中編 太陽に愛されし魔女
ところが、そんな魔女に、奇跡ともいうべき幸運が巡ってきました。
それは魔女が焚き火の灯りに包まれて古い文献を読んでいたときでした。
人間たちを殺しながらも夢を諦めきれなかった魔女は、少しでもその可能性の手がかりを探すため、暇があれば古今東西のあらゆる文献を読み漁っていたのです。
その夜に読んでいた文献は人間たちから奪ってきたモノで、歴代の魔女たちについての情報が書かれていました。
それによると、人間たちのあいだでは、魔女とは自然発生する災害のような存在であり、一定の周期で増えすぎた人間を間引くために神に遣わされた存在と解釈されているようでした。
興味深い情報ではありましたが、しかしそんな情報を知ったところで、魔女にとって何の意味もありません。
魔女が知りたいのはたったひとつ、太陽の光の下を歩くための方法だけなのですから。
自分の存在意義に関する情報を見つけたところで、いまさら魔女の食指が動くことはありませんでした。
やはり都合よく身体が滅びなくなる方法はないモノなのかと、パラパラとページを繰りながらつまらなそうに文字の上を滑らせていた魔女の目が、とあるページでとまります。
「……これは、いやまさか」
そのページはところどころ掠れていて完全には読むことができませんでしたが、どうやらソレイヌという名の魔女について書かれているようでした。
もちろん、魔女の目をひきつけたのはその名ではありません。その異名の方でした。
——魔女ソレイヌ。又の名を〝太陽に愛されし魔女〟。
そう、魔女ソレイヌは歴史上で唯一、昼の世界を歩くことができた魔女だったのです。
魔女は自分が目的のモノに迫っているかもしれないという予感を覚えました。
あるいはこの文献には、自分が渇望している情報が書かれているかもしれない。
はやる気持ちを抑えきれず、食い入るように魔女は文献に目を通していきました。
太陽の光の中で生きられたからでしょうか、ソレイヌは人間に対してとても友好的な魔女だったらしく、文献には彼女に関する多くの情報が何ページにも渡って書き残されていました。
彼女の好きな食べ物や嫌いな食べ物、得意な料理や懇意にしていた人間の名前などなど……。
多くは魔女にとってどうでもいい情報でした。期待している情報はなかなか見つかりません。しかし魔女は根気よく読み進めていきました。
そしてついに辿り着いたのです。
「秘薬、ソレイヌだってぇ……」
どうやらソレイヌの死後、太陽の下を生きることで魔女が人間を襲うことはなくなるのではないかと考えた人間たちは、彼女の身体を解剖し、その仕組みを解析することに成功していたようでした。
そうして解析された彼女の身体の仕組みをもとにして作られた薬の名が〝秘薬ソレイヌ〟。太陽に嫌われた魔女にその恩寵を賜る資格を与える薬だ、と文献には説明されていました。
もっとも、魔女の生きる時代に薬のノウハウが伝わっていないことから、過去の人間たちの目論見は失敗に終わったようでしたが、そんなことは魔女には関係ありません。
魔女にとって重要なのは、文献内に薬の調合方法が書き残されていたということです。
ご多分に洩れずそのページもところどころが掠れており、完全には読み取ることができませんでしたが、幸いなことに薬に必要な材料と調合方法の一部は読むことができました。
——ゲッコウトカゲの尻尾、ウナバラバチの蜜にイビルアースの球根、それから人間の骨髄液。
これらの材料を月のない夜に鍋で煮立てると、複雑な魔術的変化によって輝きを放ち〝秘薬ソレイヌ〟は完成するとありました。
もちろん普通に考えれば、それは海賊が残したと伝えられている宝の地図とおなじくらい眉唾モノの話でした。何より薬の材料に人間の骨髄液が必要だということが解せません。
〝秘薬ソレイヌ〟の目的が、魔女の被害をなくすということから考えると、それはひどく本末転倒な話です。
しかし万が一ということもあります。溺れている人間がひと房の藁をも必死で掴みにいくように、たとえそれがゼロコンマ以下の僅かな可能性だったとしても、魔女にとって夢が叶う可能性があるのであれば試さないわけにはいきません。
そうして魔女はただ人間を殺すのではなく、捕らえていくことにしたのでした。
新月という完全な闇のなかでの狩りは、思いのほか魔女の心を高揚させました。
あるいは、目標ができたからでしょうか。
単なる殺戮者から命を糧にする狩猟者となった魔女は、渇きから解放された遭難者のように生き生きと人間を捕らえては自宅にある大きな鍋に放り込んでいきました。
ぐつぐつ、ぐつぐつと、マグマのように煮えたぎる鍋の中から放たれる断末魔の叫びが、夜明けを知らせる楽器隊の演奏のように魔女の耳に心地よく届いていました。
やがて中の液体が淡く輝きはじめると、魔女はワイングラスを手にそれをすくい取り、愉快そうに笑いながら言いました。
「いっひっひ。これが〝秘薬ソレイヌ〟かい。まったく効果がありそうな色をしているねぇ。いっひっひ。さっそくいただくとするかね」
それはお世辞にも美味しいとは言いがたい味でしたが、魔女は恍惚とした表情を浮かべてごくごくと飲みほしてしまいました。
それから魔女は、いつか叶うであろう夢を見ながら、新月の晩が来るたびに薬を作り続けていきました。
しかし結果は芳しくありませんでした。
なんど新月の晩に薬を作り飲んでも、一向に身体に変化はみられません。
一度だけ魔女は薬の効果が発揮されているか試してみましたが、太陽の光に手をのばしたと同時に燃えるような痛みを感じたため慌てて手を引っ込めました。
やはり薬で耐性がつくなどというのは夢物語だったのでしょうか。
そんな中、〝秘薬ソレイヌ〟についてより詳しく書かれた文献を並行して探していた魔女は、ついにそれを見つけました。
そして魔女は知りました。
新しく見つけた文献によると、薬の効果が発揮されるためには、千の新月の晩を迎えなければならないというのです。
新月のたびに新たな〝秘薬ソレイヌ〟を作り、飲む。
それを千度繰り返すことで、ようやく薬は身体に馴染み効果を発揮するとありました。
しかし念願の情報を得ることができたにも関わらず、その夜、魔女は一晩じゅう泣き叫びました。
というのも、魔女の寿命は人間と同じく一〇〇年ほどしかなかったのです。
けれど一年で新月の晩が訪れるのは十二、三回しかありません。千の新月を越えるためには、最低でも八十年の歳月が必要でした。
対してこれまで人間たちをいたずらに殺して生きてきた魔女に残された時間は多く見積もっても五十年ほど。
到底間に合うモノではありませんでした。