7-67 絶句
ひなたが隠していたことが次第に明らかになり、解決に進んでいるのは確かだが、やはり「俺に嫌われる必要性」という最大の謎に阻まれてしまう。この謎が解けない限り、ひなたとの和解は望めないのだろう。
それでどうしたものかと悩みつつ、隣に屈んで丸まる背を優しく撫で続けていると……ひなたはもう大丈夫とばかりに片手を小さく上げ、ハンカチで涙を拭いて立ち上がった。
「あー、その……落ち着いて話せそうか?」
「……はい。話を続けてください」
本人はそう言っているが、まだとても辛そうな顔をしているので、また傷付けてしまわないように優しく尋ねる。
「えと、辛かったら無理して答えなくてもいいんだけどさ……なんでそこまでして、俺に嫌われなきゃいかんのか、そろそろ教えてもらえないかな?」
「…………はい、分かりました。どうやっても嫌ってはもらえないようですので……さいごに全部白状します」
……最後?
「それは…………罰です」
「罰……?」
首を傾げる俺をよそに、何か吹っ切れた様子のひなたは、その隠していたことを淡々と語り始める。
「あのとき、いじめっ子から助けて励ましてくれた貴方が、本当に眩しくて……あの後も、ずっと私の心の支えになっていました。転校で離れ離れになっても、いつまでも、貴方は私のヒーローでした。そんな貴方と再会し、お友達になれて、名前で呼んでくれるようにもなり、一緒に遊んだり散歩をして夕陽を眺めたり……私は本当に幸せでした。ですので、そんな最高に幸せな時から一転、貴方に心の底から嫌われ、恨まれる……それは私にとって最も辛いこと。そうして貴方に恨まれたまま、苦しみながら一生を過ごす、それが私が私に与え得る最も重い罰。そう思ったからなのです」
「……っ」
そのあまりに痛ましい理由に、返す言葉も見つからなかった。
ああ……どうやったら人は、こんな考えに至るというのか。
あの地獄の業火は、これ程までに激しく、少女の心を焼き続けていたのか。
絶対に救う。そう、改めて決意した。
俺は幸いにも夕に救ってもらえたのだ、今度はその俺が……未だ独り過去の檻に囚われ続けている少女を救う番なのだ。
そしてそれは、その原因を作った俺にしか、できない。
「なぁ、ひなた。そもそもな、お前が罰を――」
「……ああ、失敗しちゃったなぁ」
俺の声が届いていないのか、ひなたはボソリと一言呟くと、フラフラと歩き出した。
どうしたことかと、その向かう先を目で追うと、崖――っ!?
「――ばかっ、何やってやがんだ!」
瞬時に距離を詰めて、腕を強く掴んで引き止める。
「……離してください」
「うるせぇ、離すわけねぇだろ! お前っ、こんなことして、何になるってんだ!」
「もう、私にはこれしか……自分を許す方法が、見つからないんです……」
俺から嫌われるという罰を与え損なったひなたは、次の手として最悪の方法を選ぼうとしていた。それ程までに、ひなたの心は擦り切れ、とっくに限界を迎えていたのだ。
「何言ってやがんだ! それで例え許せても……死んじまったら意味ねぇだろうが!」
「でも、でもっ……大地君に嫌われるどころかこんなに優しくしてもらって、この期におよんで嬉しいなんて思ってしまう私……そんな資格なんて、ないのに。私なんて……幸せになっちゃいけない人間なんで──っん!?」
目も虚ろで今にも崩折れそうなひなたを見ていられず、気付けば胸に抱き寄せていた。
「お願いだ、そんな悲しいこと、言わないでくれよ……あんな悲惨な事故に遭って、それからもずっと苦しみ続けてきたお前が、一番幸せにならないとだろうが」
「……そんなの、私が許せません」
「なんでだよ……すでにこれだけ重い罰を受け続けてきたってのに……なぁ、もう充分だろ? 自分を許しても、いいんじゃないか……?」
「足りません」
「なっ……………………ええい、こんの頑固者め!」
どの口がと言うところだが、ここまで来ると俺や夕ですら脱帽ものだ。まったく、どう説得すればこの生真面目すぎる頑固者に、自分を許させることができるのか。罪を許す……神様? いや、無宗教の俺が何を説けるという話で、そもそもひなたが信心深いとは――んっ、そうだ! 別に神でなくとも、ひなたが信じる――信じてくれているものであれば、いいのでは?
「よーし分かった! 例えひなた自身が許せなくても、今は、それでもいい! だがな、その代わり――」
そこで大きく息を吸い込み、ひなたに向かって叫ぶ。
「俺が許す!!!」
「……っえ?」
「だからな? 罪を犯した――とお前が言い張る相手、張本人の俺がだ! お前のその罪もっ! お前が幸せになることもっ! ぜんっっぶ何もかもっ! 丸ごと許すって言ってんだよ!!!」
「っ!? で、でも……でもぉ――」
駄々をこねる子供のように首を振るひなた、その頭を優しく撫で――
「……そんでな、いつの日かひなた自身も許せるようになって、どうか幸せになってくれ。それを俺は、心から望んでいる」
真っ直ぐに胸の内を伝えた。比べるのもおかしな話だが、夕やゆづと同じくらいに、ひなたにも幸せになって欲しいと願っているのだ。
「う、うっ……うあぁぁん! だぃ、だいちくん……あ、ありがどぉ、だいぢ、くん……うぅ、うあぁぁ」
その想いが無事に伝わったのか、ひなたは力を込めて俺に抱きつくと、胸で大泣きし始める。この五年間ひとりで溜め込んできたものが、一気に決壊したのだった。
「で、でもぉ、わ、わだじは……やっぱりぃ、わたしをぉ、許ずなんて…………だがらぁ、いつも、いづもっ、夢っ、で……火だるまのお父様がっ、小さな大地くんがっ……わたじを、恨めしぞうに、じっと見でるの……」
「そう、か……辛かったよな」
俺にも親父を助けられなかった負い目があり、昔は似たような悪夢をよく見たが、記憶が薄れるにつれて見なくなっていった。だがひなたは、五年も経った今もなお見続けていると……それほどまでに、ひなたの罪の意識が強く、自身を許しがたい存在だと思っているのだ。
「うぇぇ、ぐじゅっ、もうわだじ……どうじたらっ、自分を許せるか、ぜんぜんわがんなぃの……う、うぅ、うわあぁぁん!」
「そんなもんな、一緒に考えたらいいんだ。どうしようもなく辛い時は、独りで悩んでないで、助けを呼んだらいい」
独りではどうしようもなかった俺を、あの小さなヒーローは見事助け出してくれた。俺が夕ほどに上手くできるかは分からないが……それでもひなたには、大切に思ってくれる人が他にも沢山いるのだから。
「ぐすっ……こんな、わたしでも……だいちくん、はっ……たすけてくれる、の……?」
「ハハハッ、んなもん当たり前だろ。友達、なんだからさ」
不安げに俺の胸元から見上げるひなたへ、何も遠慮する必要はないと、優しく笑いかける。
「ありが、とぉ…………おねがいします、たすけて、ください……だいちくん」
「ああ、任せときな!!!」
そう力強く頷くと、ひなたは憑き物が落ちたかのように、温かな涙と安らかな微笑みを浮かべるのだった。




