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<<にゃん国におけるニンゲン大使館の職務規定>>
1 . 猫は自由を尊ぶ生き物であるということを忘れぬこと
2. 許可なく猫を触らない、撫でない、抱き上げない
3. 大きな音を立てない
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100. 職員は猫の下僕であることを心に刻むこと
「お客さん来ないですねぇ。」
寛人は書類作業をしている手を止めると、ぐーっと背伸びをした。
デスクには猫が乗って伸びをしたり、寛人のパーカーの紐をゆらゆら揺らして遊んだり、部屋にある猫タワーに登っては降りを繰り返したりと、各々のびのびとしている。
「あっユズ、その紙は千切っちゃだめだよ。報告書なんだから。」
こげ茶の体毛に濃いオレンジの縞模様の猫が書類の束を引っ掻いている。寛人が慌てて取り上げようとするが、そんなの知らないにゃんとばかりにユズは紙をくしゃくしゃにしてデスクから落とし、それを追いかけて行ってしまった。
「もう。可愛いから怒れないな。」
寛人はやれやれと書類をプリントし直す。
時計を見るとそろそろ見回りの時間だ。寛人は立ち上がってブーツに履き替えた。
ここはにゃん国、ヨーロッパの大国の間に挟まれた小さな国だ。
猫が統治する猫による猫のための国。
人間は基本的に立ち入り禁止であり、メディアの取材は一切禁止、たとえ国のトップであっても許可なく訪れることはできない。ニンゲンの事情なんて知らないにゃん。
一般にはあまり知られていないが、立派な国連加盟国でもある。
国連発足時に、当時のトップが『世界平和のためにどうかにゃん国様にご加盟いただきたい!』と頭を下げたのだ。
もちろん猫は無視をした。
『お願いします!にゃん国様!猫は世界平和なのです!猫ののんびりとした姿を見れば、どんな野蛮な輩も武器を捨てるでしょう!』
猫はあくびをした。
『そう!そのお姿なのです!我々人間に足りないのは!一人一人が満ち足りた生活を送れば、争いなどしなくてよいのです!』
猫はそろそろ飽きてきた。
『お願いします!』トップは土下座をした。
猫はとりあえずトップの頭に登ってみた。
以来、土下座は誠意を表わす最上級の表現方法として、DOGEZAとして世界スタンダードとなった。
その時のトップの勇姿を讃えた銅像は、国連の内部にひっそりと立っている。
国連を訪れる各国の高官は、土下座したトップの頭に猫が乗る銅像に手を合わせて感謝をするのが習わしだ。
ありがたや。
猫は気まぐれなので、国連総会に顔を出すことは滅多にない。
数年前、某国の大統領が顔に引っ掻き傷を作って国連総会で演説をしたが、あれは、ふらっと立ち寄った猫の誘惑に負けた大統領が、勝手に抱き上げようとしたからである。ちなみに猫はそのまま帰った。
寛人は、そんな自由気ままな猫が暮らすにゃん国と人間との唯一のパイプ役である、ニンゲン大使館の職員としてにゃん国に一カ月前に派遣されたばかりの新人だ。任期は一年。一度派遣されたら、二度と再派遣されることはない。
「うっうっ…うぅ、猫ぉ。猫ちゃん…」
1ヶ月前。
にゃん国入りした寛人を待ち構えていたのは、親の仇と言わんばかりに寛人を睨みつけてくる職員だった。数日の引き継ぎを経て、この職員はにゃん国を去る。
「こんなことも分からないのか、君は。そんなんじゃ大切な猫たちは任せられないな。」
事あるごとに嫌味を言われはしたが、寛人は厳しい指導もすべて受け入れた。
すべては猫の自由のため。僕たちは猫の下僕だ。
そしてその職員が去る日、彼が号泣したのだ。
「うっうっ…うぅ、猫ぉ。猫ちゃん…」
職員はお昼寝している猫の元に駆け寄ってはシャー!!!と威嚇され
猫パンチで遊んでいる猫を持ち上げようとして猫パンチをされ
「おやつ!おやつだよ!」
と自分の周りにおやつをばら撒いて猫を集めようとした。
…あー。…それ全部、職務規定違反なんだけどな。最後の日だから…いいのかな。
止めるべきかどうか迷った寛人だったが、猫たちがうまく職員をかわしているようなので様子を見ることにした。
「猫ーーーー!!!アイラブユー!!!」
感極まった職員が道の真ん中で絶叫した。
一瞬こちらを振り返って猫たちだが、白い目で職員を見ると我関せずと無視することにしたようだ。
「くれぐれもどうか猫たちをよろしくお願いします。」
職員は何度もこちらを振り向きながら去って行った。
…僕も一年後はこうなるのかな。気をつけよう、本当に気をつけよう。
寛人は心に誓った。