3-11 諜報 ※挿絵×2
道場から校舎の方へと歩く道すがら、手芸部の部室を覗き見る方法を思案する。この言い方では、まるで悪行に手を染めようとしているかのように聞こえるが、あくまで人命救助活動だ。善行善行。
それで部室となっている美術室は、山の麓に建てられたコの字型校舎の一階外側に位置しており、部屋の窓の前には山しかなかったはずだ。そうなると、窓の外を通る人はまず居ないので、窓の下からこっそり探っても通行人に怪しまれる心配がない。懸念があるとすれば、大自然から襲来する蚊に食われるくらいだが、人命救助の前では些事である。
そう考えて校舎の北側へ時計回りで回り込み、大自然を横目に校舎外周の細道をしばらく歩くと、手芸部の部室の外側にたどり着いた。すでに取返しのつかない事態になっていないかと心配しつつ、窓に近付いて端から視線を潜らせてみると……部屋には小澄と他に女子が四人居て、布を手に何やら作業をしながら雑談をしているようだ。そこには人間剣山や暴走ミシンの爪痕も見当たらず、自主規制を処理する作業中でもない。まずは一安心だが、もちろん油断は禁物だ。
ここで、端の窓に鍵がかかっていないことに気付いたので、音を立てないよう慎重に少しだけ開けてみる。隙間に近付いて耳を澄ませてみれば、小さいながらも中の会話が聞こえてきた。
「ぶちょ~、この子が昨日言ってたぁ〜、ちょ~~~かっわいい転校生だよ~! 手芸部に来てくれてぇ~、あっりがとぉっ!」
「えーと、小澄さん? は転校してきたところと。それじゃぁ、まずは、手芸部へようこそぉ! っても大したもんないけど? あはは」
「うふふ、とても素敵なお部屋だと思いますよ。それで今は入る部活を探していまして、今日は体験入部にきました。突然ですが今日一日お世話になります」
「ちょ、やだーそんな畏まらんといてよ。同じ三年生なんだし、タメ口でいいっしょ」
「いえいえ、皆さんはこの部活の先輩で私は新参者ですから、そういうわけにも参りません」
「ほえー、まっじめやなぁ自分。まぁうちは何でもええよ。無理せぇへんでも仲よーなったら自然とくだけるんちゃう?」
「ま、それもそだね。そんくらい仲良くなるまで、ずっと来てくれていいんだよ?」
「おぉっとぉ~、早速部長の勧誘入りましたぁ~? あたしは~もちのもちでかんげ~い!」
「そーゆーんじゃない――ってこともないけどぉ、ふつーに仲良くしたいじゃん?」
「せやなぁ、女のうちでもドキドキしてまうくらい美人さんやし? むっふふ。なぁな、今度うちとデートしぃひん?」
「やめろし! どうもすんませんねぇ、うちのセクハラ部員が。真面目に相手しちゃだめよ」
「うふふ、とっても面白い方ですね」
「ほら、ウケとるやん」
黙々と作業をしている一人を除き、残りの女子四人の賑やかな声がしっかりと聞こえてきた。これが、噂に聞く女子会というものなのだろうか……こうして盗み聞きしてるのが、何やらものすごい悪い気がしてきた。だが、弓道部を救うという使命を忘れてはならない。良心の呵責に耐えるんだ、大地!
それで肝心の小澄の様子はというと、少し緊張しているところはあるが、ごく普通に会話している。問題の朱芸――ハンカチにアップリケを縫う作業も、スイスイとまでは言わないが、流血事故もなく進めているようだ。あまりの想定外な状況に、正直戸惑うところではあるが……まずは観察を続けるとしよう。
「ほへぇ~、ひ~ちゃん裁縫上手なんだねぇ~」
「え、えっと、ひ~ちゃんってのは、私のことでしょうか?」
「そ~だよ~」
このやたらと馴れ馴れしい子は、先ほどの話からすると小澄のクラスメイトのようだ。つまり俺のクラスメイトでもあるということになる。なるほど。
「うふふ、早速あだ名で呼んでくれて嬉しいです。ええとそれで、裁縫は家でもすることありますので、ちょっとだけできますね。もちろん手芸部の皆さんから見れば、全然だと思いますけど」
「んや~? すでにあたしより上手いかもぉ~? つらみんみん」
裁縫をできるのは想定外だったが、これは良い誤算だ。このまま上手いこと手芸部に気持ちが流れれば……晴れて弓道部救済!
「なーこはいつまで経っても裁縫下手っぴよね。物造りはヤバウマだってのに不思議だし」
このギャル風の子が部長さんのようで、先ほどの様子からすると、見た目に反して面倒見が良いタイプなのだろう。
「うんっ、工作だいすき~! 絡繰り人形とか時計とかオルゴールとか~? いろいろ作ったりするよぉ~!」
絡繰り人形だとぉ!? なーこの工作技術はんぱねぇな……でもなんでお前は手芸部で活動してんだ?
「はぇ~、なーこさんはオルゴールなんて作れるんですねぇ。素敵です!」
「今度ひ~ちゃんにも作ってあげるね~。パパの工場にね~NC旋盤とかいろんな専用の工具に~材料の余りとかもあるし~、工夫すればだいたいのものは作れちゃうかも~?」
なるほど、天性の才と自宅環境か。将来は大企業の売れっ子技術士か、カリスマハンドメイド屋あたりだろうか。手に職って憧れるものがあるよな。
「なーひな、そこの縫い目やけど、ちょっと不ぞろいやん? 並縫いやったら、針の先っぽの線目印にして、一回の動きを均等にしたらもっとキレイになるでー」
「あっ、なるほど、そのための線だったんですねぇ。ありがとうございます」
「さっちゃんの裁縫はぷろ級だもんねぇ~。ほんとすごいんだよぉ? そこに掛けてあるの~、全部さっちゃんが作ったんだからぁ~。卒業するとき一枚貰う約束なんだぁ~たのしみしみ~」
なーこが指さした壁には、龍、朱雀、風神雷神、鬼といった和風の刺繍がされた旗がいくつも掛けられており、素人目に見ても迫力ある見事な出来栄えである。その題材の渋さからも、さっちゃんの気風の良い性格が推し量られるというものだ。
それにしても、この手芸部の技術レベル高すぎでは? 君ら普通科高校生だよね? 平部員でこれとなると、部長は……想像すらできねぇ。
「うわぁ~わぁ~、すごいですねっ! まさに芸術です! なんとこれをお一人で? ……さっちゃん師匠と呼ばせていただいてもよろしいです?」
「お、こなぃかあいらしぃ弟子なら大歓迎や、にっしし――って師匠はかんにんなぁ、呼ばれるたんびに照れてまうわぁ。呼び捨ての咲茅でよろしゅーな」
「おお? 弟子入りということは、入部してくれるかんじ、かな?」
これは期待が高まる。部長さん、その調子でどんどん押してちょうだい。
「ええとぉ、その、大変申し上げにくいんですが、実は本命は弓道部を考えていまして……」
「そっかぁ……」
むむぅ、やはり弓道部のことは忘れていなかったか……そう簡単にはいかないものだ。
「え………………………………はい」
小澄が何やらしばらく思案していたが、突然何かに納得したように頷いている。誰にだろうか……ここからでは遠くて良く判らない。
「あ、でも! せっかくの良いご縁ですので、兼部でもよろしければ……とか……あぁぁ、調子の良いこと言ってすみませんっ」
「いやいやいや、ぜんっぜん、いいし! 兼部でも大・歓・迎っ。空いてるときにーでいーしさ。他にも掛け持ちしてる子いっぱいいるし?」
「せや。うちは将棋部とかけもちやで」
刺繍の渋い趣味からして、将棋も強そうだ。誠に勝手な印象だけど。
「そういうことでしたら……どうぞよろしくお願いしますね、みなさん」
「こちらこそよろしくねっ」「よろしくだよぉ~」「なかよーしよな」「……よろしく」
兼部で手芸部に入部となった小澄を、部員達が拍手で歓迎している。一人黙々作業していた子も挨拶だけはしており、歓迎はしている雰囲気である。特に喋りはしないものの、ずっと四人の近くに居ることを考えると、寡黙な友人枠といったところだろうか。
そこそこ時間も経ったので、ここらで一度道場に戻ってヤスと交代すべきだろう。目的の情報収集もそれなりに達成でき――てなくないか? ハイスペック技術者集団の情報はポンポン手に入ったが、肝心の小澄の情報がいまひとつ増えていない。分かったことと言えば、普通にコミュニケーションを取れる、手芸は割と得意なので手芸部は安全地帯、第一志望は依然として弓道部、くらいのものだ。
パパならこっそり見ていれば解る、と夕には言われたものの……本当にこれでいけるのか?
もう少し粘るべきか迷っていたところ……
「……なんで弓道部?」
寡黙子(仮称)がぼそりと一声発した。
それ、一番知りたかったやつ! 寡黙子、なんてデキル子なんだ!
「あ~それ~あたしも気になるなる~」「あーしも部長として聞きたいかもー?」「ほなせっかくやし、うちも流れにのっとこかぁ~」
転校生あるあるといった風に、質問攻めにあう小澄。いいぞ、もっとやれ!
「ええと、そのですね……前の学校で弓道部だったんです」
若干言い淀みながらも、こちらですでに収集済みの情報を伝える小澄。
「せやろなぁ。じゃなきゃ三年で運動部なんてよー入らんわ」
誤解無きよう弁明しておくと、弓道はいつでも誰でも歓迎の武道だ。なので、新人いじめといった運動部にありがちの風習はない。ただ、彼我の力量差に過度にコンプレックスを持つ人は、あまり向いていない。なぜなら、打ち勝たなければならないのは、己自身の心だからだ。
「じぃ~」
「な、なんでしょうか?」
そこでなーこが訝し気な視線を小澄に向け、側に寄っていく。
「あ~やすぃ~かぁもぉ? 何か隠してるかほりがするするぅ~、すんすん……あ、ひ~ちゃんてばぁすっごい良い香りぃ~~~しゃ~わせ~」
「きゃっ、ちょっとぉ、なーこさんっっ!?」
さらに小澄の髪付近に顔を近づけると、くんかくんかしている。そう、何かあるはずだ、逃すな!
「はっ……りゆう、りゆう……部員……え~とぉ、うちのクラスの弓道部って言ったらぁ~、部長のヤス君と~、えっちゃんと~、マメ君と……あと宇宙君?」
「!?」
そこで小澄が明らかに動揺を見せた。
「おおお~? こりは~びんごでわでわ~?」
凄いぞなーこ、言外の何かを嗅ぎ取る野生の嗅覚っ! ヤスと同種――と言ったら失礼だな。
「あ、そ~いえば! 確か宇宙君と知り合い~? みたいなことぉ言ってたような~? なかったような~? どっちっち~?」
「だい――宇宙君は関係ないですよ?」
「嘘つくのド下手か!」
さっちゃんの推定関西仕込の鋭いツッコミが瞬時に入る。いやぁ、やっぱ本場はキレが違うなぁ――って現実逃避してる場合じゃないぞ……え、原因俺だったの? 犯人は俺だ!? そういや昨日、ヤスも同じようなこと言ってたような……昨日までもスーパーヤスモードだったのか。
「ほーら僕が言った通りじゃん」
「なにぃぃっ!?」
いつの間にか横にヤスが居た。隠密行動をしていたので、心臓が飛び出たかと思うほどに驚いた。瞬間移動までするとは……もはやスーパー最ヤス人だな。
「だいぶ経ったから様子見と交代にね。調子はどう?」
「お、おう、ぼちぼちだ。そんで今丁度いいところ」
「みたいだね」
ヤスと頷き合うと、再び盗み見聞き作業に戻った。
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一色夏恋の立ち絵
大地君はスニーキングミッションしがちですね……どんな高校生よ?




