せですよ。」
僕ならそうする。真里さんを愛して、死ぬまでそばにいられたらどれほど幸福だろうか。
「うっくっ…」
真里はついに泣き出してしまった。
「すみません!僕が勝手にお父様の気持ちを代弁することなんてできないですよね。」
でも…
抱きしめたい。その細い肩にいろいろなことを背負っているこの人を。震えないで。傷つかないで。僕が、そばにいるから。
「真里さん、抱きしめてもいいですか?」
「っいちいちそんなこと聞かないでよ!」
えーと、それはいいってことかな?いいってことだよな?
寛人はゆっくりと真里に近づくと、そっと真里の肩に手を回した。ためらいがちに抱きしめて、拒否されないことを感じるともっと深く抱え込んだ。
「うっうっくっ…う…」
寛人は子供をあやすように真里の背中をぽんぽんと叩いた。
しばらくすると真里の呼吸がだんだんと穏やかになっていった。
「…まあ前の下僕なり損ないよりマシかもな。」
悪魔が去り際に言って消えた。
「…もういいから。」
真里がぐいっと寛人の胸を押した。
「あっ、ごめんなさい!」
寛人は名残惜しそうにしつつも、真里を解放する。真里の顔を覗き込んで、頬に残った涙を指で拭った。
「っ!」
真里はとっさに自分の頬を手で覆った。
「大丈夫ですよ、綺麗な真里さんのままです。」
「っあなた!…そういうこと言い慣れてるの?」
「いいえ。あなたほど綺麗な方を見たのは初めてですし、僕はその、猫中心の人生を送ってきまして、その、他のことには…」
経験がないことなど今まで気にしたこともなかったけど、やはり真里さんはエスコートし慣れている男が似合う気がする。何か、何か気の利いたことを言わないと!
「そのっーー」
「ふふ。あなたちょっとパパに似てるわ。」
真里が嬉しそうに笑うので、寛人の見栄などすっ飛んでしまった。
真里さんが笑ってくれるならなんでもよしとする。
「そろそろ行かないと。」
真里がホウキを出しながら言った。
いやだ。
引き止めて、手を掴んで、抱きしめてーー
とっさに真里の手を掴もうとした寛人は、手をきつく握りしめてその衝動に耐えた。
「はい。暗いのでお気をつけて。」
寛人はぎこちなく笑顔を浮かべた。ちゃんとに笑えてるだろうか。早く行ってくれ。いやだ、行かないで。僕も連れて行って。
腹の底から暴れ出しそうな衝動が湧き出てくる。この国に来て、ここから出たいと思ったのは初めてだった。
「そんな顔しないの。またすぐ来るから。」
真里は寛人の両肩を掴むと、ぐっと押した。寛人はそれに逆らわすに膝を曲げる。
ちゅ
真里は寛人の頬にキスをすると、
「じゃあね!」
と顔を赤くして窓から飛び立っていった。
「真里…さん…」
真っ赤になって固まる寛人の足元で、らぶちゃんがにゃーと鳴いて欠伸をした。
にゃん国は今日も平和である。




