夢遊
私もここにきてから1週間と少しが経った。
書いてきた夢の数もそれなりになった。
その中には自分では絶対に見たくないようなものもあったが、まあ私が見る羽目にならないことを願うばかりだ。
そしてここに勤めるようになってからは毎日ちゃんと夢を見るようになった。
こうしてみると先人たちは偉大である。
自分が普段何気なく見ている夢も、自分も作る立場になると入念に考えながら見てしまう。
中には作りこみが素晴らしくて、気持ちがものすごく高揚するものもある。
本当に勉強になる。
さて、こんな感じでDMコーポレーションとかいう会社にも慣れてきたところでついに私も長編に取り掛かることになった。
一日に5本の短編のノルマをそのままに、とりあえず私の契約が切れるまでの残り20日余りで長編を作れということだった。
全く無茶な話だ。
というかこんなことができるならとっくに自分で小説を書いて出版社にでも持ち込んでいる。
しかしこれは私の小説家としての最初の大仕事だ。精一杯やらせてもらおう。
そうして私は長編小説にも取り掛かり始めた。
とはいえ、伊藤さんの続きを作っていくというのが基本のようだ。
他人の発想を使って書くのは少し釈然としないがこれは仕事だ!仕方ないんだ。
ほらそこ!前まで小説家になろうに投稿しようとその設定で小説書いてただろとか言わない!
どっかの漫画家は「大人はうそつきではありません。ただ間違えるのです。」とか言っていたのを聞いたことがある。私が思うに、大人はうそつきで汚いから、その嘘を間違えということにしてしまっているだけな気がする。
さて、短編の執筆にも慣れ、一本当たり1時間ほどで出来上がるようになってきた。
午前中に3本を仕上げて午後に残りを仕上げる。上がりの5時までの3時間弱が長編の製作時間だった。
今までも何本か長編小説を書いたことがあるが、書いているうちに自分でもわかるほどにだんだん泥沼にはまっていって面白い小説を書き続けることができなくなっていっていた。
今回に関してもそんな気がしたし、実際そうだった。
設定を固めていくうちにどんどん細部を突き詰めていきすぎて小説全体の流れが悪くなっていく。
分っていてもなかなか治らないのが悪癖であるし、それで設定を軽くしようと思ってもどれをどういじればいいのかがもうわからなくなっている。
そうして私はいつも宵闇の森の中に迷い込む。
森の木々が天蓋となって月や星々の光を遮り、私は何も見えない中を亡者のようにさまよい続けるのだ!
「ちょっと!まじめにやってください!」
りっちゃんが怒っている。
今の頭の中の妄想が声に出ていたようだ。
「何が亡者ですか!もう。しっかりしてくださいよ。」
「えへへ、ごめんよりっちゃん。」
「もう、りっちゃんって呼んだって許さないんですから。」
ふくれっ面になりながらどこか嬉しそうだ。
かわいい。
これが俗にいうツンデレという奴だろうか。
「あのー。」
ブースの入り口に女性が立っていた。
「私、中割の菊田ですが、金曜の仕事終わった後って何か用事あります?」
「?どうしてですか?」
「今度の金曜にいろんな部署の人たちと一緒に女子会をやらないかってことになってて。伊藤さんの代わりに来ていただいてからまだ日が浅いですし、何か悩みがあればお酒の席でみんなで話したりとかどうかなと思いまして。もちろん田中さんももしよければぜひ来ていただければと思うんですけど...」
女子会か...
私は愛想よく他人とおしゃべりを続けるというのは少し苦手だ。
以前LINEのタイムラインにあったコミュ障診断でも、
『あなたのコミュ障度は60%。隠れコミュ障タイプ。実は大勢の人と話すのが苦手。』
という結果が出た。
そしてそれはその通りなのである。
ただここで断るのも悪いのかな。
「あの、」
りっちゃんが私の葛藤を引き裂いた。
「一緒に来てくれるなら私も行ってみようかな。」
バイカル湖のような目がこちらを見つめていた。
「え、でもみんなお酒飲むよ多分。大丈夫なの?」
「その、だから一緒に来てほしいです。」
菊田さんがこっちを見た。
これじゃあ逃げられないじゃないか。
私は観念した悪党のようにうなだれながら携帯電話を取り出した。
「夫に電話するんでちょっと待ってください。」
ここで帰ってきてほしいと夫が言ってくれれば、私は気まずくなる断れる。
夫よ、私は信じているよ。
「もしもし?」
「もしもし。どうしたの?」
「その、今度に金曜に会社の人が女子会をやらないかって誘ってきて。」
「いいじゃん!行っておいでよ。」
ちがう。そうじゃない!
「え、でも夜ご飯は私が作る当番だし。」
「いいよそんなの。僕ならどうとでもなるから。折角だし行っておいでよ。」
夫のやさしさに複雑な思いを抱く私は歪んでいるのだろうか。
「うん、わかった、ありがとう。じゃあね。」
私はこころの中で泣きながら電話を切った。
「私も行けます。りっちゃん、一緒に行こっか。」
「はい!」
りっちゃんはとてもうれしそうだった。
時は流れて金曜の5時過ぎ。私たちは会社から出た。
ぞろぞろとOLが8人くらい集まっている。
女子会だというのに行先は居酒屋ということだ。
もっとおしゃれなイタリアンとかかと思っていたが、世の女子は意外とおっさん臭いのだろうか
っていうかそんな場所、男性がたくさんいそうなのに大丈夫なのだろうか。
店につくとなるほどと思った。
店はかなり年季が入っているが、味があった。
店内には座敷の席のみで、狭いので8人も入ればほぼ満員になっていた。
これならまあ、りっちゃんも問題ないだろう。
まずは一安心だ。
みんなでとりあえずお酒を頼むことにした。
「田中さんは何を飲む?」
「私はウーロン茶を。」
「了解。」
菊田さんがみんなの注文を聞いていく。
「何を飲みます?」
次に私に聞いてきた。
女子会なんて行ったこともないからみんな何を飲むか分かんないな。
カルアミルクとかカシスオレンジとかなのかな?
でもそんな甘ったるい酒だと食事に合わないだろうしな...
「じゃあ、長命泉の吟醸を冷でお願いします。」
「おおー。意外と飲みますね。」
やべ、変なチョイスしたかな。
「じゃあ私も日本酒にしようかな。私は甲子で」
「私は熱の方が好きなので熱燗お願いします。」
「じゃ、私は芋焼酎ロックで。」
よかったー。みんな普通に飲むじゃん。
「かんぱーい!」
注文を終えて酒が一通り並ぶといよいよ女子会が始まった。
上司の愚痴や、化粧品の話や服の話。特に最近吉祥寺の方におしゃれなブティックができたということで、その話は盛り上がった。
あとは結婚や恋愛の話である。
この中で結婚してるのは私だけだったので、会社の先輩たちから大先輩と呼ばれる始末である。
ご主人とはどうなんですか?
こんな質問に答えると、なんと返してものろけだなんだと笑われた。
というか最近の女子は怖い。夜のことについても結構がつがつ聞いてくるのだ。
まあ、私だってまだレスには陥ってないし、子供も欲しいとは思っているのでそれなりにはやっているが...。
みんなは彼氏に浮気されただの、誕生日プレゼントが文房具なんて学生かよ!だとかさんざん彼氏の愚痴をこぼしていた。
私は文房具なんて実用性のあるプレゼントは悪くないと思うのだが。
りっちゃんはやはりこういう集まりにはなかなかなじめないようである。
少し引っ込み思案なところもあるし予想はできていたことだが。
それでも彼女は別につまらないというわけでもないようだ。
くだらない話ばかりして、バカみたいに笑って、楽しく食事をする。
こんなことが彼女にとっては初めてだったのかもしれない。
「どう?りっちゃん。楽しい?」
「えっと、はい。なんかこういうの新鮮で。」
りっちゃんは年相応の無邪気な笑顔を見せた。
「なーに二人でいちゃついてるんですかー?全くけしからんなー。」
菊田さんが悪酔いし始めている。
「ほらほらー。涼子たんも飲んで飲んで。」
いつの間にか下の名前で呼んでいる。
「いや、菊田さん。田中さんまだ未成年ですって。」
「いいんだよそんにゃの!飲んじゃえって。」
「じゃ、じゃあ少しだけ...」
「ちょ、りっちゃん⁉」
「おっけー。最高らね涼子たん。店長、今日はいい酒入ってるかい?」
「えっと、黒龍大吟醸で安く卸してもらったのがあります。」
「それら店長!一升瓶とお猪口8つ持っれきて。」
「ちょっと菊田さん!飲みすぎじゃないですか?」
「らいじょうぶらって。このくらいへーきへーき」
菊田さんはもう顔が赤くなっている。
酒が来ると菊田さんは全員の猪口に酒を入れ、急に立ち上がった。
「それじゃあ、田中涼子たんの今後の活躍を願って。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
みんなで一気に猪口を空にした。
りっちゃんもみんなに倣って一気に飲み干した。
「りっちゃん。大丈夫?」
「はい。なんか少し頭がふわふわして気持ちいいです。」
うっすらと赤くなった顔に少し細く閉じた目。飲み干した後の艶やかな吐息も相まってそこはかとないエロスを感じる。
ちょっとドキッとした。
「涼子たんいい飲みっぷりらねー。おじさん興奮しちゃうな―。」
菊田さんはりっちゃんに酒を注ぎながら言った。
今のこの人が言うと完全に事案である。
お巡りさんこいつです。
そうして黒龍の一升瓶も残りわずかになってきたとき。
りっちゃんが私の腕にしがみついてきた。
「ど、どうしたの?」
「ママ―。ママー。」
「ちょ、涼子ちゃん?」
不意なことに驚いて、りっちゃんではなく涼子ちゃんと呼んでしまった。
「もう、私のことはりったんって呼んれって言ってるじゃない。」
気づかないうちに結構飲んでいたみたいだ。
どうりで瓶の酒の減りが早いわけだ。菊田さんがどんどんりっちゃんに酒を注いでいたのだから。
「ごめんってりっちゃん。ちょっと離れて。」
「いや、ママから離れたくない。」
「ちょ、私はママじゃないよ。」
「でも、ママのこと好きなの。ダメ?」
彼女は上目遣いで私の顔を見た。
眼は涙をたたえていて、上目遣いのせいか目がすごく大きく見えた。
なんだか雨の中鳴きながら寄ってくる捨て猫のようにみえて、振り払うのは忍びなかった。
そんな私たちをよそに、諸悪の根源の菊田は涎を垂らしながら寝ていた。
ヤロウぶっ殺してやる!
会はお開きとなり、完全に理性と意識を失ったりっちゃんを背負って私は夜道を歩いていた。駅までは私と帰り道が一緒なのだ。
菊田さんは店から出た後路上で寝始めたが、いつものことらしい。みんなそのまま放置して帰ってしまった。
いつかアルコール依存症診断というものがネット上にあったが、その質問項目の中に
『飲酒後に罪悪感や自責の念にかられたことがありましたか?』
というものがあった。
彼女は絶対に当てはまるはず。いや、当てはまるべきだ。いや、当てはまらなければおかしい!
眠ってしまったJKを背負って夜の街を歩くのは少し、というかだいぶ犯罪臭がするが、私はもちろんそっちの気は無い。
「うう、私、恥ずかしいところを。本当にごめんなさい。」
駅に着いた頃、彼女は言った。
「もう大丈夫です。おろしてください。」
「そう?」
おろすと彼女は真っ赤になっていた。
「その、今日は本当にごめんなさい。急にママって呼んでくっついたり。わたし、どうかしてました。」
「大丈夫だよ。誰だってそんなことはあるし。それにりっちゃんのかわいいところが見れたし。」
いつか私が同じように酔いつぶれたときにあの人がかけてくれた言葉だ。
「もう。からかわないでください。本当に恥ずかしいです。ごめんなさい。」
「それじゃあ、また会社でね。」
彼女は恥ずかしそうに眼をそらしながらお辞儀をするとそそくさと行ってしまった。
さて、女の子を赤面させるようなセリフを昔私に吐いた不届き者に、甘いものでも買って帰ってやろうか。
そんなことを考えてもうすぐ閉まりそうな駅ビルの中に私は駆けていった。