夢寐
「あーあ、全然ストーリーがわいてこない!」
私は白紙の原稿用紙の塊を目の前にして思いっきり伸びをしながら叫んだ。
「そう?ならお散歩でも行かない?」
在宅ワークでうちにいる夫が言った。
「冗談!」
私は言った。
今日は台風16号が千葉県に上陸してきている。
私たちがいるのは東京の某所だが、それでもボツボツと窓を打ち付ける大粒の雨音とひゅるるとうなる風の音が部屋の中でも聞こえていた。
夫はへらへら笑いながら立ち上がった。
「コーヒー淹れるけどどうする?」
「ん、いる。」
彼は台所でコーヒーマシンを動かした。
たしかデロンギのやつだっけ?
結構高かったんだよな。
そんなことを考えながらカーテンを閉め切った窓をただ意味もなく眺めていた。
「ほい、お待たせいたしましたお嬢様。いつものブラックコーヒーですよ。」
「ふむ、苦しゅうない。」
こんなくだらないやり取りを鼻先で笑いながら香ばしい泥水をすすった。
夫はテーブルの私の向かいのポジションに戻るとまた仕事を始めた。
さっきまではあんなにへらへらしてたのに、仕事になるとしゃきっとする。
在宅ワークが増えて見られた意外な夫の側面だ。
ちょっとかっこいい。
私はというと売れない小説家である。
いや、小説家ですらないのかもしれない。
原稿を書いては出版社にもっていったり『小説家になろう』に投稿したりしているが、ことごとくうまくいかない。
小学校の頃にヘミングウェイの『老人と海』に出会って、それ以来ずっと目指してきた小説家という仕事。そのために中高でも文芸部で活動し、大学も一応名の通った大学の文学部に入ったが、結局なかなかうまくいかなかった。
はあ、そして今日も原稿用紙は真っ白のままである。全くどんな漂白剤を使ったって、きっとこんなに真っ白にはできやしない。
「あーーーーーーー...」
私はうなだれながら原稿用紙に頭をこすりつけた。
何が漂白剤だ。アイデアが出なさ過ぎてあげた脳細胞の悲鳴だろうか?
意味が解らない。
私はそのまま頭を原稿用紙にこすりつけたまま目を閉じた。
ああ神様!どうか素晴らしいストーリーを夢で見せてください!
私をブレイクに導く大作をどうかお見せください!
そうしてしばらくすると私は寝落ちした。
気が付くと私はアンドロイドの少女になっていた。夢のなかだろうか。
「指揮官殿。」
長身で細身の軍服を着たイケメンが立っていた。
「さあ、作戦の指示を!」
するとモニターに、いや、私のアンドロイドとしての視覚情報に様々な情報が入ってきた。
敵の数、陣形、武装についての情報だ。そしてこちらの軍に関しても同じ情報が閲覧できた。
私は戦争の指揮などについての知識はゼロだったが、なぜだか的確な指示を出せた。
そして敵部隊は壊滅した。
「やりましたね!指揮官殿。やはり指揮官に搭載されている高性能戦争戦略立案型AI-TΩ666の力はすごいですね!」
軍服の金髪イケメンは興奮気味に叫んでいた。
「ふむ。」
とだけ私は無感情に答えた。
そして帰りのヘリに乗り込もうとしたとき、
「よくも!よくも仲間を。このクソったれが!お前ら全員俺と一緒にリンボに落ちてもらう!」
そんな声がしたかと思うと一人の男が走ってきた。
衛兵が銃を撃ちまくったが、男は体中を鉛玉で貫かれながらこのヘリに走り寄ってきた。
そして男は私の腕をつかんでニッと笑った。
ああ、彼の胸で光る血で濡れた十字架はまるで一片を残して沈んだ夕日のように赤黒く美しいな。
刹那にそう思うと、私は彼の身に着けていた爆弾で焼かれて粉々に砕け散った。
ふと気が付くと何やら暗い空間に美しい女が立っていた。
くっそー、悔しいが私より美人だ。
「災難でしたね。」
その女は言った。
「あの方はリンボに落ちろと言いましたが、ここはジーザスの管轄外です。ようこそ、転生の間へ。」
あー、最近はやりの異世界転生か。
「どうします?違う世界に転生しますか?」
「はい、違う世界に行きたいです。何か能力とかって?」
女は口元をおさえながらつつましく笑った。
「そんなもの与えなくてもあなたはすでに持っているでしょ?何せあなたはAIなんだから。」
そう言うと空間が明るくなってきた。
「それでは新たなる人生、いや、あなたにとっては初めての人生といえるかもしれません。そんな人生にあふれんばかりの祝福があらんことを!」
そうして真っ暗だった空間が砕け散り、無限の光が私を包み込んだ。
光が緩やかに落ち着いてくると、私は中世ヨーロッパ風の街に立っていた...
ここでふいにフィルムが切れた映画のように景色がホワイトアウトした。
ジジジ...ジジジ...
なんか変な音がするな。
「おい、おい、起きろ!やべ、倒れたぞ!」
なんだかそんな声だけが真っ白な中にこだましていた。
「ってやばいぞ、これもう流れてる。どうする?」
「そんなこと言われても。とりあえずこれでも流しておけ!」
そんな声が聞こえたと思ったら、なんだかスライドショーのようなものが始まった。
なになに?ストーリー設定資料だと?
一枚目は最初の戦争のシーンの設定資料だ。
私のアンドロイド姿の絵や軍服のデザイン、イケメンや私の過去についての設定など、様々な設定資料だ。
次に出てきたのは絵コンテだ。私に跪きながらイケメンが指示を仰ぐシーンや私の的確な指示で敵部隊が爆撃され、銃殺され、殴殺され、蹂躙されるシーンもある。
次はAIが破壊され、そのAIであった私が異世界に転生するシーンの設定が出てきた。
女神さまのデザインが出ていた。どうやら今後、彼女以外にも転生を行う女神さまが出てきたりもするようだ。見たこともない女性の絵が描いてあった。
にしても全員巨乳だ。
この資料を書いた作者の性癖が見えてくるな。
最後は異世界転生後の設定だった。
これはまだ固まっていないようである。様々な種類の設定が書かれていた。
例えば、転生した世界には魔法があふれる世界だったという設定のものがあったが、その中でもさらに設定が分れていて、
①:主人公は魔法の才が多大にあり、前の世界の知識と魔法の融合で俺ツエーする。戦争の戦略立案もお茶の子さいさいで、チート能力者として美男美女に囲まれて生きていく。
②:魔法の才能が全くない主人公は蔑まれ国を追放されるが、同じく国を追われた人民と結託し、持ち前の高性能な戦略立案能力で国を乗っ取っていく
③:戦争につかれたのでAIの知識でさりげなくチートしながらスローライフを送る。
こんな感じで設定案が列挙されていた。
他にも実はこれは過去に戻ったという設定で、自分の殺された戦争のもととなった出来事を解決するために奔走するというものや、
同じ世界に転生してきたものがいて、そんな奴らとドンパチやるなんて設定もあった。
なるほど、これはラノベを書くならいろいろ使えそうな設定ばかりだ。
どうせ何もストーリーの案なんてないんだ。AIが異世界転生するなんてあんまり聞いたことないし、面白いかもな。
起きたら書いてみよ!
そんな風に思った。
「おーい、起きてー、一緒にご飯作ろ。」
夫の声がする。
「うーん...」
私は目覚めた。
「どう?何か面白いストーリーのアイデアを見れた?」
彼はにやにやしながら聞いた。
「な、別に夢なんかに頼らなくても自分で書けるって!」
私がふくれっ面になったのを見ると彼はもっと笑い出した。
何なのよ、もう。
そう思いながら私は台所に向かう彼についていった。