夢幻
とりあえず最初の作品を書き上げた。
話としてはこんな感じだ。
主人公の女の子にはお気に入りの場所があった。
自分だけのお気に入りの場所。
そこは商店街を抜け、郵便局の角を曲がった先にある雑木林の中にある一本の大きな楓の木の下。
その日も楓の木の下でいつものように本を読んだり書いたりしていると、一人の男の子がやってきた。
その子もここがお気に入りのようだ。
彼とはその後もこの楓の木の下で会い、書いた本を読んでもらったりした。
女の子は自分の作品を面白そうに読む彼に、やさしく微笑みながら頭をなでる暖かな手にいつしかひかれていった。
そんなある日、彼は楓の木の下に来なくなった。
毎日女の子は自分の書いた小説を持っていく。でも彼の姿はなかった。
1ッカ月ほどたった時、楓の木の下に手紙が置いてあった。
今夜、満月が空高く上がるころにここで会おうと。
女の子は真夜中に家を抜け出して楓に木の下に走った。大好きな彼に会えると思ったら駆けださずにはいられなかった。
楓の木下にはぐったりとした男の子の姿があった。
息が荒く、顔色は月明かりのせいもあってか真っ青に見えた。
男の子は言う。自分はもう長くないと。そして、大きな病院に転院することになりそうだと。それでも自分はこの楓の木のあるこの場所が、女の子がいるこの場所にいたいのだと。
だから自分は病院を抜け出してここに来た。もう僕は今日ここで死ぬだろう。人工呼吸器が無きゃ息もまともにできないのだから。だけど君には最後まで一緒にいてほしい。
いつも小説を自分に見せてくれる時のような笑顔で。代り映えしない優しい笑みを見せてくれと。
女の子は微笑んだ。涙を流しながら体を震わせて、それでも男の子に笑いかけた。
自分の握る男の子の手が冷たくなっていくのを感じながら。
いくつもの季節が廻ったとき、女の子は、いや彼女は再び楓の木の下にいた。
彼女は東京の高校に通うことになったのだ。
一枚の楓の葉が彼女の頭に舞い落ちる。
その葉はほんのりあたたかかった。あの時自分の頭を撫でた、大好きな彼の手のように。
「え?すごい!さすがです。最初っからこんなにうまく書くなんて。私なんてまともなものを書けるようになるまで1週間くらいかかりましたよ。」
「あはは、一応しがない小説家をしているもので。」
私は苦笑いした。
「そうだったんですね。でもさすがです。これをディレクターに渡して、夢として映像化しやすいように手を加えてもらえば、シナリオは完成です。この調子でいけばいい夢が書けるかもしれませんね。」
涼子さんは目を輝かせていた。
なんだか照れる。
いつもは出版社のだめだしや、又は何のレスポンスもないネット投稿ばかりだったので、こうストレートに褒められるとすごくうれしかった。
「えっと、じゃああと4作品よろしくお願いします。」
涼子さんの無情な宣告によって私は現実に引き戻された。
ああ、ああ。ああ!
何ということだ。ようやくひねり出したというのに。
これと同じように4つも作れとのたまうのか!
やっぱり社会は残酷で冷酷で冷血だ。
私は白目をむきながらキーボードを打ち込んでは、ああでもないこうでもないとバックスペースキーを力強く押し込んだ。
私の魂がきっと口から出ていたのだろう。いや、口からは涎が垂れていたのかもしれない。
気づけば時計は12時を指していた。
「その、そろそろお昼に行きませんか?」
涼子さんが話しかけてきた。
涼子さんが行きつけの店があるということでそこに行くことにした。
ただ、家で私が作った不細工なサンドイッチを頬張っているであろう夫には少々申し訳ない気がしたのだが、まあいいだろう。
お店はレトロな喫茶店という感じだった。
壁掛け時計、置時計、振り子時計...様々な種類の味のある古時計たちが店内を彩っていた。
店内は少し狭いが、それが隠れ家のような感じを演出し、雰囲気も相まって上質な落ち着きを生み出していた。
「その、私、こういう場所が好きなんです。こういう場所でおいしいコーヒーでも飲みながら振り子時計の規則的な音を聞いて、万年筆を握って原稿用紙に向かっていれば、いい作品が書ける気がするんです。」
「たしかにそうね。私もこんなふうに優しく包まれてるような雰囲気は結構好きかな。いい場所を紹介してくれてありがとう。」
涼子さんは照れくさそうに下を向いた。
「いらっしゃいませ。こちらメニューになります。それではごゆっくり。」
女の店員さんがメニューを持ってきた。
見てみるとランチはサラダと飲み物、そしてメインからなるようだ。
メインはナポリタンかハンバーグ、メンチカツから選べて、ハンバーグとメンチカツにはパンかライスが付くとのことだ。
レトロな雰囲気に合う昭和なハイカラランチだ。
涼子さんはナポリタンを、私はメンチカツを頼んだ。
実のところ私はケチャップというものが少し苦手なのだ。
トマトは平気なのだが、ケチャップの独特の甘酸っぱさがどうも私には合わない。
「お待たせいたしました。」
料理が運ばれてきた。
サラダにパンにメンチカツ。
「いただきます。」
私たちはそういうと、箸を取った。
私は最近お腹周りが気になるので、もちろんサラダから食べ始めた。
すっきりとした酸味に微かな塩味と確かなうまみがあり、しゃきしゃきのレタスを引き立てていた。
涼子さんの方を見ると、フォークでナポリタンを大きくからめとり、大きく口を開けて食べていた。
女の子らしいかといわれればそうでもないが、幸せそうに口いっぱいに頬張るその姿はとてもかわいらしかった。
「そういえば涼子さんって今何歳なの?私よりだいぶ若そうだけど。」
ちなみに私は今28である。
「えっと、その...」
彼女は恥ずかしがっていた。
「いいじゃん!別に女同士なんだし。」
「えっと、17です。」
「え?17歳?」
思わず叫んでしまった。
17ってことは高卒どころかまだ高校生じゃないか。
私が少し大きな声で叫んだので、涼子さんはあわてていた。
「ごめんごめん。驚いてつい。でもまだそんなに若いのにどうしてここで働いてるの?」
涼子さんはうつむいて黙ってしまった。
何か話したくないことでもあるのだろうか。今日あったばかりの人間だし、あまり踏み込んだことは聞かないほうがいいのかもしれない。
「ごめん、なんか余計なことを聞いちゃったかな。そうだ!そういえば涼子ちゃんが書いた夢ってどんななの?見せてよ。」
彼女はしばらくうつむいていたが、そのうちバックから原稿用紙を取り出した。
そしてそれを黙って私に渡してきた。
「涼子ちゃんって原稿用紙に書くのかい?会社ではパソコンを打っていたみたいだけど。」
「いえ、これは夢じゃないです。私が個人的に書いている小説です。」
ほうほう小説か。17歳のこの子が書いたのか。まあ私もこのくらいの年には書いていたしな。
そんなことを思いながら私は原稿を読み始めた。
鳥
その鳥は海をわたり世界を廻る。
ある時砂漠の真ん中にあるオアシスで羽を休めているとボロをまとった旅人がやってきた。
「おお鳥さんや鳥さん。私に一つ歌を歌ってはくれないか。」
鳥は返した。
「これはこれは旅人さん。なにゆえ歌を聞きたいのですか?」
旅人は言う。
「喉の渇きは癒せても、心の渇きは癒せません。だからどうか歌ってください。」
鳥は応えた。
「ならばいいでしょう、歌いましょう。旅の歌を歌いましょう。」
旅人や旅人や
どこからきてどこへ向かうのか
悲しき鼓動をならしながら
干上がった眼を見開きながら
痛んだ脚を引きずりながら
あなたはどこへ行くというのか
道なら私が示しましょう
あなたの道を示しましょう。
そこがきっとあなたの安息の場所なのだから。
男はそっと目を閉じて鳥の歌を聞いていた。
鳥は歌い終わると飛び去った。
蒼穹の彼方へ飛び去って行った。
イエルサレムの彼方へと。
そこにかかれていたのは詩だった。
どこか物悲しいこの小説は私の心を引き付けた。
そして私は思った。この子はいったいどんな思いでこの小説を書いたのだろうかと。