7-29 技巧
「さーて。メインディッシュ、いこうか?」
皆が一通りの料理を少しずつ食べ、空きっ腹が解消されたタイミングで、夕が腰を上げつつ周りにそう尋ねた。
「おお、いよいよステーキかっ!」「待ってたぜぇ、鉄人!」「よっろしくぅ~」
夕は皆のワクワク顔を確認して大きく頷くと、鉄板の前でグイと腕まくりして桐箱を開ける。すると中には、ほどよくサシの入った赤身の厚切り肉が四枚あり……ん? 意気揚々と調理場へ抱えて行った割には、特に何も変わってない気がするぞ。
「下ごしらえは、しなくて良かったのか? 筋切ったり叩いたりとか?」
「んや、安い硬い肉なら必要だけど、こんな高級肉には要らない――どころか繊維を痛めるから絶対ダメだぞ。ボクは、常温に戻るのを見守ってたくらい?」
「そういや鉄人、じっと肉見てニヤニヤしてたなぁ」
「し、してないしっ!」
ハハッ、調理するのが楽しみで仕方なかったんだろうな。
「――こほん。ではではみなさん、オーダーは?」
「オーダー……ってのは、レアとかの焼き加減?」
「そそ。あとサイコロのが良い人は、先に言ってなー」
各自の好みに合わせて焼き分けてくれるとは、まるでレストランだ。
「よーしっ、僕はスーパーレア!」
「んなもんねぇよ!」
「え、そうなん? じゃぁもっとレアリティ高いヤツは何て言うんだよ」
「レアリティて……このレアは、珍しいじゃなくて生焼けって意味だ。そもそもレア以上なんてねぇよ、生肉になっちまう」
毎度お馴染みとヤスにツッコミを入れていたのだが、
「んにゃ、あるぞ?」
夕から意外な回答が返ってきた。
「表面を数秒だけ焼いたのがブルー、レアとの間がブルーレア、あと生肉はそのまんまローって呼ぶ。良く焼く方は順にミディアムレア、ミディアム、ミディアムウェル、ウェル、ウェルダン、ヴェリーウェルダン。全部で十種類かな」
「え、そんなに分類あるんか……」
さすがは夕だ、特に料理関係の知識量が半端ない。
「じゃ、僕そのブルーで!」
「え……えーと、ほぼ生肉だけど、ほんとにいいのか?」
「ん? もしかして普通はしないヤツ?」
「お店だとぉ~、ミディアムレアが~標準らしい~?」
「そうそう。もちろん好みの問題だけど……ヒレはミディアムレアからミディアムが一番美味しいと、ボクは思うぞ?」
せっかくの最高級肉でヤンチャな冒険をしようとしているヤスを、二人が説得している。
「んー、鉄人がそう言うなら、オススメのミジアンレア? にしよっと」
「俺もそれで」
「私は硬めが好きなんですけど、レア気味がオススメみたいなので、間を取ってミディアムウェルでお願いしますね」
「……ミディアム……あとサイコロ……食べきれないし」
「そいじゃあたしは~、レアっ! 沙也ちゃんの一個もらってぇ~二度おいしぃ作戦~♪」
「オレもレアで!」
そうして皆が口々に好みを言った結果……
「えー、ご注文は……レア2、ボクの入れてミディアムレア3、サイコロのミディアム1、ミディアムウェル1? 了解だっ!」
無駄にややこしいオーダーになってしまった。こりゃ流石の料理長でも大変だぞ。
「……分けて順番に焼くしかないか?」
「んや、この広さと火力なら、いっぺんにいけるぞ」
「マジカ」
「ふふっ、任せときな。だって、みんな揃って食べる方が美味しいだろっ?」
サムズアップで白い歯を光らせるイケメン夕に、周りから拍手が上がる。……ハハハ、気持ちはすっかり男の子だなぁ。
それで早速と夕は、まな板に置いた四枚の肉に粗塩と黒胡椒を振り、三枚は半分に切る。次いでシュシュシュシュと連続音がしたと思った時には、残りの一枚が綺麗なサイコロになっていた。……ちょ、速すぎて見えんかったんだが? 料理漫画かよ。
「この少年の手捌きよな……どんだけ訓練したらこの歳で……」
マメがそう呟きながら、首を横に振って呆れている。……まぁ、ほんとは二十歳だし――ってそれを差し引いても凄すぎるんだけどな。
「さて、焼く前にっと……」
そこで夕は、ペットボトルから少量の水を掌に移し、鉄板の上に満遍なく水滴を落としていく。すると、中央では玉になって転がりながら小さくなっていくが、外側になると玉ではなく染み状に広がって次第に蒸発していった。
「百四十、ここは百六十、中央は百八十五……オッケー」
夕はそれらを真剣に観察しながらブツブツ呟いている。
「ライデンフロストでぇ~、計測ぅ~?」
「うん」
「……雷電風呂?」
ヤスの空耳はほっとくとして……恐らく物理科学系の専門用語だろうか。その一言だけでなーこ&夕は頷き合っているが、俺含め周りは首を傾げる。
「蒸気で水が浮いてぇ~コロコロするヤーツ~。鉄と水ならぁ~、百六十度くらいからぁ~?」
「……ああ、なるほどなぁ」
そのライデンフロストや蒸発速度から、場所ごとの鉄板温度を測っている訳か。うーん、めっちゃプロっぽい! ――って本職は研究者だけどさ。
「……さて。まずは、陽さんのから」
ひなたのミディアムウェル用の肉が中央に置かれると、ジュワーと良い音を立てながら、肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上った。この音と匂いを前にしたら、空腹でなくても腹が鳴ってしまいそうになる。
十五秒ほどしたところで、夕はトングでひょいと肉を返して裏面を焼き始める。
「……ねねね、朝君。お肉って、そんなにすぐ返してもいいの? 前におうちで焼肉した時、お父さんがダメって言ってたんだけど……」
「昔はダメって言われてたけど、実は何度も返す方がいいぞ」
「あ、そうなんだぁ~」
夕は肉を返して二周目を焼きつつ、ひなたへの解説を続ける。
「時間かけると水分が飛んでくから、いかに速く中の温度を上げて仕上げるかが大切で、こうして両側から均等に焼く方が三割くらい早いんだ。あと、片面だけ焼き続けると縮んで硬くなって肉汁が漏れるから、そういう意味でも理にかなってる」
「ほえぇ~」
ひなたが感心しきって大きく頷いている。こうしてしっかり理屈で説明してくれるところが、学者さんな夕らしい。……ってそうか、ただ闇雲に調理法を記憶するのではなく、なぜそうしなければならないか理解しているからこそ、ここまでの腕前になったのだろうな。
そうして二周目が焼けたところで、夕はその肉を少し横にどけると、ミディアムレア用の三枚を中央に追加する。それらも同様に十五秒サイクルで返していくのだが……数が増えて、なかなか忙しいことになってきたぞ?
「……手伝おうか?」
「だいじょぶ。硬さを見て焼く位置を微調整してるから」
「そ、そか」
夕はたまに肉の表面をトングで押しており、その弾力で焼き加減を確認しているらしい。――くっ、素人は手出し無用の厳しい世界だった!
そしてまた二週ほどしたところで、レア用の二枚とサイコロ一式が投入される。――いや、されてしまったと言うべきか。これ全部を同時に裏返し続けるの、ムリじゃね?
「ほっ、ほっ、ほっ……」
そう思いきや夕は、右手のトングで六枚の面倒を見ながら、左手の菜箸でサイコロの六面を順に転がしていく。それでいて、なんと全ての肉で十五秒ほどの焼きサイクルが守られているという。
「す、すげぇ……」「やばやば~だねぇ~」「……器用すぎ」「僕にゃぁ、もうどれがどの肉だったかすら分かんないよ……」
尊敬の眼差しに囲まれる中、夕は黙々と肉を焼き上げていき……
「――よしっ! みんな、ちょっと下がっててなー」
そう告げて高さ十五㎝ほどのガラス小瓶を脇に置くと、手早く金属蓋を開ける。そのラベルを良く見れば、ウイスキーと書かれており……隣のおばちゃん、料理用にお酒までくれたのか?
次いで夕は、小瓶の口に親指を当てて鉄板中央の肉スレスレ高さに持っていき、親指を緩めつつ手首を素早く返す。すると、琥珀色の酒飛沫が美しい弧を描いて肉周辺に降り注ぐ。
「Show time!」
夕の流暢な掛け声と共にウイスキーが鉄板に触れ――刹那、ゴワッと炎が高く燃え上がり、揮発したウイスキーの香りと熱波が顔を撫でた。
「うおぉぉ!」「うぁちぃっ!」「び、びっくりしましたぁ!」「ひゅぅ~フランベ~かぁっくぃ~♪」「……ここはステーキハウス?」
その光景に周りは目を輝かせ、感嘆の声を上げながら拍手喝采しているが、一方で大きな炎が苦手な俺はギョッとしてしまう。だがすぐにアルコール分が燃え尽きて鎮火したため、ホッと安心していたところ……
「大地君……?」
対面のひなたから心配そうな声をかけられてしまった。どうやら、少し強張った顔を見られていたようで……いやぁ、本当に良く気がつく子だ。
「あ、ああ。ちょっと驚いただけだ、ハハハ」
「そう、ですか。……ふふっ、私もです」
気を遣わせまいと俺が誤魔化すと、ひなたは何故か少し悲しげな顔をしたが、すぐにそれは微笑みに変わった。
「ま、僕が焦げたくらいだからね。そりゃびっくりするよな?」
注意を聞かず近付き過ぎていたヤスは、前髪の先を少し焦がしてしまったらしく、
「もー、だから下がってって言ったんだぞ! ほんと話を聞かない人だなぁ!」
「すんませんっしたっ!!!」
毎度のことながら男装幼女に叱られている。……ははは、ヤスのアホっぷりを見ていると、妙に落ち着いてくる不思議よな。
ステーキハウスゆうづ、ここに開店っ!




